【エッセイ】水の音
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
まず「蛙飛びこむ水の音」が芭蕉の頭
に浮かんだが、それだけでは句にならな
い。「水の音」をどう句に反映するか。つ
まり鳴いていない蛙の存在をどう表現す
るか。さらに幽玄の世界を音で表現する
にはどうするか。
鈴木大拙は、芭蕉の古池は「時間なき
時間」を有する永久の彼岸に、横たわっ
ている。それはこれ以上「古い」ものの
ない「古さ」である。どんな規模の意識
もこれを量ることはできぬ。それは万物
の生ずるところであり、この差別世界の
根源である。(『禅と日本文化』)
のなかの「禅と俳句」の一節である。
大拙の解釈は、古池を「時間なき時間」
とみなすことは無限の空間を表すことに
もなろう。
確かに芭蕉の目指したのは「水の音」
からくる無限で幽玄の世界である。だが
俳諧表現イコール禅世界でない。まして
俳諧は他者との共有する世界が求められ、
そのためには道具立てが必要になる。こ
の句の場合それが古池だ。
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
まず「蛙飛びこむ水の音」が芭蕉の頭
に浮かんだが、それだけでは句にならな
い。「水の音」をどう句に反映するか。つ
まり鳴いていない蛙の存在をどう表現す
るか。さらに幽玄の世界を音で表現する
にはどうするか。
鈴木大拙は、芭蕉の古池は「時間なき
時間」を有する永久の彼岸に、横たわっ
ている。それはこれ以上「古い」ものの
ない「古さ」である。どんな規模の意識
もこれを量ることはできぬ。それは万物
の生ずるところであり、この差別世界の
根源である。(『禅と日本文化』)
のなかの「禅と俳句」の一節である。
大拙の解釈は、古池を「時間なき時間」
とみなすことは無限の空間を表すことに
もなろう。
確かに芭蕉の目指したのは「水の音」
からくる無限で幽玄の世界である。だが
俳諧表現イコール禅世界でない。まして
俳諧は他者との共有する世界が求められ、
そのためには道具立てが必要になる。こ
の句の場合それが古池だ。