ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

「変面」にハマる

2022-07-29 12:53:55 | 日記

つまらないことをあげつらって我ながら恥ずかしいことだと反省しております。

ところで、最近YouTubeでこれを見つけて、すっかり虜になりました。

中国四川省の伝統芸能「川劇(せんげき)」の一つ「変面」です。

とにかく百聞は一見に如かず。

もうね、最初は一体何が起きたのかわからずあっけにとられました。

マジックか、と思ったのですが、マジックではなく中国の伝統芸能だというではありませんか。

一子相伝の秘術とか、中国の国家機密だとか・・

面(顔)というのは一番よくその人物を表す身体部分です。

その面がしょっちゅう変わる、という発想が面白い。

昔「怪人二十面相」という子ども向けのミステリーがあって夢中になったものですが、

まさに「怪人二十面相」を地で行くのがこの「変面」です。

面を変えると性格も変わるようで、

男性の面から女性の面に変わるとしぐさも変わり、またサルや猫のような動物の面もあって、

その動物らしいしぐさをします。

一度の舞いの中で多い時は10回くらい面が変わるのです。

客の目の前で変面する時は度肝を抜かれます。

一瞬のことなのでスローモーションで見ても仕掛けがわからない。

一体どうなってるんだろうかと何度もスローで再生したり、いろんな変面ショーを見てみたりと時間のたつのを忘れます。

そうこうするうちに、この曲が耳について離れなくなりました。(歌詞の意味はネットに出ています)

台湾の九扮で街に流れていた音楽と同じ曲調。

哀調を帯びたこの調べは、どこか日本の演歌にも通じるところがあります。

アジアなんだなあ、と思います。

というわけで、中国に行ってみたーい(病)に罹患しそうです。

とりあえず、どこかで「変面ショー」をやっていたら見に行きたい。

京劇なんかも見てみたいなあ。

世の中には私の知らない世界がまだまだたくさんあるのだなあと嬉しくなりました。

些末なことや雑用にかまけてる場合じゃないぞ、残り時間は多くない。

もっと楽しみを追及せにゃ。

私も「変面」してそろそろ別人格を表そうか、なんて思ったりもする今日この頃です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧風カレー屋「S」での出来事(2)

2022-07-28 13:54:28 | 日記

先日書いた国分寺の欧風カレー屋「S」での出来事について、

いろんな方からいろんなご意見やら感想やらをいただきました。

店の対応が酷いね、と言ってくださる方がいる一方で、

コロナ禍で飲食店は大変なのだから、もう少しその辺の事情を汲んであげてはどうか、というご意見も。

また、レストランというのは、安いけれど客の回転を速くして利益を出すタイプと、多少値段は張るけれど雰囲気を楽しんでもらうタイプの2種類があって、「S」は前者だろうというご指摘もありました。

でも、ラーメン店や牛丼屋のようなカウンター形式ならいざ知らず、「S」はごく普通のレストランなので、外見だけではどういう種類の店なのか全くわかりません。

しかも、値段だって決して安くない。CoCo壱やよくあるインド人経営のカレー屋さんと大体同程度の値段設定です。でも、CoCo壱やインド人経営のカレー屋さんで、あんな目にあったことは一度もありません。

思うに、外で待ち合わせをしている間に、次々客が来て店内が満席になるとしますよね、

すると、待ち合わせをした側はさらに待たされることになるわけで、

そんなら別の店に行こうとなるのは必然です。

そして、そんな店には二度と行くまいと思うのも必然です。

長い目で見たら、どっちが得かわかると思いますが、あの日の店長は、とにかく目先の客の回転だけを考えていたように思います。

そして、それをためらいもなく、客に対して主張したのです。しかも、つっけんどんな言い方で。だからこちらも腹を立てたのでした。

客だからと威張っていたわけではなく、一人の人間としてもどうかと思うような対応でした(思い出すだに腹が立つ・・)。

しかしながら、飲食店がコロナ禍で経営が圧迫されている中、あのような苦情を発信したことに対しては、私の側も反省すべきところは多々あると思い、タイトルの店名を削除することにしました。

