馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり 芭蕉
句だけでは、鑑賞に困難な点があるので、まず句の前書きをみてみると、「二十日余りの月かすかに見えて、山の根ぎはいと闇きに、馬上に鞭を垂れて、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に到りて忽ち驚く」とある。
これの簡単な解釈はつぎのようになろう。
「二十日過ぎの明けきらぬうちに宿を出て、馬上でうとうとして夢見心地でいたら、ハッと目が覚めた。気づくと、山際には月がかかり、里の家々から茶を煮る煙が立ちのぼっている」くらいの意で、「茶を煮る煙」とは茶農家が茶葉を蒸すときの煙のことである。
さて前書きにある「杜牧が早行の残夢」というのは、杜牧の『早行詩』のことだが、これも次に紹介してみると、「垂鞭信馬行/数里未鶏鳴/林下帯残夢/葉飛時忽驚/霜凝孤鶴迴/月暁遠山横/僮僕休辞険/何時世時平」であり、その意訳は
「鞭を垂れて馬にまかせて進んで行く。数里来たがまだ鶏鳴は聞こえない。林の道をうとうとしていると、木の葉の飛ぶ音に驚かされる。霜は凝り固まって、かなたに鶴が一羽と、有明の月の向こうの山々が見える。僮僕よ、この先の厳しさを言わないでくれ。いつの日か平和な世が来るだろう」となる。
これを見ても分かるように、芭蕉の句は杜牧の漢詩が土台になっていることがうかがわれる。山本健吉は、「発想はほとんど杜牧の詩に依拠していて、実景によるよりは杜牧の詩の焼き直しといってよい。過去の詩人たちとの詩心の時間的交通の上に築かれているのだ」といっている。ここでは「茶のけぶり」だけが、馬上で覚めて確かに認めたイメージなのである。つまり借りものの世界と現実、虚と実との交錯、夢と現実が重なり合った世界を一句にしたもので、芭蕉の言う「黄金を延べたような句」とはとてもいえない。虚実の世界を組み合わせて工夫はされているが、この句も漢詩からの影響をまだ十分に脱していないとみてよいだろう。したがって芭蕉の新境地を探る旅はまだまだ続くのである。
句だけでは、鑑賞に困難な点があるので、まず句の前書きをみてみると、「二十日余りの月かすかに見えて、山の根ぎはいと闇きに、馬上に鞭を垂れて、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に到りて忽ち驚く」とある。
これの簡単な解釈はつぎのようになろう。
「二十日過ぎの明けきらぬうちに宿を出て、馬上でうとうとして夢見心地でいたら、ハッと目が覚めた。気づくと、山際には月がかかり、里の家々から茶を煮る煙が立ちのぼっている」くらいの意で、「茶を煮る煙」とは茶農家が茶葉を蒸すときの煙のことである。
さて前書きにある「杜牧が早行の残夢」というのは、杜牧の『早行詩』のことだが、これも次に紹介してみると、「垂鞭信馬行/数里未鶏鳴/林下帯残夢/葉飛時忽驚/霜凝孤鶴迴/月暁遠山横/僮僕休辞険/何時世時平」であり、その意訳は
「鞭を垂れて馬にまかせて進んで行く。数里来たがまだ鶏鳴は聞こえない。林の道をうとうとしていると、木の葉の飛ぶ音に驚かされる。霜は凝り固まって、かなたに鶴が一羽と、有明の月の向こうの山々が見える。僮僕よ、この先の厳しさを言わないでくれ。いつの日か平和な世が来るだろう」となる。
これを見ても分かるように、芭蕉の句は杜牧の漢詩が土台になっていることがうかがわれる。山本健吉は、「発想はほとんど杜牧の詩に依拠していて、実景によるよりは杜牧の詩の焼き直しといってよい。過去の詩人たちとの詩心の時間的交通の上に築かれているのだ」といっている。ここでは「茶のけぶり」だけが、馬上で覚めて確かに認めたイメージなのである。つまり借りものの世界と現実、虚と実との交錯、夢と現実が重なり合った世界を一句にしたもので、芭蕉の言う「黄金を延べたような句」とはとてもいえない。虚実の世界を組み合わせて工夫はされているが、この句も漢詩からの影響をまだ十分に脱していないとみてよいだろう。したがって芭蕉の新境地を探る旅はまだまだ続くのである。