『敬天愛人』
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
西郷は私学党の暴発に
『俺を命をくれてやる』
との一言であとは何も指示しなかった。
私学党と共に立ち、戦略なき進軍を進めたが、
熊本城を突破出来ず、鹿児島へ撤退、
その時、人吉で一時的では有るが、安らぐ時を過ごした。
時に明治10年盛夏、
東北の庄内から駆け付けた人々に諭した。
『こんいくさ(戦争)は負けもす、庄内のおんし達も、よう戦こうてくれた、亡くなった方の多数おろう、
申し訳け、なかと、もうこれ以上の犠牲はよか、おんし達は庄内に帰りなんせ』
庄内武士達は泣き崩れた。
他藩の人々にも同じように、これまでの参戦に感謝の言葉を述べ、
帰るように諭しました。
しかし、旧中津藩士・増田栄太郎達は城山までつき従った。
増田栄太郎、
彼が連れて来た63名は戦死したもの、傷を負っているもの、武器もなく、
あとは死地に突き進むのみ、
城山陥落直前、
増田栄太郎は、
西郷が云うように、
他の藩士に城山から脱出して郷里に帰れと勧めた。
しかし、自分は城山に残ると決めて次にように言った。
「吾此処に来りて始めて親しく西郷先生に接することを得たり。
一日先生に接すれば一日の愛生ず。
三日先生に接すれば三日の愛生ず。
親愛日に加わり去るべくもあらず。
今は善も悪も死生を共にせんのみ」
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
西郷は私学党の暴発に
『俺を命をくれてやる』
との一言であとは何も指示しなかった。
私学党と共に立ち、戦略なき進軍を進めたが、
熊本城を突破出来ず、鹿児島へ撤退、
その時、人吉で一時的では有るが、安らぐ時を過ごした。
時に明治10年盛夏、
東北の庄内から駆け付けた人々に諭した。
『こんいくさ(戦争)は負けもす、庄内のおんし達も、よう戦こうてくれた、亡くなった方の多数おろう、
申し訳け、なかと、もうこれ以上の犠牲はよか、おんし達は庄内に帰りなんせ』
庄内武士達は泣き崩れた。
他藩の人々にも同じように、これまでの参戦に感謝の言葉を述べ、
帰るように諭しました。
しかし、旧中津藩士・増田栄太郎達は城山までつき従った。
増田栄太郎、
彼が連れて来た63名は戦死したもの、傷を負っているもの、武器もなく、
あとは死地に突き進むのみ、
城山陥落直前、
増田栄太郎は、
西郷が云うように、
他の藩士に城山から脱出して郷里に帰れと勧めた。
しかし、自分は城山に残ると決めて次にように言った。
「吾此処に来りて始めて親しく西郷先生に接することを得たり。
一日先生に接すれば一日の愛生ず。
三日先生に接すれば三日の愛生ず。
親愛日に加わり去るべくもあらず。
今は善も悪も死生を共にせんのみ」
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