ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

アンブレラ・アカデミー

2020-06-28 12:04:04 | 映画

Netfilxで配信中の「アンブレラ・アカデミー」というドラマ、シーズン1を見終えたところです。

これは主に若い人たち向けのドラマで、ちょっと変わったテイストで最初は違和感あったけど、次第にハマりました。

原作はマーベルのようなコミックスです。

設定が面白い。

妊娠の兆候がまったくなかった女性たちが一斉に妊娠して、その日のうちに出産する、という事件が起きて、生まれた赤ん坊43人のうち7人が、ハーグリーブズという富豪の養子になります。

このハーグリーブズには、世界を救うために超能力を持った子どもを育てるという計画がありました。

というのも、世界がまもなく終わるから。

7人の子どもたちは、大きな屋敷で兄妹として育ちますが、ハーグリーブズは何より彼等の超能力を引き出すことに熱心で、普通の父親のような愛情をもって接することをしません。たぶん彼自身が愛情を持って育てられなかったのでしょう。彼は子どもたちを(名前があるのに)ナンバーで呼びます。

ナンバー1のルーサーは4年間も月にたった一人で置き去りにされたという過去を持つ男、ナンバー5は13歳の少年の姿をしているけど、時空を移動できる能力を持ち、そのために未来で数十年過ごしてきて誰よりも年長なのだとか(彼だけは常にナンバー5と呼ばれる)、ナンバー7のベンはすでに死んでいて、ナンバー4のクラウスには死人が見えるけど、他の人たちには見えない・・

というように、それぞれが何らかの超能力を持っているのだけど7人中ただ一人、ナンバー6のヴァーニャ(エレン・ペイジ)には超能力がない(と言われてきた)。そのため、彼女はいつも除け者にされてきました。常に日陰者。家族写真を撮るときですら仲間外れ。それでもヴァーニャは兄妹を愛していました。

ハーグリーブズは強権的かつ厳格な父親で、母親はロボット、執事は話すことが出来るチンパンジー、という家族(ほんとに象徴的だよね)。
その中で育ったDNAの異なる超能力を持った兄妹。

ティーンエイジャーになった時、彼らはそれぞれ家を出ていきますが、十数年後、ハーグリーブズが亡くなり、子供たちが久しぶりに豪邸に集まる、というのがストーリーの始まり。

時空を自由に行き来できるナンバー5だけが未来に行き、破綻した世界を見ています。

彼が言うには世界が終わるまであと7日・・

これはその7日間のストーリーです。

果たして世界は終わるのか、どんな風に終わるのか、彼らは世界の終わりを阻止できるのか・・

これは家族の物語なんですね。

「スターウォーズ」もスカイウォーカーの家族の物語でした。

強権的な父親像であるシスとの対決という構図をもっていた。

「アンブレラ・アカデミー」も基本的には同じ。

アメリカ社会はどこまでも父性中心の社会なのですね。

この強権的な父性をどのように乗り越えるかが、子どもたち(国民)に問われており、それが手を変え品を変え物語として登場します。

今回、誰がどのように暗黒面に転落するか、というのが肝。

まあ、ここら辺は割と予想通りなのですが。

世界は終わるのだけど、彼等は時空を移動して助かります。

この続きはシーズン2へ。

シーズン2で、彼等は今度こそ世界を救うことができるのか。

乞うご期待、というところかな。けっこう面白いよ。

 

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パラサイト/半地下の家族

2020-06-24 19:56:58 | 映画

今年のアカデミー作品賞を受賞した映画。ポン・ジュノ監督の

「パラサイト 半地下の家族」

ついにAmazonPrime で500円払って見ちゃいました。最近Amazonも高くなってきたよね。

ポン・ジュノ監督といえば、以前ここでも取り上げた「グエムル 漢江の怪物」や「オクジャ」の監督です。ソン・ガンホ(父親役)とタッグを組むこと今回で四度目だとか。

これがね、面白かった!

