歯医者に行ってきました。
定期検診と歯垢除去ですが、この歯医者さん、なかなか面白い人で、
行くたびにいろんな発見があります。
前回は交感神経と副交感神経について話してくれました。
花粉症の人は副交感神経優位なので、交感神経優位にすると花粉症が治まるとか・・
今日は打って変わって、国分寺南口界隈の喫茶店や飲み屋についての世間話。
南口といえば、あそこにピーナッツハウスっていう店があるの知ってますか?
先生がそう言ったとたん、私はたちまち半世紀前の学生時代に引き戻されました。
当時、私は東京経済大学経済学部二部の学生でした。
(東京経済大学は国分寺の南口にあります)
二部というのは大学の夜間部のことです。
昼間働いて、夜になると大学に通っていました。
それを四年間続けたのですが、
二部の学生たちも、授業が終わるとやはり街に繰り出していきます。
授業が終わるのが大体10時過ぎなので、それから行く場所は限られていますが、
(当時の国分寺界隈といったらまるで田舎でした)
その一つがピーナッツハウスでした。
今も残っているのが驚きです。
でも、私たちゼミ仲間がよく行ったのは、もっと南に下がったところにある小さなパブでした。
美人の若いママさんがやっているパブで、
T君やYさんとよく行ったものです。
たしか、T君がママさんにぞっこんだったようで、
飲みに行こうとなると、決まって、じゃあそこに行こうよ、となったのでした。
遠い昔のことで、パブの名前は忘れてしまったけれど、
仲間たちのことは鮮明に覚えています。
当時の学生は皆貧乏でした。
田舎から上京してきて働きながら大学に通っていた人も多く、
働き口はなかなか決まらず、給料も安く、途中で大学を辞めていく人が大半で、卒業できた学生は入学時の3分の1ほどでした。
私は公務員だったので、すごく恵まれていたのですが、
それでも、独り暮らしの生活費と学費を賄うのは容易ではなかった記憶があります。
毎年学年末試験までに学費を払い込まないとテストが受けられないのですが、
テスト前日にぎりぎり学費を納めて、ようやくテストが受けられたとか、
肉屋で肉を50グラム買おうとして断られたとか、
銭湯の時間に間に合わず、何日も風呂に入れない日が続いたとか、
同じクラスのK君にお金を貸してほしいと頼まれ、
必ず返すから、お願いだからと頭を下げられ、5000円貸したけど、
ついに戻ってこなかったとか、
その時のK君のうつむき加減の顔とか、
F君が彼女と同棲していたけど妊娠してしまったみたいだ、どうしようと相談されたこととか、
まあ、
いろいろあったなあ・・
けっこう面白い学生生活だったなあ・・と
本当に久しぶりに思い出したのでした。
おかげで、
口を開けて歯をいじられても、ほとんど気にならず、
ただただ昔の思い出にふけっていられたのでした。
きっかけはいつ訪れるかわかりません。
何気ない一言がきっかけで、たちまち昔に引き戻され、当時のことをありありと思い出していた・・
なんていう経験は誰にもあると思います。
そのときに、メモを取っておくといいかもしれません。
ピーナッツハウス、学生時代・・
と私はメモしました。
すると芋づる式に次から次へと思い出されてくるものです。
記憶とは不思議な構造をした建物みたいで、
必ずしも、一階の正面入口から入る必要はなく、途中階や最上階から、あるいは地下室からでも入りこめるようです。
大事なのは、いつも網を張り巡らせて、
記憶の波をとらえ、たとえ小魚でも逃さないようにすることです。
すると、小魚を追ってきた大物が網にかかるかもしれません。
あるいは、雑魚ばかりかもしれないけど、
その雑魚も貴重だったりします。
記憶の迷宮をさまようのも、
たまにはいいかもしれません。
どんな魚が網にかかるか楽しみですね。
定期検診と歯垢除去ですが、この歯医者さん、なかなか面白い人で、
行くたびにいろんな発見があります。
前回は交感神経と副交感神経について話してくれました。
花粉症の人は副交感神経優位なので、交感神経優位にすると花粉症が治まるとか・・
今日は打って変わって、国分寺南口界隈の喫茶店や飲み屋についての世間話。
南口といえば、あそこにピーナッツハウスっていう店があるの知ってますか?
先生がそう言ったとたん、私はたちまち半世紀前の学生時代に引き戻されました。
当時、私は東京経済大学経済学部二部の学生でした。
(東京経済大学は国分寺の南口にあります)
二部というのは大学の夜間部のことです。
昼間働いて、夜になると大学に通っていました。
それを四年間続けたのですが、
二部の学生たちも、授業が終わるとやはり街に繰り出していきます。
授業が終わるのが大体10時過ぎなので、それから行く場所は限られていますが、
(当時の国分寺界隈といったらまるで田舎でした)
その一つがピーナッツハウスでした。
今も残っているのが驚きです。
でも、私たちゼミ仲間がよく行ったのは、もっと南に下がったところにある小さなパブでした。
美人の若いママさんがやっているパブで、
T君やYさんとよく行ったものです。
たしか、T君がママさんにぞっこんだったようで、
飲みに行こうとなると、決まって、じゃあそこに行こうよ、となったのでした。
遠い昔のことで、パブの名前は忘れてしまったけれど、
仲間たちのことは鮮明に覚えています。
当時の学生は皆貧乏でした。
田舎から上京してきて働きながら大学に通っていた人も多く、
働き口はなかなか決まらず、給料も安く、途中で大学を辞めていく人が大半で、卒業できた学生は入学時の3分の1ほどでした。
私は公務員だったので、すごく恵まれていたのですが、
それでも、独り暮らしの生活費と学費を賄うのは容易ではなかった記憶があります。
毎年学年末試験までに学費を払い込まないとテストが受けられないのですが、
テスト前日にぎりぎり学費を納めて、ようやくテストが受けられたとか、
肉屋で肉を50グラム買おうとして断られたとか、
銭湯の時間に間に合わず、何日も風呂に入れない日が続いたとか、
同じクラスのK君にお金を貸してほしいと頼まれ、
必ず返すから、お願いだからと頭を下げられ、5000円貸したけど、
ついに戻ってこなかったとか、
その時のK君のうつむき加減の顔とか、
F君が彼女と同棲していたけど妊娠してしまったみたいだ、どうしようと相談されたこととか、
まあ、
いろいろあったなあ・・
けっこう面白い学生生活だったなあ・・と
本当に久しぶりに思い出したのでした。
おかげで、
口を開けて歯をいじられても、ほとんど気にならず、
ただただ昔の思い出にふけっていられたのでした。
きっかけはいつ訪れるかわかりません。
何気ない一言がきっかけで、たちまち昔に引き戻され、当時のことをありありと思い出していた・・
なんていう経験は誰にもあると思います。
そのときに、メモを取っておくといいかもしれません。
ピーナッツハウス、学生時代・・
と私はメモしました。
すると芋づる式に次から次へと思い出されてくるものです。
記憶とは不思議な構造をした建物みたいで、
必ずしも、一階の正面入口から入る必要はなく、途中階や最上階から、あるいは地下室からでも入りこめるようです。
大事なのは、いつも網を張り巡らせて、
記憶の波をとらえ、たとえ小魚でも逃さないようにすることです。
すると、小魚を追ってきた大物が網にかかるかもしれません。
あるいは、雑魚ばかりかもしれないけど、
その雑魚も貴重だったりします。
記憶の迷宮をさまようのも、
たまにはいいかもしれません。
どんな魚が網にかかるか楽しみですね。