「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
というのは、私の世代の「君の名は」の冒頭の台詞です。
1952年から始まった菊田一夫脚本のNHKの連続ラジオドラマ。放送時間中は、日本中の銭湯が空になったという逸話もあり、幼かった私もよく覚えています。
でも、今回の「君の名は。」は、忘れまいとしてもいつのまにか忘れてしまう「君の名」のお話。
新海誠監督のアニメーションフィルムです。
新海誠作品でこれまで私が見たのは、
「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」「雲のむこう、約束の場所」「言の葉の庭」です。
遠くへのあこがれ、伝わらないもどかしさ、根拠のない確信、未熟さゆえの葛藤・・
そうした青春の想いが随所に散りばめられていて、きれいで魅力的な作品群ですが、同時に、何なのかよくわからないけど、何かが足りない。
今回の「君の名は。」にも同じことが言えます。
(以下、ストーリーのネタバレになります)
映画の出だしは、よくある学園ドラマ。
東京の高校生タキ少年(私は最後までタキは苗字だとばかり思いこんでいましたが、彼の名前は立花瀧)と、飛騨の山奥に住んでいる少女ミツハ(宮水三葉)がある日突然入れ替わってしまう、言ってみれば現代版「とりかえばや物語」です。
ただし、入れ替わるのはいつも夢の中で、目が覚めると、入れ替わっていた間の記憶が消えていく・・
なんだ、よくある青春ドラマじゃん、と思って見ていました。
ところが、
ある日を境に入れ替わりが途絶えるのです。
そこで、タキは、どこかの山奥に住んでいるミツハに会いに行くことにします。
でも、場所もわからなければ実際の名前もよくわからない。
夢の中で入れ替わっていた時のあやふやな記憶をたよりに、タキはバイト仲間と一緒に軽い気持ちで出かけていくのですが、
現地に来てみて、初めて、タキはある重大な事柄に気づくのです。
ミツハの住んでいた村は、三年前の隕石の落下で壊滅していたのでした。
村人数百人が犠牲となり、ミツハも巻き込まれて亡くなっていました。
つまり、タキとミツハの間には三年という時間のギャップがあったのです。
「イルマーレ」みたいな話ですね。
で、タキは何とかしてミツハを助けたいと思います。
ここに、その村に昔から伝わる伝承が重要な役割をはたします。
組み紐。
タキとミツハを結ぶ赤い糸は、組み紐なのでした。
ミツハのお婆さんの話では、
「結び」というのは、時間の結び目でもある。
時を行き来するのも「結び」だというのですね。
かくして、タキはタイムリープして再びミツハと入れ替わり、村の人たちを助けるために奔走します。
最後に、ようやく出会った二人は、せめてお互いの名前だけは忘れまいと必死になるのですが、
悲しいかな、忘れてしまいます。
(思い出そうとして忘れられない・・忘れようとして思い出せない・・いや、忘れまいとして思い出せない・・・)
ま、最後はハッピーエンドなのですが。
(ここからは、映画についての考察です)
先日書いた「シン・ゴジラ」と合わせて、この2本の映画のメガヒットぶりはとにかくすごい。
「シン・ゴジラ」の興行収入70億円突破、観客動員数420万人突破。
「君の名は。」に至っては、興収150億円突破、動員数1184万人突破。
(いずれもまだ上映中)というメガヒットです。
なぜこんなにヒットするのだろうと思ったときに、まず浮かんだのが、3・11でした。
どちらの作品も、日本が被った巨大災害を象徴的に描いている、といっても間違いではないと思います。(もちろん他の要素もたくさんありますが)
私たちは、あの事件に深く傷ついているのですね。
その傷はまだ癒えず、何とかして立ち直りたいと思いながらも、まだ立ち直れずにいる。
若い人たちほど敏感にそれを感じていると思います。
だからこそ、
「シン・ゴジラ」や「君の名は。」に救いを見出そうと劇場に足を運ぶのでしょう。
タイムリープものの青春映画なら、何といっても
「時をかける少女」(細田守監督作品)が秀逸です。
「君の名は。」はあの映画を超えられない、と私は思います。
でも、人々の共感という点から見ると、超えたのかもしれない。
「時をかける少女」の頃は、たとえ未来に暗い影が待ち受けていても、それはまだ切迫する現実ではなかった。
少女は前を向いて、ひたすら未来に向かって走っていくことができたのです。
でも、
「君の名は。」では、すでにそうした暗い未来が現実のものとして、リアルに想像できるところに来てしまった。
そういう場所に私たちは立っている。
その違いはとても大きいと思います。
私たちはまだ、受けた傷の深さにさえ気づかずにいるのだと思います。
だから、無意識のうちにあのときを再現し、追体験して、再生するために苦悩しているのです。
それが、「シン・ゴジラ」や「君の名は。」のヒットなのだと思います。
この国は、言ってみれば、まだ非常時なのですね。
まだまだ再生からはほど遠いところにいます。
深手を負い、傷の癒えるあてもなくさまよっているのが、今の私たちなのだと思います。
心に欠落を抱えたまま、何か心を満たしてくれるもの、
今のままでいてもいいよと、そっと背中を押してくれるもの、
特に若い人たちには、そうしたものが必要なのに、大人はそれを与えることが出来ずにいます。大人たちも深く傷ついているからです。
思い出そうとしても思い出せない、大事な人の名前・・
それは、とりもなおさず、
忘れようとしても忘れることのできない、大きな痛手・・
を思い起こさせます。
これは、その物語なのです。
私たちが回復するためには、もっともっと多くの物語が必要です。
物語の力が必要なのだと思います。
次にやってくるのはどんな物語だろうか・・
楽しみでもあり、ちょっと怖くもある。
そんな気がします。