2週間を経てふたたびの宇都宮宿。二荒山神社は延喜式に名を連ねる歴史ある神社。
代々の宇都宮城主が社務職を兼ね「宇都宮大明神」と称する。
郷土の祖神・総氏神さまとして篤い信仰を受け、下野國一之宮といわれている。
10:00 「宇都宮宿」
出発点の伝馬町交差点は奥州道中との追分、奥州道中は真直ぐJR宇都宮駅方面へ。
日光道中はここを左折して清住通りを北上する。
ところで伝馬町交差点を右に折れると、2軒めの民家の中庭に大イチョウが目に入る。
ここが本陣青木家の跡だそうだ。
松峰山桂林寺は元和6年(1620年)、街道開設から間もなくに現在の場所に移ったと云う。
日本橋から27里目の宇都宮一里塚も、宿場の日光方の入口の木戸があったのもこの辺りだ。
街道は門前から北西方向に進行方向を変える。
Navi60. 松原3丁目交差点(斜め右)→<国道119号>→山口交差点 17.3km 220分
11:05 「上戸祭一里塚」
宇都宮環状道路とのクロスする宮環上戸祭交差点を過ぎると桜並木がはじまる。
日本橋から28里の上戸祭一里塚は、檜が植えられた西塚がほぼ完全に残っている。
11:30 「宝珠山玉塔院光明寺」
旧野沢村は宇都宮宿と徳次郎宿の中間にあって立場となり茶屋などが設けられた。
光明寺は真言宗智山派の寺、街道時代には東照宮に参詣する将軍の休息所となっていた。
この辺りの並木は街道より高い位置に土塁のように続いている。
東北自動車道を潜る手前に高谷林一里塚があったはずだが見逃してしまった。
東北自動車道を越える。
右手に煉瓦造りの八角形の建物、「宇都宮市水道第六号接合井」と右書きの文字。
大正3年に竣工した水道施設で赤煉瓦と大谷石の建屋は国登録有形文化財だ。
威風堂々たるこの建屋を過ぎると街道は徳次郎宿に入って行く。
右手の滝乃金田屋パン工場が下徳次郎宿の金田仮本陣だ。
12:30 「徳次郎宿」
江戸から18番目の徳次郎宿は、厳密には下徳次郎宿、中徳次郎宿、上徳次郎宿の合宿。
人馬継立などの宿場業務を月の10日ずつ分担していた。
その規模は3宿合わせて本陣2、仮本陣1、脇本陣3、問屋場3、旅籠72軒だ。
中徳次郎宿を過ぎると智賀都神社、宝亀9年(778年)に勧請した徳次郎3宿の総鎮守だ。
上徳次郎宿の館野本陣があった辺りまで来ると田園風景が広がる。
その先に見えるのは篠井富屋連峰だ。
12:55 「石那田一里塚」
日本橋から30里の石那田一里塚は船生街道入口に東塚だけが残る。
塚の上には塚木の代わりに石の標柱が立つ。ちなみにバス停の名称も「一里塚」だ。
「馬力神」は民間信仰から生まれた馬の守護神、栃木県や宮城県で見られる。
荷駄を運んだ馬の供養のための馬頭観音とは異なる。この辺りから左右に石仏が目立つ。
「うらない地蔵」は享保15年(1730年)に建立の阿弥陀像、大谷石なので風化が激しい。
「上小池一里塚」は杉並木の傍らに西塚だけが辛うじて痕跡を残していた。
訝しいので80代位の散歩中のお爺さんに訊ねる。
俺が若い衆の頃には二つあったよ遠い目をして教えてくれた。
14:00 「そば処栗山」
今日の茶屋はそば処栗山、街道が宇都宮市から日光市に入って間もなくだ。
コスモスが揺れている。飲んだら後が辛いのを承知でもビールは止められない。
街道めしは "大根そば"、辛み大根を溶くのかと思いきや、千切り大根がのってきた。
Navi61. 山口交差点(直進)→<旧道>→大沢交差点 1.5km 15分
山口交差点の先で二股に分かれる、直進する旧道が日光道中だ。
杉並木は慶安元年(1648年)、松平正綱によって植栽され日光東照宮へ寄進された。
杉並木の入口には「並木寄進碑」が建っている。
Navi62. 大沢交差点(斜め右)→<国道119号>→大沢郵便局 0.5km 6分
14:50 「大沢宿」
美しい杉並木の旧道がR119と合流する大沢交差点が大沢宿江戸方の入口だ。
幕末期の大沢宿の規模は本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠41軒。
度重なる大火に見舞われた宿並みは街道時代を思い起こさせるものは残っていない。
源頼朝を祀った王子神社を右手に見て、大沢小学校前の歩道橋の辺りが福田本陣跡だ。
宇都宮宿は奥州道中との追分、伝馬町交差点から徳次郎宿を経て大沢宿まで、19.9km。
所要4時間50分がこの日の行程だ。日光二荒山神社の「神橋」までは、あと15.8kmだ。