今回の件でいろんな方々がいろんなことを言ってくださり、

人って本当に様々なのだなあと思いました。

飲食店を経営される方は、ぜひとも、何が原因で不評を買うかわからない、ということを肝に銘じていただければと思います。

えらそうなことを言ってすみません。

友人とのランチは気持ちよくいただきたい、ただそれだけです。

またご意見などありましたら、ぜひ聞かせてください。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧風カレー屋「S」での出来事

2022-07-25 16:06:58 | 日記

昨日は友人とランチの約束をして、午後1時に国分寺の欧風カレーの店「S」で待ち合わせをしました。

少し早く到着したので、もう一人来ます、と言ったら、店長(女性)が、

「待ち合わせは外でお願いします」

というじゃありませんか。

店内に空席あるし、外は35℃近い猛暑!

それでも、どうしても外で、というので、仕方なく外の椅子に腰かけて待ったけれど、汗がだらだら流れてくる。

おまけに友人が10分も遅れてきたので、私は外で15分も待たなくてはいけなかった。

待っている間にカップルが2組ほど、一人客も数人店に入っていったが、誰も外には出されていない。

なぜ私だけ外に出されたのだろうと不審に思っていたら、しばらくして、アルバイトらしきスタッフが出てきて、

「先ほどは満席だったので申し訳ありませんでした」

と言いにきた。でも、満席じゃなかった。確かに空席はあった。

結局、私たちはよその店でランチしたのですが、とにかく気分がよくない。

そこで、今日、店に電話をして店長に話しました。せめて「申し訳ありませんでした」くらいは言ってほしかったので。

ところが、店長はまずこう言ったのです。

「お客様の後からお一人の方が見えていたので、まずはそちらからと思いまして」

そんな人はいなかったと言うと、「いえ、いました。確かにいました」と言い張る。

小さな店なので店内で待ち合わせをされるとその間、お客が入れなくなる、回転が悪くなる、というわけ。

待ち合わせと称して30分もオーダーを待たされたことがあった。小さな店なのでそれは困る。待ち合わせは外でおねがいしますと外に貼り紙も出してある、等々。

「すみません」「もうしわけありませんでした」「暑い中、嫌な思いをされたことでしょう」

といった日本的なおもてなしの言葉は何一つ聞かれませんでした。

とにかく、つっけんどんな言い方で、自分の都合ばかり主張するのです。

これ以上言っても無駄と思い、電話を切りました。

一体私の何が気にくわなかったのか? あれが店の応対マニュアルなのか? 客をもてなすとか、思いやると言った姿勢が一切感じられなかったのは、コロナのせいなのか??? 

いろんなことを考えさせられました。

ちなみに、ランチをした友人というのは、私の日本語の生徒でアメリカ人のハンサムな青年です。

もしも彼の方が先に来ていたら、待ち合わせは外でおねがいします、と店長は言ったかしら??

婆さんなら外で待たせてもいいだろう・・という気持ちがほんの少しでもなかったかどうか、

ぜひ店長に聞いてみたいところだけど、もちろん否定するよね。

というわけで、国分寺の欧風カレー屋「S」には二度と行くまいと決心した昨日の出来事でした。

(ちなみに、店長から「コロナ」という言葉は一度も聞かれませんでした。密になるのを避けるため、という理由なら、わからないこともないのだけどね。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忙しい日々をどうやり過ごすか、について。

