今日は一周年の記念日です!!
でもまだ一年だからねえ。
記念日というほどじゃないけどね。
一年が過ぎたということは、
これからも時間はどんどん過ぎていくということで、
それが目の前に現実としてつきつけられている気がします。
つまり、余生はそう長くはないと。
団塊の世代(昭和22,23,24年生まれ)の22年組は今年70歳を迎えます。
私はまだ少しだけ猶予があるけど、いずれ迎えます。
60歳になったとき、
ああもう婆さんなんだ、とがっかりしたものですが、
今から思えば60歳なんてまだまだ若い未熟者。
ということは、
70歳になったとしても、80歳から見ればまだまだ若い未熟者。
80歳になったとしても、100歳から見れば、まだまだ若い未熟者。
100歳になったとしても、120歳から見ればまだまだ若い未熟者・・
人間、成熟するにはどれくらいの時間が必要なんだろうと考えたとき、
永遠に生きるしかないのではないか、
という結論に達するような気がします。
だから一度死んで、また別の生を生きて、
その繰り返しで
魂は少しずつ成熟していく、
というシステムになっているのかもしれない。
それが自然なあり方のような気がします。
人生は一度きり、とよく言うけれど
一度きりにしては、人生はあまりに短い。
猫なんて20年も生きられない。
昆虫なんてもっと短い。
この身体は永遠じゃないし、
この身体で永遠に生きたいとも思わない。
ならば、いろんな時代のいろんな人生(猫生も?)を
生きてみるのも面白いんじゃない?
ただ一点、
前世を忘れてしまうのはあまりに惜しい。
何とかして覚えている方法はないものだろうか。
前世の記憶装置。
霊感がなくても前世が見える、思い出せる、
そして、来世も選べる。
そんな装置があったなら、
世界はもう少し楽しい場所になるかもしれない。
一度きりだと思うから、欲張りになるし、
他人を蹴落としてもいい思いをしようとするし、
何かにしがみつくし、
戦争だって起きるのです。
ああ、でも、だからこそ、
もしかすると、
人生は美しいものにもなりうるのかもしれないね。
などということを
ちょっと考えたのでした。
それではみなさん、おやすみなさい。