「侍タイムスリッパー」以来、ちょっとした時代劇のマイブームが到来しておりまして、
時代劇観まくり月間となっています。
まずは黒澤明監督の「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」と観てきまして(いずれも若い頃に観ているのですがけっこう忘れてた)その後、
「壬生義士伝」「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」と続けて観ました。
いずれも邦画の名作であります。
私自身はもっぱら洋画(主に英語圏の)が好きなのですが、邦画もなかなかのものじゃのう、などと思っております。
時代劇では、当然ですが「侍」が登場します。
「侍」って何じゃろか?
袴をはき、チョンマゲ結って、腰に刀を差した独特の姿形をした男性のことですね。
江戸時代の身分制度で上位に位置する特権階級です。武士とも言います。
しかし、当時は士農工商の身分制度よりもはるかに下の階級がありまして、それが、
女性です。
男女間の身分格差は激しく、女は生まれながらに男より下の身分、男性に従属する者として扱われていました。
今もその名残が色濃く残っているのは残念なことですが、時代劇に登場する人々は、この厳しい男女間格差を当然のこととして受け入れて生きていました。
それが悲劇を生み、物語の陰影を濃くしているともいえます。
まあ、言ってみれば浪花節みたいなものですが、この浪花節、日本人にはなじみが深く共感しやすい心理構造で、私の中にも色濃く染みついております。
藤沢周平の文学などを読むと心揺さぶられるわけですね。
藤沢周平の原作による時代劇は数多く、今回観た中では
「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」がそうです。
この二作品、とてもいいです。心に響きます。
でも、この時代、女はここまで貶められていたのかと思うとやるせなくなりますし、今だにそれを引きずっている社会のありようにもやるせなくなりますね。
1月から始まったNHKの大河ドラマ「べらぼう」なんて、あろうことか吉原をテーマにした作品だというし。
吉原といったら江戸時代の風俗。この時代、お上公認の風俗店を集めた街があったわけです。
戦争中に、韓国の女性が日本兵により慰安婦として扱われたことが問題になっていますが、それを政府公認のもとで開業していたのが江戸時代の吉原という街なのです。
吉原には吉原の文化がある、などといいますが、その文化は大勢の気の毒な女性たちの犠牲のもとに育まれたものだということを忘れてはならないと思います。
さて、吉原はともかく、時代劇に登場する侍たちは皆、当時の社会の慣習に従って生きてきたわけで、
女性を蔑視するという発想すらなく、そういうものだと思い込んでいたわけです。
侍には侍の悲劇があり、農民には農民の、女性には女性の悲劇がある、というわけ。
まあ、理屈はともかく、こうした女性を男性より一段下に見る風潮というか、しきたりというか、慣習というか、文化というか・・は今も根強く残っているわけで、
それが物語に陰影を与えると同時に、私たちを少し前の時代に引き戻し、純粋に涙した後で、ハッと我にかえり、ああ、あの時代じゃなくてよかったと思ったり、逆に、あの時代に生きていたとしたら、私はどうしていただろうかと思ったりするわけです。
男性はこういうこと、思わないだろうなあ・・
同情はするかもしれないけれど、我が身のこととして痛切に感じることはないでしょう。
逆もまたしかり、なのですが。切腹とか、想像を絶する。
そこに、なんだか深くて暗い川があるような気がしないでも・・・
また、侍は常に腰に刀を差していますが、現代で言えば銃刀法違反、侍が二人以上集まれば凶器準備集合罪に当たるわけです。
しかし、江戸時代に実際に人を切ったことのある侍がどれくらいいたか、おそらく大半は一度も人を切ることなく、無事人生を終えたのではないでしょうか。
だとすると、
常に凶器を持ち歩く「侍」と言う存在は、実に大した人たちである、ともいえるかもしれませんね。
とまあ、時代劇を見ながらいろんなことを想像したり考えたりしています。
まだ観てない時代劇たくさんあるので、もうしばらく時代劇を観ようかと思っています。
またまた「侍タイムスリッパー」ですが、
今日3回目を観てきました。
何度観ても同じところで笑い、同じところで泣きます。
そして、最後は涙のうちに終わります。
3回目ともなるとさすがに飽きるんじゃないかと思ったけど、全然飽きなくて、もう一回観たいと思ってしまった。
特に最後の殺陣のシーンは圧巻で何回観ても感動的です。
会津藩の行く末を知ってしまった高坂新左衛門の胸中が、痛いほど伝わってきて、
それはもう号泣ものでしたね。
ところで、帰宅後YouYubeを見ていたら、「侍タイムスリッパー」が日刊スポーツ映画大賞で3冠授賞という快挙を成し遂げた、とありました。
日刊スポーツ映画大賞があったなんて知らなかった。去年の暮に授賞式があったようです。
これは本格的な映画賞で、ノミネートされた作品も一流の映画ばかり。
その中で「侍タイムスリッパー」は「八犬伝」や「PERFECT DAYS」など話題の新作映画を押しのけて、堂々の3冠に輝いたというのです!
主演男優賞:山口馬木也(高坂新左衛門役)
監督賞と作品賞:安田淳一
すごい快挙です!!
