のびたとブレイク

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飢餓の時代を生きた小学生 落穂拾い 選り分けし粒 飢餓の食

2017年12月16日 06時50分56秒 | うたごえ

落穂拾い 選り分けし粒 飢餓の食 先日の川柳に応募したボツ作品である

もちろん 意味不明で 言葉が硬いの評価であった 確かに自分でもそう思った

そして まだ記憶の確かなうちに この時代を生きた小学生として記録したいと思いつく

 

長文になるのと 自分では暗くないが読む人によって重くて嫌と思うから スルーしてください

終戦間際の 5歳くらいから 私の記憶にあるが 不思議に映像まで浮かび上がる

極貧と飢餓 この体験があるからこそ 今の自分に活きているんだと神の試練にも感謝が出来る

 

 

冒頭の句は 食べるものが無くて 農家の皆さんが刈り入れを終わって 稲をホダ木に干す頃

誰もいない時に 田んぼに行って わずかに落ちている稲穂を探して拾う

落ちている穂は 良い粒もあるが 薄く食べられないようなものもある 泥に汚れ量も少ない

 

汚れたような僅かな稲穂から 米粒を選り分けて 茶碗一杯にならないご飯を頂く

選り分けるのは母の仕事だ コウリャンが手に入った時も クズに近いから選り分ける

大根の葉を農家が棄てる それを貰って軒に干しておく

 

いわゆるダイコン飯 テレビで おしん が放送され その中でも食べていた

たた私の家は 飯粒が無い 大根だけを醤油で煮て食べるだけだ

冬を除けば 何とか空腹を満たすことができる

 

 

野の草は 食べられそうなものは何でも食べてみた

イタドリはその中でも美味しく感じられた 但し 回虫などの害があることは後で知ったものである

つつじの花をちぎって食べる わずかに甘い 蚕が食べるからと 桑の葉を団子にして食べた

 

これは バサバサで美味しくない トチの実もつぶして食べたがとても食べられない

どんぐりも食べる 今なら 熊の生態に近い(笑) 蚕のさなぎも美味しかった

昆虫も食べる イナゴは信州の名産だが 甘露煮にする砂糖が無い ただ煮て食べる

 

こおろぎや 松に巣食う マツムシ 芋虫の様な奴 いずれも不味かったが食べる

カエルも ヘビも 私の食用になる 雀も捕りたいが これは かごで試したがダメだった

キノコもシーズンになれば食べられる 軸が割ければ食べられると信じて取ってきた

 

 

或る日 学校の帰りに サツマイモ畑を通った たまらず引き抜いて一本持ち帰った

母にえらく叱られた 人様のものを盗むなんて そこまでお前は落ちたのかと・・

その さつまいもは食べることはしないで 母が谷へ放り投げた

 

 

疎開で親戚を頼って 南アルプス仙丈岳の伊那谷側の山奥に行ったのがこの時代だ

終戦すぐであった 親戚の山林を借り受けて 樹々を倒して僅かな平地を父が作った

茅葺屋根なんて出来ない 材木を利用しての藁の屋根である

 

冬は 隙間から風が入る 雪が部屋の隅に積もることがある

食べるものは 大根の葉っぱだけ もう一つ 大きな甕にキノコを煮たものが保存食である

ある時は野鼠が その甕の中に落ちて浮いていた それでも そいつは棄てて また食べる

 

雪が積もると 空腹に耐えかね 雪に醤油を掛けて 食べてみた

暖房も無いから 余計に寒さに震える 因みに 電気もガスも水道も無い

水は少し離れた谷川に汲みに行って溜めておく 朝は凍っている

 

 

ある日 妹とぐったりしながら空を見上げていた 雲の形が面白いねと二人で笑った

突然 雲が何かの形で上から降りてくる 風景が揺れて幻覚に襲われた

棚の大黒様が笑いだす 怖くて布団にもぐると そこにも得体の知れないものがぞろぞろ

 

お化けでは無いが うどんがヘビのようになって降りかかったりする

妹が亡くなる前にも 二人で話した 誰も信じないだろうねと笑い合ったものである

母が必死に二人を抱え込む この時は母も幻覚に襲われそうだったと晩年に聴いた

 

 

ランプの生活だが 勿体ないからあまり点けない

灯油が切れると 一升瓶を背中に背負って 一つ山を登って向こうの町へ買いに行った

ランプは一晩で真っ黒になる それを磨くのも私の役目だった

 

月夜の晩に 兄弟で歌を歌ったと言う あまり覚えていないが 荒城の月だったろうか

その声が 山を下り集落に聴こえたと言う 次の日 学校で知れ渡ったそうだ

雪道を学校に行くのが辛い 下駄に雪がへばりつき 樹へ何回もぶつけて払って行く

 

ある大雪の日 たまたま父が居て 朝早く 坂道道路の雪かきをしてくれた

靴下も無い 足袋も無い 歩けるようにしてくれた道は嬉しかった

ところが帰りは道が埋まっていた 材木を運ぶ馬そりだ 雪の中に足を入れて泣いて帰った

 

 

父は出稼ぎで 村を離れる 木曾の森林鉄道で伐採や木材運搬にも行ったと言う

行く前に 私の顔をしみじみ見て 今度来るときは こいつは生きていないだろうと思ったそうだ

栄養失調で 良く見るアフリカの子どものように 腹だけ膨れ 眼が異様に光っていたと言う

 

小学校の遠足は 伊那の街までだった 初めて見る電車に驚いた 確か2両の飯田線

田んぼが四角で広いのにも驚いた 村のは狭くて いろいろの形だった

途中の川でお弁当 私は無いので離れて川を見て居た 先生がそっと来て弁当を分けてくれた

 

 

かなり離れたところに親戚の家があった 学校も 山を下って行った所にある

貧農の集落だが みんな 電気は点いていた ラジオもあった 私の家に無いだけだ

開墾をする前 この親戚の厩を借りて住んだ 馬との仕切りは無い 道具置場である

 

後年 両親はクリスチャンになった この馬小屋の話をして笑った

まるで イエスキリストの様だね イエスは馬小屋で産まれたのである

そろそろ クリスマス そんな話も思い出される

 

 

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