韓国の格差社会を痛烈に批判した作品と言われていますが、たしかにその要素も大きいけど、エンターテイメントとしてもよく出来ている。

先の見えない展開は「ゲット・アウト」にちょっと似てるかな。意外なストーリー展開、不気味なサスペンス、皮肉の効いたユーモアなど、テイストが似てるので、「ゲット・アウト」が好きな人は好きかも(ホラーではないけど)。

ストーリーはネタバレにならない程度に。

父親と母親、20代の娘と息子の四人家族はすごく貧乏で半地下の家に暮らしています。ピザの箱を組み立てる内職などしてかろうじて食いつないでいるのですが、ある日、息子の友人が彼に家庭教師の口を紹介してくれます。

これがね、ものすごい金持ちで豪邸に住んでる。父親は企業のオーナー、母親は専業主婦、高校生の娘とまだ幼い息子とこちらも四人家族。

この高校生の娘の家庭教師として派遣された貧乏家族の息子は、自分の家族をこの金持ちの使用人として(家族であることは内緒で)次々紹介していきます。

姉は幼い息子の絵の先生に、母親は家政婦に、父親は車の運転手に。

というわけで、半地下の家に住む貧乏家族は全員この金持ちの家族のパラサイト(使用人)となる。

すべて順調にいっていたある日のこと。

金持ち家族がキャンプに行って留守の間、貧乏家族が豪邸に集まってどんちゃん騒ぎをしていると、そこへ訪問客が・・

そこから、ストーリーは急展開を見せます。

おお、そう来たか、という感じ。

あとはもう怒涛の勢いで、最後まで突っ走る。

最後のシーンは大体予想がつくのですが、予想がついても面白い。非常によくできたエンターテイメントなので、アカデミー賞は当然だろうと思います。

ま、「ゲット・アウト」の方がすごいと私は思うけどね。
(「ゲット・アウト」はアカデミー脚本賞)

というわけで、別に韓国社会の格差問題(日本もいずれはそうなる)に関心がなくても、娯楽作品としても十分楽しめます。

娯楽作品として楽しんで、その後で、そういえばあのシーンは・・といろいろ考えるのもいいかもしれません。

お勧めです!

(追記)
日本映画「万引き家族」(是枝裕和監督)と比べてどこがどう違うんだろうかと考えていて、「万引き家族」は胸にグッとくるけど、「パラサイト」の方はお腹にグッとくるな、と思いました。どちらかというとお腹にグッとくる「パラサイト」の方が私は好きだなあ。

 

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鬼滅の刃

2020-06-21 11:42:19 | 映画

ついに26話(アニメの最終話)まで見てしまいました。

アニメ版「鬼滅の刃」

これは「ドラゴンボール」や「ワンピース」とは(似てるけど)一味違うアニメです。

何しろ日本的な情念がギュッと詰まった作品で、一話見るたびに次を見るのが辛くなってね。たぶん若い人たちはそうでもないのだろうけれど。

見ていない人のために簡単に説明すると、

これは日本版ヴァンパイアストーリーです。

時は大正時代。鬼と(呼ばれる一種のヴァンパイア)が出没し人を喰う。鬼に噛まれた人は鬼になる。
その鬼を退治するために、鬼殺隊という組織が作られます。猛烈な訓練の末に残った精鋭部隊が鬼殺隊となる。

その鬼殺隊の一員である、竈門丹次郎(かまどたんじろう)という若者が主人公。

丹次郎は鬼に家族を喰われてしまったのですが、妹の禰豆子(ねずこ)だけは生き延びます。ただし鬼になって。

丹次郎は禰豆子を人間に戻す方法を探すために禰豆子を背負って旅に出る。その途中で剣術使いに出会い猛特訓を受けて、鬼殺隊に入隊する、というのが序盤の立志編。

その鬼殺隊の隊員たち(それぞれユニーク)が遭遇する様々な鬼と戦うシーンが各エピソードになっています。

この鬼たちがすごくてね。

人を喰えば喰うほど強く大きくなっていく。

超高速で爆弾的破壊力のある毬の使い手とか、鼓を打つたびに空間が歪んで部屋が増殖する技の使い手とか、蜘蛛の糸を操って人を操り人形のようにしてしまう蜘蛛男とか、鬼のデザインもそれぞれ独特で面白い。

西洋のヴァンパイアと同じく無敵で傷を負ってもすぐに回復する。一度死んでいるので鬼を倒すのは容易なことではない。

この鬼たちの統領というか最後のボス的存在が鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)。

彼は人間のふりをして人間にまぎれて暮らしています。
彼は非情で邪悪なサイコパスでものすごく不気味。

(そもそも鬼になるとサイコパス的要素が増大するみたい)

