淡路から徳島へ、道すがら、何処に泊まろう、
好みは小さな漁港、
福良漁港が良い、洲本漁港より小さい、
こじんまりとした漁港、
ふと観光雑誌の小さな欄
福良湾の中の小さな島、
無人島で厳島神社が有る、
そこに『平敦盛の遺骨が有る』
なんと〓、
墓は須磨公園に有る筈、
そんなバナナ??
調べると、なんと、
言い伝えでは、平敦盛の首を荼毘(だび)に付した際に煙が立ち上ったことから、煙島と呼ばれるようになったとされています。
1184(寿永3)年2月、一ノ谷の合戦で、平家の若武者を組み敷いた熊谷直実(くまがいなおざね)は、わが子と同じ年ごろの青年に哀れを感じながらも、その首を打ち落とした。若武者が平清盛の弟経盛(つねもり)の末子敦盛(あつもり)であるのを知った直実は、屋島へ向かう途中、福良湾に仮泊している経盛の所へ、首と敦盛が腰にさしていた横笛を届けさせた。経盛は悲しみのうちに、煙島で息子の首を荼毘に付し煙が立ち上がったことから、島の名がついたといわれています。
現在煙島には、厳島神社がまつられており、頂上の境内には敦盛の首塚だという石の祠があるほか、最勝王経の一字一字を刻んだ石を埋めたという最勝王経碑があります。更に社殿の横には、安徳天皇が7 日間滞在したと伝わる行在所(あんざいしょ)跡があります(島に入ることは出来ません)
こりゃ大変!厳島神社の宮司さんにお願げぇして拝みにいがねばなんねぇな、
好みは小さな漁港、
福良漁港が良い、洲本漁港より小さい、
こじんまりとした漁港、
ふと観光雑誌の小さな欄
福良湾の中の小さな島、
無人島で厳島神社が有る、
そこに『平敦盛の遺骨が有る』
なんと〓、
墓は須磨公園に有る筈、
そんなバナナ??
調べると、なんと、
言い伝えでは、平敦盛の首を荼毘(だび)に付した際に煙が立ち上ったことから、煙島と呼ばれるようになったとされています。
1184(寿永3)年2月、一ノ谷の合戦で、平家の若武者を組み敷いた熊谷直実(くまがいなおざね)は、わが子と同じ年ごろの青年に哀れを感じながらも、その首を打ち落とした。若武者が平清盛の弟経盛(つねもり)の末子敦盛(あつもり)であるのを知った直実は、屋島へ向かう途中、福良湾に仮泊している経盛の所へ、首と敦盛が腰にさしていた横笛を届けさせた。経盛は悲しみのうちに、煙島で息子の首を荼毘に付し煙が立ち上がったことから、島の名がついたといわれています。
現在煙島には、厳島神社がまつられており、頂上の境内には敦盛の首塚だという石の祠があるほか、最勝王経の一字一字を刻んだ石を埋めたという最勝王経碑があります。更に社殿の横には、安徳天皇が7 日間滞在したと伝わる行在所(あんざいしょ)跡があります(島に入ることは出来ません)
こりゃ大変!厳島神社の宮司さんにお願げぇして拝みにいがねばなんねぇな、