東横『学芸大学駅』近くの産直パブ、地元に必要なお店として。明るく楽しく、天を敬い、人を愛する。楽しく飲みたい

美味しい産直料理 元気楽しいスタッフ、カラオケ&トークで盛り上がり、ストレス解消♪、常に新風!良心的なお店。

あの暑い、夏

2014年08月08日 17時22分11秒 | 文学雑考
『敬天愛人』

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」

西郷は私学党の暴発に
『俺を命をくれてやる』
との一言であとは何も指示しなかった。

私学党と共に立ち、戦略なき進軍を進めたが、
熊本城を突破出来ず、鹿児島へ撤退、

その時、人吉で一時的では有るが、安らぐ時を過ごした。


時に明治10年盛夏、

東北の庄内から駆け付けた人々に諭した。
『こんいくさ(戦争)は負けもす、庄内のおんし達も、よう戦こうてくれた、亡くなった方の多数おろう、
申し訳け、なかと、もうこれ以上の犠牲はよか、おんし達は庄内に帰りなんせ』

庄内武士達は泣き崩れた。

他藩の人々にも同じように、これまでの参戦に感謝の言葉を述べ、
帰るように諭しました。

しかし、旧中津藩士・増田栄太郎達は城山までつき従った。
増田栄太郎、
彼が連れて来た63名は戦死したもの、傷を負っているもの、武器もなく、
あとは死地に突き進むのみ、

城山陥落直前、
増田栄太郎は、
西郷が云うように、
他の藩士に城山から脱出して郷里に帰れと勧めた。

しかし、自分は城山に残ると決めて次にように言った。

「吾此処に来りて始めて親しく西郷先生に接することを得たり。
一日先生に接すれば一日の愛生ず。
三日先生に接すれば三日の愛生ず。
親愛日に加わり去るべくもあらず。
今は善も悪も死生を共にせんのみ」





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 李登輝先生の本 | トップ | 暑気払い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文学雑考」カテゴリの最新記事