この鬼舞辻無惨を倒して、禰豆子を人間に戻すのが最終目的。

でも、アニメ版は中盤まで。
丹次郎たちが蜘蛛男を倒して、鬼殺隊の司令部まで行き、柱と呼ばれる鬼殺隊の最強部隊と出会う。ここまで。

鬼舞辻無惨との対決が迫っているのだけど、
この続きは劇場版の映画で見てね、という感じかな。

鬼たちですが、日本的な情念がぎっしり詰まっていて、鬼ではあるけれど人間だった頃の記憶もあり、最後に鬼殺隊にとどめをさされる時に幼少時の出来事を回想したりします。

彼らには彼らの過酷な歴史がある。そういう歴史が鬼を生み出す、ということが明確に語られます。

どちらかというと「進撃の巨人」に近いかもしれない。かつては人間だったものが、人間を喰うようになる。

人を喰うのは人である、人の情念である、という設定からして日本的です。この世の理不尽さを余すところなく描いてみせるところ、幽霊譚に近いものがあるかもしれない。邪悪な鬼というより人の哀しさを凝縮した姿というか。

若い人たち、特に30~40代くらいの女性に受けているというのも納得です。

作者は女性であるという説もあり、なるほどなあ、と思いました。
殺戮シーンはかなり残虐で、血がドバっと飛び散るのだけど、通奏低音のように流れているのは、鬼を倒すというより彼らを成仏させてあげるといった慈悲の念なのかもしれない。だからバイオレンスよりも哀しみの方が勝っている。

そしてまた、女性の活躍も見事で、何より男性目線で描かれていない、というのも女性の人気の秘密かな。

女性の描き方は(時に少女漫画チックではあるけど)エロくない。これとても大事ね。男が描くと女は必ずエロくなるから。もう、ったく。

そして何より、ストーリーの幅広さかな。

まず言葉使いが非常にユニークで、登場人物の名前からして、よく考えたね、とうならされます。

鬼にしろ剣術にしろ変人たちの寄せ集めのような鬼殺隊の隊員たちにしろ、
世界をまるごと一つ創造するのは並大抵のことではなく(「ハリ・ポッター」の世界にも通じるところがある)、作者の力量は半端ないと思います。

漫画の方は完結したそうですが、これはぜひ漫画も読んでみたい。

最後はどうなるの、鬼舞辻無惨を倒すのだろうけれど、彼を倒しても世の中の理不尽さは変わらない。

日本の歴史を見てみても、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、戦争の時代に突入していくわけで、第二、第三の鬼舞辻無惨が実際の歴史にも登場してきます。

鬼殺隊員自身が鬼にならねばいいが、と思います。

というわけで、まだ見ていない人は見てみるといいんじゃないかな。
見ていてけっこう辛いのだけど、でもやめられなくなるのよ、これ。

日本のアニメってすごいのね、と改めて思いました。

 

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バシャール4 分断ではなく愛を

2020-06-17 10:30:46 | スピリチュアル

とはいえ、現実がそんなに不安定なものだ、というのはにわかには信じがたいことです。

何かのイベントのたびに世界が分かれていたら、一体この宇宙にどれだけパラレルワールドがあるちゅうねん。気い遠くなるやろ。

でも、これは一つの物語として受け止めればいい、と私は思っています。

世界がパラレルワールドに分かれるだの、私とあなたの世界は違うだのといったことは、とても面白い「お話」だと思えばいい。

バシャールがポジティブに生きろというからといって、どんなことでもネガティブに受け取るのはよくない、という意味ではありません。

世界には理不尽なことがたくさん起きており、人間の歴史そのものがネガティブな事実の堆積であるといっても過言ではありません。

そんな世界の中でどうすればポジティブでいられるの?

自分の家族が殺されてもポジティブでいろというの?

もちろん違います。

そういう時は全力で戦うしかない、そう思います。

これは一つの思考実験だと思えばいいのです。

シュレジンガーの猫みたいな。

私は子どもの頃から、この世界って一体どういう場所なのか、ということに非常に興味がありました。

ポンと生まれてきたけど、ここはどこ、私は誰?

