ご無沙汰でした。
風邪をひきこんでしばらく寝込んでおりました。まだちゃんと治ってないのですが。
一雨毎に冬が近づくように、風邪ひき毎に老け込んでいくようで、心もとない秋の夕暮れです。
とはいえ気だけは若いのですけどね。気だけは。
最近ハマっていたのは今amazonプライムで配信されているドラマ、
「高い城の男」シーズン4
フィリップ・K・ディックの同名の小説をamazonがドラマ化したものです。
これ、何年か前にシーズンが始まって以来なんとなくダラダラと観ていたのですが、
何しろシーズンとシーズンの間が長かったので、誰が何をしてどうなったか忘れちゃうんですね。なので、まあ暇な時にでも観ようかという感じだったのですが、
ここにきて、シーズン4が始まったとたん、にわかに状況が一変し、ドラマの進行も早く役者の顔ぶれもしっかり認識でき、ストーリーラインをしっかり追う事ができるようになりました。
私の頭の霧が晴れたのか?
最後なんてもうハラハラドキドキで面白かった。
シーズン前半については、以前ここでも取り上げました。
2019年1月10日の記事から抜粋します。この時点でシーズン2まで配信。
――――ここから――――
第二次世界大戦が連合国側の勝利ではなく、ドイツ、日本の勝利に終わった世界の物語。舞台は1960年代初頭。
世界はナチスドイツと大日本帝国、そして中立地帯の三つの地域に分割され、ナチスドイツと大日本帝国の独裁政治が世界を席巻している。アメリカも三分割され、西海岸は大日本帝国が、東海岸はナチスドイツが占領し、中央アメリカは中立地帯になっている。その中でアメリカ人のレジスタンスが地下活動を展開する、というのが基本のストーリーだが、ここに一本の16ミリフィルムが関わってくる。
物語は主人公であるジュリアナ・クレインの妹トゥルーディがこのフィルムの為に殺害されるところから始まる。ジュリアナはレジスタンスではなかったが、妹の死を目の当たりにして、なんとかして妹の目的を果たさせてあげようと、彼女が持っていたフィルムを持って中立地帯に向かう。
このフィルムが物語のキーになるわけだが、それはシーズン2に入ってようやく見えてくる。ネタバレは避けたいので、興味ある方はぜひ観て欲しいと思う。何よりすごいと思ったのは、日本太平洋合衆国の憲兵隊隊長である木戸大尉及び貿易担当大臣田上信輔の苦悩する心理が実に見事に描かれていることだ。
第二次大戦中の日本軍の横暴さや冷酷非情さは語り継がれているが、彼らもまた人間で、あるいはこうした苦悩を背負っていたのかもしれない。その背景が実にリアルに想像できる映像になっていて、アメリカ人がこれを作ったかと思うと驚くべき洞察力と言わざるを得ない。
もちろん、ナチスドイツ側の主要人物たちのそれぞれの家族や人間模様、心理も細かく描かれており、戦争がいかに人々から人間性を奪うかがよくわかる。けれどもいつの時代にもそれに抵抗しようと立ち上がる人たちがいて、それは政治に直接関わる幹部にもいるのである。
そして、シーズン2に入って、物語は驚くべき展開を見せ始める。SFならではの展開である。
あり得たかもしれない歴史を想像し、その世界をリアルに作りあげてしまう映像作家たちの想像力もすごいとつくづく思うドラマである。
これを見ていると、世界は実にフレキシブルで、確かなものではなく、様々な可能性を秘めたものであることがよくわかる。しかし、その世界の中で、人々は幻想に捕らわれ、あるいは洗脳され、がんじがらめになっているのかもしれない。
そう思わせてくれるドラマでもある。
シーズン3が楽しみだ。
――――ここまで――――
シーズン4では、主人公であるジュリアナ・クレインのストーリーに加えて、ナチス側のジョン・スミスというアメリカ人(最後にナチスの国家元帥にまで昇格する)と日本側の木戸大尉、それぞれのストーリーが際立ってきます。双方とも冷酷さにかけては一歩も引けを取りませんが、その一方で家族思いであるという共通点もあります。他人の命は平気で踏みにじるけれど自分の家族だけは守りたいという・・アメリカのドラマにはありがちな設定ですが、けっこう見応えある。
そこに中立地帯のレジスタンス、さらに抑圧されてきた黒人たちの蜂起がストーリーに加わります。大ナチス帝国、大日本帝国に対する中立地帯のレジスタンス、黒人たちのレジスタンス、それらが混然一体となって世界の危機に立ち向かうという構図です。
これ以上はネタバレになるので今回は書きません。ぜひ見ていただきたいので。
今回書きたいと思ったのは(1月の記事でも書いたように)世界は私たちが思うよりもフレキシブルなのではないか・・ということです。
もちろんこのドラマはSFの世界の話なので、そんなもん現実に起きるわけないじゃん、で済ませる人も多いでしょう。
でも、ここに描かれている二つの世界というのは、言ってみれば私たちが選ぶことのできる世界でもあるんじゃないかと思うのです。
人間の意識、イマジネーションは強力だと私は思っています。それはただの空想ではない、そこにはパワーがある。従って、こうした世界をイマジネーションする人がいるということは、どこかでそれが現実になる可能性がある・・ということなんじゃないかと。
現にこういう実験があるのをご存じでしょうか。
量子論の二重スリット実験は有名なのでご存じの方は多いかと思いますが、
https://www.youtube.com/watch?v=-EYmgL8kD2g
さらに、最近はこんな実験もあったようです。
オーストラリアの科学チームの実験で、人間が測定するまで現実は存在しないという結果が出たというのですね。
https://gadgets.ndtv.com/science/news/quantum-experiment-confirms-reality-doesnt-exist-until-measured-698868
またこんなのもあります。人間の意識が素粒子の動きを左右するという実験です。
https://inthetic.com/archives/3381
「求めよ、さらば与えられん」とキリストも言ったように、私たちが心から追い求めるものは、案外実現するんじゃないか・・
それが70年生きてきた私の実感です。
私たちが置かれている場所がどんな場所であれ、私たちは想像する力を持っています。
そして「想像すること」は「創造すること」に繋がると思うのです。
私の好きな児童文学「アップルバウム先生にベゴニアの花を」(ポール・ジンデル作 岩波書店)の中に、
「聖書に『金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい』とあるけれど、原子の世界では簡単なことよ」(原文は忘れたので違うかもしれませんが)
とアップルバウム先生がいう場面がありました。
原子核を一円玉だとすると、電子は200m離れたところを回っている、つまり私たちの世界を作っている原子というのはスカスカなのですね。だからラクダの原子をぎゅっと縮めたら針の穴だって通れるというわけ。
ならば、意識だって立派に原子に(さらに言えばこの現実に)作用できるんじゃないか・・
さて、私たちはどんな世界を想像し、また創造しましょうか。
人間が作った世界なら、人間の力で変えられるはず。私はそう思っています。
今日はこの辺まで。またそのうちこの話題を取り上げるかもしれません。