2022-07-21 19:19:44 | 日記

毎日いろいろあって、けっこう忙しく過ごしています。

継続中の案件がいくつかあるし、8月には手術の予定まで入ってしまい(リウマチで足指の変形が酷くなってきて、歩くのに支障をきたしてきたので手術を決断した)、

それまでに片づけなくてはいけない雑用も山ほどあってね。

「忙しい」という字は「心」を「亡くす」と書く、と言われる通り、忙しい日々が続くと知らないうちにストレスがたまるようです。

そこで、やれやれ今日も終わった・・と一息ついて何をするかというと、

それはもう、大好きな映画やドラマを見るに限る、というわけで、

最近私を慰めてくれているドラマを少しだけ紹介することにします。

相も変わらずだけど「きのう何食べた?」のシロさんケンジのカップルは大いに慰めてくれます(レシピ本も買った)。

同じく、西島秀俊が出ているドラマ「シェフは名探偵」もけっこう好き。

これを観て、タルトタタンを知り、食べてみた(セブンイレブンのだけど)。美味しかった。

それから、

「名探偵モンク」のちょっと頭のネジのはずれた探偵モンクの名推理。

そして、また、

「ミステリー・イン・パラダイス」

カリブ海の島、セント・マリー島で起きる殺人事件の数々と、

変人だけど謎解きだけはスゴ腕の刑事の話。

それから、

「アンブレラ・アカデミー」のシーズン3も面白かったなあ。

クラウスの変人ぶりがいいよねえ。

ヴァーニャはついにカミングアウトして、名前をヴィクターに変えたし。

と、こう見てくると、キーワードは「変人」なのかも。

私は、子どもみたいに好きなものは何度でも繰り返し観ます。

とことん観ます。もう飽きた、というまで観ます。

するとね、一度目ではわからなかった細部が見えてきて、

いろんなことがわかってきて、とても面白いのです。

一度じゃ理解できないので、何度も観る、というのが実情なのかもしれないが。

「名探偵モンク」なんてシーズン7まであって、全100話以上あるのだけど、3往復くらい見てます。

「ミステリー・イン・パラダイス」も今3回目を視聴中。

シーズン11と12が待ち遠しい。

というわけで、大好きなモノがあるという幸せを噛みしめています。

大好きなものは、私たちを大いに慰めてくれるし、いざというとき、

あの主人公ならどうするだろうか、などと考えるので、

人生の指針にもなります。

私の場合、ミステリーが好きなので、名探偵ならどう解決するだろうか、

と考えたりしてね。

ワクワクするものを用意して、とことん楽しむ、

すると、

気持ちが切り替わる。

それが、私流のストレス発散法です。

皆さんの参考になるかどうかわからないけどね。

ちなみに最近、Amazonのオーディブルに入ったので(7月25日まで3カ月無料)、

これからは本は「聴く」ことになりそうです。

子どもの頃ラジオにかじりついて聞いたラジオドラマの世界みたいで、これもすごく楽しい。

皆さんは極上の楽しみ、持ってますか~

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小さな家の思想/方丈記を建築で読み解く」長尾重武著

2022-07-09 10:46:39 | 

今回は、エッセイの会の仲間の一人である長尾重武氏が最近出された本、

「小さな家の思想/方丈記を建築で読み解く」(文春新書)

について、私が書いた簡単な解説と感想文を載せたいと思います。

長尾氏は武蔵野美術大学の名誉教授で専門はイタリア建築史とのことです。

以下の文章は合評会のために書いたものです。

小さな家の思想/方丈記を建築で読み解く』を読んで。

 「ミニマリズム」あるいは「ミニマリスト」という言葉は、最近になって流行りだしたと思っていたが、実は八百年も前に鴨長明が「方丈記」を書いた頃から連綿と伝えられてきた住居および人生についての思想だということが、この本を読んでわかった。

「方丈記」は原稿用紙にするとわずか二十枚ほどの短編だという。にもかかわらず、今もなお読み継がれている名作である。この「方丈記」を紐解くに当たって著者は、

「私の専門である建築の立場から『小さな家』というテーマで解読を試みまとめてみました」と「はじめに」に書いている。しかし、建築家という立場以上に、ここには著者の人生哲学が盛り込まれていて、非常に読み応えのある本だった。

 まずは、鴨長明の生きてきた時代と長明の経歴が詳しく語られる。  
当時の日本(十二世紀)では災害が多発した。「方丈記」の前半を占めるのはこの災害の記述であるという。「安元の大火」「治承の辻風」「福原遷都」「養和の飢饉」「元暦の大地震」の五大災害は「福原遷都」を除けばいずれも自然災害であり、当時の日本人がいかに自然の猛威に晒されていたかがよくわかる。そしてそれは、このエッセイのテーマである「人と栖の無常」につながり、「実は私たちの普段の日常も、こうした災害時のように危ういものだ」という無常観に行き着くのである。それはまた、東日本大震災を経験した私たちの現在と重なってくる。

