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著者は語る
奥野修司 『心にナイフをしのばせて』
一九六九年春、川崎にある男子高校で、一年生が同級生に殺されるという事件が発生した。被害者はめった刺しにされた上、首を切断されていた。神戸で「酒鬼薔薇」事件が起こる、二十八年前のことだ。本書は、犯人の少年Aのその後と、被害者遺族を襲った悲劇を丹念に追った、渾身のルポルタージュである。
「神戸の事件が起きたとき、あの事件そのものを取材しても何も分からないだろう、それより昔似たような事件が起きていたなら、そちらを調べた方が『酒鬼薔薇』少年に迫れるのではないかと考えたのが、この本を書くきっかけでした」
当初この作品は、少年Aのその後を追ったものとして雑誌に発表された。だが後に、著者は改めて、被害者の母親と妹への数年にわたるインタビューや取材を重ねることとなる。
「雑誌に発表した当時は、加害者の“更生”が問題になっていて、加害者を追跡して現在の姿を見定めるのが、ひとつの目的でした。加害者の更生というのは、一般的には社会復帰できたことを指します。だけどそれは加害者側の問題であって、加害者が起こした事件には表裏一体で被害者がいる。加害者の更生は、被害者との関係性の中で論じなければ意味がないのではないか、と思ったんです。そこで、この三十年間をどう生きてきたのかを含めて、被害者側の話を聞かせてもらうことにしました」
そこで語られた遺族の生活は、あまりにも辛い。人格障害を疑われるほど錯乱した母。悲しみを胸のうちに押し込み、必死で母を支えようとする父。壊れそうな家庭の中で、両親への反抗やリストカットでバランスをとろうとする妹。だがそもそも、こうした証言を得るのに著者は苦労する。母親は、あまりのショックに、事件後数年の記憶を失っていたのだ。
「こんな事態は想定していませんでした。しゃべりたくないか、隠しているんだろうと思って。しばらく経ってこれはヘンだと思い、妹さんを交えて話してみて初めて、記憶をなくしていることが判明したんです。遺族の受けた衝撃は推測していたけれど、何年にもわたって記憶を失ってしまうほどの衝撃というのは、想像がつかないですよ」
当事者すら失ってしまった記憶を補うため、著者は関係者を訪ねる。それには妹も同行するが、分裂病質と診断されたAのことを理解したいと精神病院に勤め、事件のことを知りたいと訴える妹の姿は、読み手にも衝撃を与える。
「遺族は今でも、生き方を左右されています。三十年という年月が経っても、癒されない。それほど犯罪被害者が受けた衝撃は凄まじいということを、私たちは知るべきでしょう」
Aは普通の職業に就けず、その日暮らしをしているのでは、と被害者の母親は気遣いさえ見せていた。だが現在、Aは弁護士となり、法律事務所を経営するほどの成功を収めている。被害者本人と家族への謝罪は、一度としてない。
「罪を犯した人間が更生できないと断じるのは問題があるけれど、被害者の意見も聞いたうえで更生しているかどうかを考えていかないと、この家族のように三十年も苦しみつづけることになってしまいます。それは国が責任を持つべきことだと、僕は思います。お金など物質的なことなのか、あるいは謝罪など精神的なものなのか、とにかく被害者がある程度納得したときに、初めて更生したといえるのではないでしょうか。被害者が直面する悲劇は、一回で充分です」
【週刊文春 2006年9月21日号より】
出版社 / 著者からの内容紹介
1969年春、横浜の高校で悲惨な事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、
同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。「28年前の酒鬼薔薇事件」である。
10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。殺された少年の母は、
事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失って
いた。そして犯人はその後、大きな事務所を経営する弁護士になっていたのである。
これまでの少年犯罪ルポに一線を画する、新大宅賞作家の衝撃ノンフィクション。
「少年犯罪」・・・加害者は数で社会に出てくる。前科もつかない。しかし、被害者の家族の負った「心の傷」は一生癒えない。いろいろと考えさせられる本だった。
同じ著者のこの本も名著だと思う。
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内容(「MARC」データベースより)
戦後の1946~1951年、「ケーキ(景気)時代」と呼ばれる沖縄密貿易時代に、混乱、騒擾、欺瞞、陰謀に明け暮れながら、類まれな才覚と器量で颯爽と生きた女親分「ナツコ」を生き生きと蘇らせた評伝ノンフィクション。