いやあ、本当にすごい作品です。
立川シネマシティではまだ上映されていますが、明日から夜間の上映になるようで、他でもそろそろ上映が終わるかと思われますので、まだの方はぜひ劇場に足を運んでください。
劇場で観ると、あちこちから笑い声が上がり、終わったあと自然と拍手が起きるなど、これまで映画館では味わったことのない光景が見られてとても楽しいです。
なんかね、寄席に行ったみたいな。
エンターテイメントって本来こういうものよね、という気がします。
関西の笑いのツボも私にはピッタリだしなあ。
もう一回観てもいいくらい。大好きな映画になりました。
日本アカデミー賞も取るといいなあ。
アマプラで配信されている映画、
「PERFECT DAYS/パーフェクトデイズ」(ヴィム・ヴェンダース監督 日本・ドイツ合作 2023年)
を観ました。
これ、役所広司主演の日本が舞台の映画なのですが、ヴィム・ヴェンダース監督作品です。
ヴィム・ヴェンダースといえば「ベルリン・天使の詩」が有名ですね。
その監督がなぜ日本を舞台にした映画を撮ろうと思ったのか・・
たしかに舞台は日本で、俳優はすべて日本人なのですが、視点がやはり外国人というか、日本人ではない視点で語られていて、面白いなあと思いました。
登場人物は多くない。ほとんど役所広司の独り舞台です。
彼は都内の公共トイレの清掃作業員。毎朝暗いうちに起きて、軽自動車で都内の公共トイレをまわってひたすら掃除して歩くのです。
それが延々と淡々と描写されます。
その合間に古いフィルム式カメラで木々や陰影を撮影するのが彼の趣味。あと神社の境内に生えているひこばえを神主の許可を得て持ち帰り、小さな器に移して育てている・・
そんな何気ない変化に乏しい日常が丹念に描写されます。でも彼の表情は落ち着いていて、時おり浮かべる微笑がいい。
彼が住んでいるのはボロい木造アパートで持ち物はごくわずか。毎日同じルーティンをこなしながらも、毎日は同じではなく、出会う人々もそれぞれ。
後半に至ってようやく、彼の来歴がそれとなく示され、
なるほど、だから彼はトイレ清掃作業員になったのねと納得はいくのですが、
映画の主眼はそこではない。
タイトルにパーフェクトデイズとあるように、彼は「今ここ」を大事にして生きているのですね。
他者と関わらないわけではないけれど、干渉はしない。苦言も呈さない。相手のためにできることはする。そうした姿勢がカッコいいといえばカッコいい。
でも、これって男の映画よね、と思った。
そして、何より外国人から見たある種の「侍魂」でもあるのかと。
日本てこんな風に見えているのか、という発見もあります。
こんな風に生きながらも、満足できる一瞬一瞬を持っているって、幸せよね、とも思う。
私たちは他人と世界を共有しながらも、それぞれが違う層を見て、違う層で生きている、
そんなことを言いたいのかなあとも思います。
いろんなメッセージが込められた映画です。
でも、やっぱり男の美学的な映画だなあ、
というのが私の感想でした。
今年の締めにちょうどいい映画でした。
私も来年はパーフェクトデイズを目指して生きていこうっと。
(おいらはいつもパーフェクトだぜ!)
「侍タイムスリッパー」の余韻はまだ続いています。
思い出すたびに楽しく幸せな気分になるので、予告編だのYouTubeだのを繰り返し見ては、本当にいい映画よねえ、と独りごちてます。
この余韻、まだしばらく続きそうです。
いろんな人が多方面から解説しているので、今更言うことなど何もないのですが、
私が強く感じたのは、やはり日本人のモノ造りの素晴らしさですねえ。
あの映画は、江戸時代の侍が現代にタイムスリップした悲喜劇であると同時に、映画製作者の話でもあります。
そして、ここには、日本のモノづくりの原点が描かれていると思いました。
以前、ここでも紹介しましたが、世界で初めて飛行機を造った二宮忠八や、ゼロ戦を設計した堀越二郎、そしてはやぶさを宇宙に飛ばしたJAXAのスタッフ、この人たちに共通するもの、それが、
「職人気質」
なのではないか。
安田監督が語った映画のテーマとは、「真剣の重さを映画で見せる」だったといいます。
インタビューの中で、高坂新左衛門を演じた山口馬木也が、役どころの難しさについてこう語っています。
本物の侍高坂新左衛門が竹光の刀で切られ役をしなくてはならず、真剣の重さを知っている彼は竹光の刀をどう扱ってよいか戸惑う。でも、新左衛門が持っている真剣もまた映画の小道具であるわけで、しかも映画の中でさらに映画を撮っているという何重にも入れ子構造になったストーリーでもあるわけで・・
最後のシーンは劇中劇の真剣勝負という設定なのですが、実際にはもちろん真剣を使うことはできず、ここで使っているのも竹光の刀で、その刀を真剣の勝負に見えるように演じるのが役者であり・・
「ぼくはアーティストというより職人だと思います。」
と山口馬木也は言います。
高坂新左衛門そのもののような、山口馬木也という俳優のまっすぐさ、真摯さがうかがえます。
その通りの人なんだろうなあ、と思って、彼のあり方、生き方そのものに共感し感動しました。
そして「職人気質」というのは、あの映画を創った監督および俳優陣やスタッフすべてに共通する気質なのではないか、とも思いました。
折から、日本のお家芸である自動車メーカーの不祥事が相次いで日本人の職人気質はどうなったんじゃろかと危惧していましたが、
どっこいまだ生きてるぞ、と実感できました。
アーティストではなく「職人」というのがいいよねえ。
私たちは、アーティストだの芸術家だのを持ち上げがちですが、モノを造る職人に原点回帰するのがよいのではないかとも思いました。
もちろん、アーティストや芸術家は素敵だけど、
小さな町工場で自動車やロケットの部品を造り続けている職人たちもすごい。
職人であることの誇りがロケットを宇宙に飛ばす原動力であるように、
職人であると自称する役者の存在が、素晴らしい映画を生みだすのだと今回実感しました。
というわけで、劇場公開が続いている間、もう一回観にいきたいと思っています。
年末で忙しいのだけど、スケジュール空けられるかなあ~
でも、観に行くぞ!