小学校の時、理科の教科書に宇宙の話が載っていて、

私たちがいるのは、銀河系の中の太陽系の中の小さな惑星である地球である。そして、銀河系は同じような銀河の集団である銀河団の一部であり、その銀河団はより大きな島宇宙の一部であり、そうした島宇宙が宇宙にはたくさんある・・というようなことが書いてありました。

それを読んだとき、突然世界がぐるぐるして、私は眩暈のようなものを感じました。

私がいるのはちっぽけな地球という星で、この宇宙は果てしなく(それこそ本当に果てしなく)広いのだ、ということを生まれて初めて実感したからです。

そして、宇宙ってどんな場所なのだろう、銀河って、島宇宙って・・と果てしなく想像を巡らせたのでした。

でも、当時は、女の子がそんな想像を巡らせるなんてことはご法度だったのですね(いつの時代じゃ)。

「本ばっかり読んでないで家の手伝いをしなさい」と母に叱られてばかりいました。

本を読むことも空想することも、やりたいことをやることも、何もかもがご法度だったのです。女の子は自発的に何かをしてはいけない。そういう時代でした。

高校生の時に「大学に行きたい」と言ったら、父は目をむいて怒りました。

「女が大学に行ってどうする!」

(その後家を出て自力で夜学には行きましたが好きなことはできなかった)

だから、大人になってもずっと不思議でした。

この世界とはどういう場所なのだろう。

地球とは宇宙とは時間とは過去とは未来とは・・どういうものなのだろう。

物理学や天文学は難しすぎてよくわからない。相対性理論や量子力学の入門書(素人向けに易しく書かれたもの)を読みあさった時期もありましたが、やはりよくわからない。

そうしていつのまにか時が過ぎていき、40歳頃になってようやく、シャクティ・ガーウェインやバシャールと出会ったのでした。

その時私は子どもの頃から抱いていた疑問、この世界とはどういう場所なのか、という疑問に対する答えの一端を得たような気がしました。

もちろん正解は一つではないと思います。人にはそれぞれの世界があるのだから。

ただこれだけは言えると思うのです。

子どもの頃から両親にしつけられてきた教訓(それこそ身に沁み込んでいます)、すなわち、

女は自力で何かをしてはいけない、女は男に従わなくてはいけない、自分で何でもできるといった傲慢に陥ってはいけない(女は往々にして傲慢になりがちだから)、
という教訓は全くもって全面的かつ完全に間違いだった、という確信を得たこと。

今の人たちには理解できないかもしれませんが、私の親の世代は軍国教育を受けて育った極め付きの保守が多い世代です。

その親に育てられた私たち団塊の世代の女たちは、いまだに、往々にして、その教訓の犠牲になっている気がします。上辺はそうは見えなくても、潜在意識の中に沁み込んでいるように思います。恐るべし幼児体験。

バシャールやシャクティ・ガーウェインは、そうした囚われた心を解放してくれたのですね。

そうか、私が私の世界を作っている、私は私の世界の王なのだ。

誰かに従う必要はない。私は自由なのだと。

そう教えてくれたのでした。

ネガティブな教え(~してはいけない、~をすると悪いことが起きる、あるいは、あいつのせいでこうなった・・等々)は人々を分断します。恐れや憎しみを植え付け、たえず怯えて生きていくことを強要します。

でも、愛は人々を幸福で満たし、それぞれの世界を認め合い、尊重しあい、そして、互いに繋がりあうことができます。

分断ではなく愛を!

今、世界に真に必要なことだと思います。

 

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バシャール 3

2020-06-14 10:32:37 | スピリチュアル

3年ほど前に、ちょっと変わったサロンに参加したことがあります。そこで出会った人たちがやはりちょっと変わっていました。

ディヴァイン(いわゆる守護霊、ガイド)が見えちゃう人とか、インドで修業して悟ってしまった人の友人とか、インドの誰とかを崇拝している人とか、いわゆるスピ系の人たちですね。

すでにスピ系の話にはなじみがあったので驚きはしなかったのですが、その中の一人、Kさんの話はとても面白かった。

彼はインドで修業して悟りを開いた人の友人、という人です。Kさんによると、

世界というのは人それぞれ違う、というのです。どう違うかというと、

「たとえば、僕がA社という会社を立ち上げ、初めのうちは順調だったけれど、ある時不運に見舞われ会社が倒産して、僕は事業に失敗したとする・・

でも、あなたの世界では、A社は存続しており、僕は成功しているかもしれない。

あるいは、ここにきているSさんにとっては、会社は存続はしているが危うい状態であるかもしれないし、YさんにとってはそもそもA社は存在せず、僕は起業すらしていないかもしれない・・」