 本の前半では、鴨長明の人物像が詳しく語られる。
 長明が生まれたのは十二世紀半ば(1153年頃)、保元・平治の乱の頃で、平安の貴族社会から鎌倉の武家社会への移行期であった。自然災害のみならず世の中も動乱の時代だった。
 長明の父は下鴨神社の正禰宜惣官(神社のトップ)の職にあったが長明が二十歳の頃に他界。神官の要職に就くはずだった長明の運命が、父の死により暗転する。しかも、二十五歳から三十三歳にかけて、相次いで五大災害が起き、彼の無常観はいっそう増していったことだろう。

 一方、長明は神官の職にはつけなかったものの、歌人として名を馳せた。勅撰和歌集に歌が載り、後鳥羽上皇や藤原定家に認められ、勅撰和歌集の編纂にも携わるようになり、歌人として円熟期を迎えるのだが、五十歳を過ぎた頃、突然出家する。
 後鳥羽院が長明を河合神社の禰宜に推薦しようとしたところ、長明の父が他界したときと同じように行く手を阻む輩が現れ、長明の神官就職はまたもや頓挫するのである。長明はこれに絶望し、出家したのではないかと著者は書いている。

 出家した長明は、大原に隠棲する。西行をはじめ多くの聖たちが住んだ場所である。ここで長明は方丈庵の構想を練り、最初の庵を建てた。五十六歳の時に、大原から日野山へ移って本格的に庵を結ぶ。これが方丈庵である。
 都から離れた山間に方丈庵を建て、そこを終の棲家とした。

 方丈庵の間取り、室内の様子、日々の暮らし等についても図入りで詳しく語られる。
「今、さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す」と「方丈記」にある通り、方丈庵は長明が最後にたどりついた理想の住居であった。
 方丈庵は車二台で運搬可能な組み立て式モバイルハウスである。現代のミニマリストに通じるミニマムな住居だ。

 都から離れた山間で周囲を豊かな自然に囲まれていたが、都から訪ねてくる客もあり、近所の子供との付き合いもあって、世捨て人ではなかった。長明は和歌のみならず管弦(音楽)もたしなんでおり、終の棲家での暮らしを楽しんだ様子が描かれる。方丈庵は往生のための住まいであり、同時に「死までの時間をいかに過ごすか」も重要なテーマであったという。

 相次ぐ災害と動乱の時代に翻弄され、波乱の人生を過ごしてきた長明が、最後に行き着いたのが方丈庵という小さな住まいだったのだ。

「方丈記は『死の形』を自らの小さな家で構想しえた一人の文人の、生の最終章のあり方を力強く述べた作品だといえます」と著者は書いている。そして、
「方丈記が読み継がれたことの本質はそこにあるのかもしれません」と結ぶ。

 これこそが、著者がこの本を通して最も語りたかったテーマではないかと思う。

 本の後半では、「方丈記」を離れて、方丈庵を継ぐ思想「数寄の思想」から、茶の湯、茶室に言及し、江戸期の芭蕉、良寛、北斎について語り、海外にも目を向けて、アメリカのヘンリー・ソローの「ウォールデン 森の生活」について述べ、「真に豊かな生活とは何か」を問いかける。そして、現代のル・コルビジェ等の建築についても考察し、現代のミニマリズムに至る、という構成である。

 私がかつて読んだ現代のミニマリストたちの本、たとえば、ゆるりまい著『わたしのウチには、なんにもない』にも「方丈記」と共通するコンセプトがある。東日本大震災を経て、モノであふれた家を見直し、日常を見直す機会を得たというのだ。この本だけでなく、人間に必要なモノは何なのかと自らに問いかけ、最小限のモノで暮らすことを始めた若い人たちが、昨今大勢輩出している。

 鴨長明の「方丈記」のDNAはこうして現代の若者たちにも受け継がれており、それはまた、私たち団塊の世代の終の棲家を考えるきっかけにもなる重要な課題である。

 住み処について考えることは、生きるということについて考えることであり、終焉について思いを巡らせることでもある。 
 災害の多い日本に住むからこそ見えてくる、生きるとは何か、という大きなテーマが、鴨長明の人生を通して語られていて、非常に好感が持てる。それはいつの時代も変わらない大きなテーマなのだと私たちに教えてくれる。

エッセイの会での長尾氏は、ダンディーでユーモアのある素敵な紳士です。

興味のある方はぜひ読んでみてください。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする