ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

あるヨギの自叙伝

2020-07-26 14:48:49 | スピリチュアル

前回お話した成瀬雅春氏の本を読んでからというもの、すっかりインドにはまり込んでしまいました。

そして、ついにあの大著「あるヨギの自叙伝」を購入しました。

「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著 1983年 森北出版)

パラマハンサ・ヨガナンダ(1893年~1952年)は、インドのヨガ行者でありヨガの指導者。世界じゅうに大きな影響を与えた人である、といわれています。

これがねえ、めっちゃ面白い。日本語の翻訳も見事で、すらすら読み進めることができますが、内容があまりに濃いので一気に読むのはもったいない気がしています。

かのスティーブ・ジョブズが彼のiPadに入れていた唯一の本がこれだったとか。またビートルズが一時ハマったのも、このヨガナンダというヨガ行者でした。

もうね、のっけから超常現象や超能力のオンパレード。

片腕を切られて腕がブラブラしている状態の聖者が、翌日にはすっかり傷が癒えて何もなかったかのようになっていたり、同時に2か所に出現したり・・

インドという国は、なんちゅう国なんだ、とびっくり仰天の連続です。

これ読んだら、キリストの奇跡なんて日常茶飯事、お茶の子さいさい。奇跡が実際に起きたのかどうかと議論することすらバカげている、それくらいごく普通のことのように書かれています。

もちろん、信じるかどうかはあなた次第というわけで、これは単なる宗教的説話であると捉えれば、面白い「お話」で済まされてしまうのかもしれませんが、

成瀬氏の空中浮揚の本を読んで以来、私はこれは実際にあったことではないか、と思うようになりました。

これをどう解釈するか、事実かどうか、ということよりも、人間とは何か、この世界とはどういうところなのか、と問い詰めていったとき、ここに一つの明確な答えがあると思うからです。

昔、ロブサン・ランパという人の書いた「第三の眼」という本がえらく面白かったのを思い出しました。これもまた30年くらい前のことです。

この「第三の眼」を書いた人は、実はイギリス人で、この本は実話ではなく、フィクションであると後に暴露されて、なんだフィクションだったのか、とがっかりしたのですが、

成瀬氏によると、このイギリス人は実在の人物であるロブサン・ランパと一種のテレパシーというかチャネリングを通してこの話を書いたそうです。

でも、昔はチャネリングなどオカルトじみた話はフェイクであると切り捨てられていたので、この本もまたフィクションに違いないと断定されたのでしょう。

でも、成瀬氏の本、および「あるヨギの自叙伝」を読み進めていくにつれて、「第三の眼」もまた事実なのではないか、と思うようになりました。

こうした超常現象は現代の科学では解明できないので否定される傾向にあるようですが、

実は、この世界には不思議がいっぱい詰まっているのではないか、
少しだけ視点を変えれば、こうした奇跡はけっこう頻繁に起きているのではないか、そんな気がします。

人間の五感なんて当てにならないものだし。その人間が作り出した科学って、どこまで世界の事象を解明できるのだろうか。科学って、まだまだすごく未熟なものじゃないでしょうか。

前回書いた「壁の中」の話のように、もしも生まれた直後からまったく別の環境を与えられたなら、人間はとてつもない能力を開花させるかもしれない。

その一端がヒマラヤ聖者たちの超能力や超常現象を起こす力なのではないか、と思うのです。

というわけで、しばらくはこの分厚い本「あるヨギの自叙伝」を読みふけり、さらにヒマラヤの奥深くに分け入っていこうかと思っております。

ちなみに、「スターウォーズ」に登場するヨーダもまたヒマラヤ聖者がモデルなのではないでしょうか。

「ヨーダの格言」で検索するといろんな言葉が出てきます。私は「スターウォーズ」フリークなので、フォースやヨーダから、いずれはここに来るはずだったのだと思うのですが、ずいぶん時間がかかったなあ。

というわけで、ヨーダの格言から幾つか紹介しちゃおうかと思います。

彼の英語は文法がめちゃくちゃなのでわかりにくいのですが、一説によると、日本人の英語を真似したのだとか。ヨーダという名前も日本人の名前からとったのだとか・・。

 

《ヨーダの格言》

Named must your fear be before banish it, you can.
訳:自分の恐怖を追い払ってしまうのではなく、深くよく理解するのだ。

Fear leads to anger,anger leads to hate,hate leads to suffering.
訳:恐怖は怒りの感情へと導き、怒りは憎しみの感情へと導く。そして憎しみは苦しみに導くのだ。

Anger,fear,agression. The dark side of the force are they.
訳:怒り、恐れ、攻撃性こそが、フォースのダークサイド(暗黒面)だ。

Train yourself to let go everything you fear to lose.
訳:おのれの心を鍛えて、失うことへの恐れを取り払うのだ。

You must unlearn what you have learned.
訳:これまで学んだこと覚えたことを全て棄てるのだ。

Already know you, that which you need.
訳:何が必要かは、すでに分かっているはずだ。

Many of the truths that we cling to depend on our point of view.
訳:私たちがしがみついている真実などというものは、物の見方次第なのである。

Attachment leads to jealousy.The shadow of greed that is.
訳:強い執着は嫉妬に通じる。そして欲望の影が忍び寄ってくる。

In a dark place we find ourselves,and a little more knowledge lights our way.
訳:暗闇に閉ざされた時には、少しの知識が光となって照らしてくれるのだ。

To be Jedi is to face the truth,and choose.Give off light,or darkness,padawan.Be a candle,or the night.
訳:ジェダイになるということは、真実に対峙して選択することである。光、あるいは闇を放つのだ、パダワン。キャンドルとなるか、あるいは夜になるかなのだ。

May the force be with you.
訳:フォースと共にあらんことを。

Meow the force be with you!

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空中浮揚(2)

2020-07-22 11:44:48 | スピリチュアル

 

 

「空中浮揚」を書いた成瀬雅春氏の本、第二弾。

「時間と空間、物質を超える生き方」(成瀬雅春著 ヒカルランド 2015年)

これもえらく面白い本です。

成瀬氏が最初にチベットを訪れたのが1977年。それから何度もチベットに行くことになるのですが、本の前半では、その間の様々な出来事を書いています。

インドのある村では、800年前の彼の前世の残留思念を感じたり、400年以上生きているエミール氏とコンタクトしたり、エミール氏がルンゴムという空中歩行術を使って十人余りの村人を率いて大きな川を渡ったことを知ったり、氷河で瞑想するためにツンモという体温コントロール法を用いたり、僧院で瞑想中に突然彼の体が床から浮き上がったりと、もう超常現象のオンパレード。

それをごく普通のことのように語る成瀬氏はやはり只者じゃない。

でも、ヨーガ行者にとっては、特段珍しいことではなく、ヨーガの修行を極めると、空中浮遊はもちろん、空中歩行も壁抜けもできるし、精神性が高くなると肉体は希薄になるといいます。

だからエミール氏は400年も生きているというのです。肉体を持った存在ではなく、すでに希薄化した存在として。

このあたりは、バシャールはじめ高次元の存在たちと同じですね。

地球は振動数(波動)の低い物質的な次元にとどまっているが、精神性を高めて振動数を上げていくと肉体は希薄になる・・
だから他の星から来た宇宙人たちには肉体を持たない者もいる・・

ヘミシンクで幽体離脱を繰り返している坂本政道氏も同じことをいっています。

まあ、信じるか信じないかはあなた次第・・というわけですが、私は信じる方です。

だって、宇宙はこんなに広いのだもの。地球の他に生命のいる星があるに決まっている。

小さな地球の上で、小さな国同士が争ってどうする、領土や資源を奪いあい、殺しあってどうする、とずっと思っていました。

でも、争うのが人間なのですね。それが人間の常で、それを経験するために、私たちは肉体を持つ存在としてここに生まれてきたのだと思います。

残念ながら、今の人類は、物質世界がすべてで、お金がなければ生きていけないと思い込まされています。

でも、人間は本来もっと大きな存在なのではないか。もっと可能性に満ちた存在なのではないか・・

その通りだ、とこの本は教えてくれます。

本の後半では、「空中浮揚術」について詳細が書かれています。これもすごく面白い。

インドでは3メートルもの高さで空中浮揚する人もいるそうです。

「ヨーガによる超常現象をシッディと呼びますが、シッディはヨーガ行者がヨーガを実践していく過程でごく普通に身につく能力です。・・」

「瞑想力が高くなると、自分が一人の人間であるという執着から離れられるのです」

「『人間』の視点で物事を捉えていると、自在に奇跡を起こすことはできません。」

「牛の視点、アリの視点、植物の視点、鉱物の視点、大気の視点、宇宙的視点を持つことで、人間離れした奇跡を起こすことが可能なのです」

「ヨーガの瞑想力があれば、国家を動かすぐらいは簡単なことです」

でも、一方で、

「奇跡を起こすには、『必然性』『必要性』が不可欠です」

とも言っています。

超常現象はヨーガの修行の一つに過ぎない。それができたからといって修行は終わりではない、その先に行かなくてはいけないのだと。

ともかく色々な意味で面白いし、興味深いし、そうなんだろうなあ、と深く腑に落ちる感覚があります。

「自分の人生に対するあらゆる答えは、外部にはありません。自分をしっかりと見据えることで、自分自身の内奥から、すべての答えが得られるのです」

「人生の最大の謎は自分。生涯をかけて知っていくべきことが「自分のこと」なのです」

ヨーガというのは自分自身を知ること。

すべての答えは自分の中にあるのですね。

なぜかふと「千と千尋の神隠し」のテーマ曲を思い出しました。

  はじまりの朝の 静かな窓 
  ゼロになるからだ 充たされてゆけ  

  海の彼方には もう探さない
  輝くものは いつもここに
  わたしのなかに 見つけられたから
    (「いつも何度でも」木村弓)  

いやあ、人生って面白いなあ。

 

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アウトブレイクー感染拡大ー(ドラマ版)

2020-07-19 10:32:38 | 映画

 

映画の「アウトブレイク」(1995年)についてはすでに書きましたが、今日紹介するのは2019年にカナダで作られたドラマ版の「アウトブレイクー感染拡大ー」です。

これは新型コロナが流行する前に作られたドラマである、という点が重要。まるで今の状況を見てきたかのようなパンデミックの様子が描かれているからです。

「カナダでの第1話の初O.A.は今年1月7日で、日本での新型コロナウイルス感染者が確認された日から遡ること10日前。撮影は2019年で、中国で最初の感染者が発見されるよりも前だが、現在の世界の現状を“予言”していたかのように正確でリアルな描写の数々に、誰もが驚かずにはいられない。」(CINEMA CAFE NETより)

舞台はカナダのモントリオール。
緊急衛生研究所の所長であるアンヌ・マリー・ルクレールが主人公。ホームレスのイヌイットたちの間で謎の風邪(新型コロナウイルスであると後に判明)が蔓延して亡くなる人が続出している。その原因を突き止めようと動き出すアンヌ・マリーだったが、彼女は夫マルク(医師)との間に問題を抱えていた。マルクは同じ病院で働く医師クロエと浮気をしていたのだ。

アンヌ・マリーとふとしたきっかけで知り合ったイヌイットのネッリ(後にアンヌ・マリーと共に働くことになる)の従妹アラシーが謎の風邪で死ぬ。

ホームレスのイヌイットの間で流行している病気なので「イヌイットのウイルス」と人々は呼びイヌイットたちを排斥するが、アンヌ・マリーたちはその原因を突き止めようと必死になる・・

こうして、アンヌ・マリーを中心として、
初期のウイルス犠牲者であるアラシーとその従姉ネッリ、何かと圧力をかけてくる公安大臣とそのパ-トナー(ゲイカップル)、この二人の子どもの代理母を務める女性など、多数の人が登場しますが、一人ひとりを実に丁寧に描いています。

最初は少し冗長に感じたけれど、人物たちの関係が明らかになっていき、感染が拡大していくにつれて、すっかりハマってしまいました。

感染源はどこなのか、誰がどういう経路で感染していったかを、衛生研究所の人たちは克明に追いかけます。一人ひとりの行動が感染に深くかかわっているからです。

感染源と感染経路を克明に追えば、感染拡大は確実に防げるとアンヌ・マリーたちは考えます。今の東京の現状を見るとよくわかりますね。東京はもう遅いけど。

イヌイットのことはほとんど知らなかったのですが(アジア系の人たちだと思った)、彼らはアメリカインディアンのように先住民であるにもかかわらず差別され、ホームレスになるなど、社会の中で隅に追いやられています。最初の感染者たちはこのホームレスの中から出ます。

カナダというと何となくクリーンなイメージがありますが、実はアメリカとそう変わらない差別社会であるようです。

このドラマは、パンデミックに至るまでの人々の描写が実に的確です。
たとえば新型コロナ(CoVAと呼ばれるウイルス)を「イヌイットのウイルス」と呼んだり、アラシーは病院で長時間待たされた挙句死んでしまったり、また病院のマスクを大量に盗んで転売する看護師がいたり、病気のフェレットを騙して売りさばいたりと、結局ウイルスを蔓延させるのは人間であることが実によく描かれています。

人々のエゴと欲望がウイルスの蔓延を促しているというわけ。
人間はどこでも似たようなことをします。おそらく他の国々でも似たような経路をたどって感染が拡大していったのではないでしょうか。

シーズン1は感染源が明らかになったところで終わりますが、シーズン2もあるようなのでぜひ見たいと思っています。

アンヌ・マリーが実にプロに徹していて見事です。
彼女に比べると夫のマルクのダメさ加減は目を覆うばかり。見た目はカッコいいけど優柔不断でとことん自己中。三人の女たちを次々乗り換えてしかもまだ甘えようとしている。ダメ男の典型。
というわけで女性には溜飲の下がるストーリーです。

興味ある人はぜひ。

 

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空中浮揚

2020-07-15 12:43:21 | スピリチュアル

先日、イングリッシュカフェ(英会話ができるカフェ)で「ヨガ」が話題になり、ふと昔読んだこの本のことを思い出しました。

「空中浮揚」成瀬雅春著(1992年 出帆新社)

著者の成瀬雅春氏はヨガ行者で、長年インドで修業してきた人です。

インドのヨガの教典の中には、空中浮揚の他、水上歩行、空中歩行、壁抜けなどがあるそうです。

成瀬氏が言うには、空中浮揚するには、自分の意識で部屋を満たすのだとか。
空中1メートルのところに座ったまま浮揚している写真があります(本の表紙写真)。これはジャンプではなく、空中に数十秒間浮揚していた時の写真だそうです。

そして、空中2メートルまで浮揚し、降りてくるとき、彼の体は透けて見えます。その写真も載っています。

彼自身の意識で部屋を満たすということは、彼自身が部屋じゅうに広がっている感じなのだそうです。だから半透明にもなる。

彼はYouTubeの動画の中でこう言ってます。

今は人間の精神性が後退し、物質至上主義になってきているので、自分の意識に目を向けることがなくなってきた。私たちは肉体があると最初から認識している。しかし、そういうのが希薄になると、壁をすり抜けることもできる。

ヨガというのは自分を知ること。自分のことを知れば知るほど、他人のこと、社会のことが見えてくる。

私たちは常に「今」に生きている。今以外の時はない。

命を大切にして、人生を楽しむこと。
楽しむとは、辛いことも苦しいことも全部楽しむことだ・・。

この本を読んだとき、すごく興奮したものです。そうか、人間というのは意識なのか。意識を変えればこの現実も変わるのか。

バシャールもそういってますね。

もちろん、そんなに簡単には変わらない。つまり、そう簡単には変わらないという意識が刷り込まれているため、簡単ではない。

これも昔読んだ本ですが、シオドア・R・コグスウェルのSF小説、

「壁の中」The Wall around the World (1962)

を思い出しました。

壁に囲まれた世界で育った少年が壁の外へ脱出を試みる話ですが、この壁の中の世界というのは魔法の世界でした。ほうきで空を飛ぶことも、空中浮揚することもできる。

もしもこの「壁の中」のような世界がどこかにあるとしたら、そこでは少年たちは自由自在に「魔法」を操ることができるのかもしれません。

世界のあり様というのはこれまでも何度もいってきたように、とてもフレキシブルなものではないかと改めて思います。

そして、自分を知ることによって、他人も社会も見えてくる・・。

なんだかわくわくしてきませんか。

YouTubeに成瀬雅春氏の動画があるので、興味のある方は見てみてください。

いやあ、人間てすごい。そして、世界ってほんとに面白い場所だなあ。

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セデック・バレ

2020-07-12 12:46:40 | 映画

 

またまた台湾映画の超大作を見てしまいました。

「セデック・バレ」 
 第一部 太陽旗・第二部 虹の橋
(魏徳聖ウェイ・ダーシェン監督 2011年)

ウェイ・ダーシェン監督は「KANO1931海の向こうの甲子園」の脚本家でもあります。

第一部、第二部合わせて4時間半という長編にも関わらず、一気に見てしまいました。

なにしろ映画製作にかける情熱がビンビン伝わってきて、観る者を釘付けにしてしまうからです。

嘉義農林が甲子園に出場したのが1931年、ほぼ同時期の1930年に台湾で起きた霧社事件という抗日蜂起事件を題材にした一大スペクタクルです。

私はこの事件自体知らなかったので、とても勉強になりました。

日本人なら見ておくべき映画です。

日清戦争が終わり、台湾が日本に割譲された1985年から1945年までの50年間、台湾は日本の統治下にありました。

当時はまだ、大陸からやってきた漢民族より土着の原住民の方が多かった時代で、特に山岳地方には高砂族と後に呼ばれるようになる蕃人たちの部族が群雄割拠していました。(追記・訂正参照)

彼らは自分たちの狩場を守ることこそが、先祖から伝わる「掟(ガヤ)」であると信じていました。
対立する部族や侵入者を容赦なく切り捨て、頭部を持ち帰ることで、一人前の男であると認められ、顔に入れ墨を施されます。いわゆる首狩り族ですね。

首狩りは、先祖から言い伝えられてきた習わしであり、彼らの掟であり、宗教儀式でもあります。そして、伝説と共に子どもたちに受け継がれていきます。

彼らの生活様式は(首狩りは別として)アメリカインディアンやNZのマオリ、オーストラリアのアボリジニ、日本のアイヌに通じるところがあります。自然の中で自然と共存しつつ、自分たちが必要とする分だけ狩りをする、そういう生活をしている人たちです。

中でもセデック族のモーナ・ルダオは部族の頭でありヒーローでありました。

ストーリーはこのモーナ・ルダオを中心にセデック族の人たちの暮らしぶりが日本の統治下で変化していき、その結果、彼らがついに日本人の圧政に耐えかねて蜂起せざるをえないところまで追い込まれていく、その様子を描いています。

第一部は、モーナたち蕃族(とかつて日本人が呼んでいた高砂族)の部族抗争の時代から、日本が「文明」を持ち込み、彼らの狩場を占拠して彼らを奴隷のように扱うようになった時代へ、そして、ついに、モーナたちが蜂起するまでを描きます。

ここで描かれる日本人は、「KANO」で描かれた近藤監督のような心の広い人たちではなく、傲慢で狭量であからさまに蕃人を蔑み、力で抑えつけようとする人たちでした。

この後、太平洋戦争に突き進む中で、こうした傲慢で卑劣な将校たちが多数輩出し、相手国のみならず日本人兵士をも虐待するということが頻発していきます。戦争というのは人間の最も卑しむべき部分を増大させるようです。

モーナは対立していた部族に団結しようと呼びかけますが、集まったのは6部族300人のみ。なぜ勝ち目のない戦いをするのかと問う者もいました。

「死んで何が得られる?」と問われてモーナは答えます。
「セデックの誇りだ!」

「文明が我々に屈服を強いるなら、俺たちは蛮族の誇りを見せてやる」

そしてついに、彼らは日本人の運動会に乗じて、日本人を悉く惨殺し斬首する「血の儀式」を決行するのです。

第二部は、この霧社事件の後の日本の反撃を描きます。日本は彼らに毒ガス攻撃をし、空から爆弾を落とし、彼らを山の中に追い詰めていきます。そして、彼らは女子どもと一緒に自害していく、そうした様子が描かれます。

悲劇に終わりますが、彼ら自身は掟に従い誇り高く生きたので、言い伝えにあるように虹の橋を渡り、先祖に温かく迎えられる、という結末。

第一部で、モーナが川辺で亡き父の霊に会い、共に歌うシーンはとても美しいです。

世界じゅうで、今、文明が岐路に立たされている気がします。

物質文明は結局のところ、人を幸せにはしないし、小さなウイルスで滅んでしまう脆弱な人間を作っただけかもしれない、とも思います。

モーナ・ルダオの精悍な顔つき、山岳地帯を駆け巡って狩りをして暮らしてきた彼らの身体能力の高さは、文明人には遠く及ばないものです。

でも、たった一つの爆弾で、その彼らを殲滅させることはできる。それが文明というものの正体なのかもしれません。首狩りと爆弾、どっちが野蛮だろう。

かなり血生臭く骨太でグイグイ迫ってくる映画なので、心して挑戦してみてくださいまし。

見ごたえあるよ。

(追記・訂正)
台湾では18世紀から19世紀にかけて大陸から移住してきた漢民族が増えていったそうです。なので「大陸からやってきた漢民族より土着の原住民の方が多かった」という記述は不確かです。また原住民の部族は高砂族の他にも多数あったそうです)

 

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