「ちょっと待って」と私は言いました。「それっておかしいでしょ?」

「あなたが立ち上げたA社は、あなたにとっても私にとってもSさんにとってもYさんにとってもA社であることに変わりはないし、成功したか失敗したかも同じ。違うの?」

すると、彼はいいました。

「違うんです」

ここからはちょっと説明が難しくなるのですが、

つまり、人にはそれぞれ独自の世界があって、その世界はその人自身が作り上げている(その人自身の投影である)というのです。

もちろん、周囲の人たちもその世界には存在し、互いに交流しあい、影響しあってはいるのだけど、基本的にその人の世界はその人自身が作ったその人だけの世界である・・。

わかったようなわからないような。

え、全然わからない?

私も全部理解したわけではないのですが、

これって、バシャールがいっている「パラレルワールド」じゃないかと思います。

つまり、彼がA社を立ち上げた時点で、世界は無数のパラレルワールドに分かれたのです。

A社で成功したKさん、A社で失敗したKさん、A社が傾きかけて危ういKさん、起業すらしなかったKさん・・・

無数のA社、無数のKさん、が枝分かれしてそれぞれ違う世界を形成する。

それぞれの世界にSさんやYさんや私がいて、それぞれの世界の中でそれぞれのKさんを見ている・・

(シュレジンガーの猫状態)

でも、世界が分岐してあまりに違う方向に向かうと、やがて互いに交流しなくなり、会うことさえなくなる・・

世界とはそういうものである・・

というのですね。

で、現在の地球は大きな分岐点に差し掛かっており、この先、針の穴のような狭いところを通過してポジティブな世界に移行する人たちと、現状のままネガティブな世界にとどまる人との世界に分かれていく・・とバシャールはいっています。

高次元の存在たちが地球の次元上昇を手伝いに来ている、ともいわれています。

それが事実かどうかというのは検証しようがないし、そもそも事実とは何かという観点から議論する必要があるでしょう。

私はそれが事実かどうか、というのはどうでもいいと思っています。

人がそれを信じるかどうかはその人次第。信じる人は信じればいいし、そんなもん信じられるかい、という人は信じなければいい。

それぞれ、その人の世界なので。

以前、ここにも書きましたが、9.11の同時多発テロの際、崩れ落ちるツインタワーの映像を見ながら、私はふと、

ああ、私はこっちの世界を選んでしまった・・

と思ったのですね。

とても強烈な印象だったのでよく覚えています。

そしたら、村上春樹が同じことをどこかで書いているのを見ました(どこで見たか忘れたけど)。

それを見て、ああ、同じことを感じている人ってけっこう多いのかもしれない、と思いました。

同時多発テロのような世界的な出来事には大きな分岐点があり、あの瞬間に、9.11が起きた世界と起きなかった世界に分かれたのかもしれません。

人間は潜在意識の中でけっこういろんなことを知っているものです。

意識の表面には昇らないけれど、自分で思うよりもはるかに深い知識というか知恵があるのですね。

その潜在意識の奥深くから、時折立ち上ってくる泡のように、そうしたことをふと思う瞬間があります。

ああ、私は9.11のテロが起きた方の世界を選んでしまった・・というように。

私たちは、私たち自身が思うよりもはるかに大きな存在であり、はるかに深い知識を蓄えた存在でもあるのだ、と思います。

未来のことも過去のことも現在のことも、今考えているよりはるかに多くのことを知っているし、わかっている、と思います。

だからどう、ということではないのですが、自分の世界は自分で作っている、という見方をすると、世界がまるで違って見えてくるのはたしかです。

すべての運不運、幸不幸は私自身が選んでいる。

私たちは車の助手席に座っているのではなく、運転席にいて車を運転しているのです。ハンドルを握っているのは私。

どこに行くか、どう行くかは私が決めるのです。

そう考えると人生が全く違って見えてくるのではないでしょうか。

そして、人生を自分の思う方向に向けることができるかもしれませんよ。

(おいらは生きてる猫にゃ)

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