06:30「善導寺(大クス)」
磐田駅前にあった善導寺(駅前再開発で移転)の樹齢700年と云われる大クスが繁る。
街道を行き交う旅人にも目印になったろう。あるいは木陰を提供しただろうか。
"東海道を歩く旅" 第13日目は、磐田駅前から天竜川を渡って浜松、そして舞阪をめざす。
Navi67 ABホテル磐田(右折) → <市道> → 磐田化学工業前Y字路 1.2km
Navi68 磐田化学工業前Y字路(左折) → <県道261号> → 天竜川西交差点 4.5km
袋井宿でもレポートしたが、秋葉信仰が盛んな遠州では、集落毎に秋葉灯籠を建てた。
文政十一年(1828年)建立の常夜燈は、竜の彫り物が施され「竜頭」とも呼ばれる。
日本橋から六十三里目の宮之一色一里塚はこの辺りになる。
Navi68-2 森下Y字路(斜め左) 900m
Navi68-3 長森の信号(右折) 県道262号を300m
Navi68-4 ゴールドモンキー豊田店(パチンコ)を左折 300m
Navi68-5 天竜川堤防(右折)を130mで県道261号に戻る
07:40「天竜川舟橋」 01:10:00
信州諏訪湖を流れ出た暴れ天竜は219kmを旅して、間もなく遠州灘に注ぐ。
東海道はここを舟橋で渡る。武士は無料、民百姓は六文、伊勢参詣者は三文だったと云う。
県道261号の天竜川橋は歩道が無いので、並行する国道1号の新天竜川橋を渡ると良い。
Navi69 天竜川西交差点(左折) → <県道314号> → 安間川橋東詰 1.4km
Navi69-2 舟橋・木橋跡標柱から右手階段を降りる
08:05「六社神社」 01:35:00
県道314号がZ字に土手を降りると天竜川渡しの守護神・六社神社がある。
道筋には鰻屋と餃子店が現れて浜松を感じさせる。昼の営業にむけ香ばしい匂いする。
松林寺には徳川家光が建立した薬師堂がある。
この辺りは中ノ町といって花柳界だった。天竜川の木材の集積地として栄えたからだ。
Navi70 安間川橋東詰(斜め左) → <県道312号~国道152号> → 連尺交差点 6.3km
日本橋から六十四里目の安間一里塚は、この橋のたもとに榎を塚木として在ったはずだ。
09:10「馬込一里塚」
日本橋から六十五番目の馬込一里塚(案内板は見落とした)を過ぎると馬込橋が架かる。
東詰には外木戸が、西詰には番所が設けられていた。ここからが浜松宿になる。
09:30~10:30「浜松宿」 03:00:00
広重は「冬枯れの図」として、焚き火で暖をとる旅人を浜松城を遠景に冬景色を描いた。
浜松宿は本陣6、脇本陣0、旅籠94軒と道中最大規模。空襲により旧い遺構は皆無だ。
少々寄り道をして浜松城公園を訪ねる。
自然石を上下に組み合わせて積む堅固な「野面積み」の石垣上に聳える浜松城、
家康の「出世城」は北に三方ヶ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖を望める。
Navi71 連尺交差点(左折) → <国道257号> → エンシュウ本社工場前 6.3km
連尺交差点を左に折れて、連尺町・伝馬町に本陣が並んだ。今では案内板が立つのみだ。
その先はその名も旅籠町、街道の左右には90軒を超す旅籠が軒を並べ賑やかだったろう。
Navi71-2 成子交差点(右折) 200km
Navi71-3 菅原町交差点(左折) 200km
10:55「若林一里塚」 03:25:00
街道は緩やかに右カーブして真西に方向を変える辺り、若林一里塚跡の標柱が立つ。
この先東西の神社が並び立つ。其々の郷がどういった経緯で勧請したのか興味深い。
先ずは旧可美村の諏訪神社。大永四年(1524年)建立、社殿の青色が印象的だ。
11:35「浜松領界石」 04:05:00
「従是東濱松領」、浜松藩と旗本大沢家の堀江領の境を示す傍示石はGU駐車場に残る。
続いて熊野神社。熊野本宮の神主が、諸国行脚の途中でこの地で祭祀したと伝えられる。
延久年間(1069~1073年)に創建されたと伝わる。
Navi72 エンシュウ本社工場前Y字路(斜め右) → <県道316号~49号~市道> → 舞阪宿本雁木跡 6.2km
旧篠原村の東神明宮。建暦二年(1212年)に浜名湖の小島神明島に鎮祀したものを移転。
そして旧馬郡村の春日神社。応永二年(1395年)に勧請されたという。赤い本殿が美しい。
社殿前では、狛犬ではなく、雌雄一対の狛鹿が迎えてくれる。なるほど春日神社だ。
12:45「長池松並木」 05:15:00
松阪宿に向けて見事な松並木が続いている。
正徳二年(1712年)に植樹された1,420本のうち、残った340本が700m続く。
青々とした松の道が美しい。
松並木が途切れ、国道1号線を横切ると舞阪宿東見附跡、左右に石垣を残している。
舞阪宿に入って直ぐに一里塚跡がある。日本橋からは六十八番目を数える。
傍らに在る新町常夜燈は文化十二年(1815年)の建立だ。
13:15「舞阪宿」 05:45:00
右手に舞阪宿本陣の標柱が現れた。今日のゴールだ。
正面に海が見える。気温は25度を越えているのに海から吹く風が心地良い。
舞阪宿の規模は天保年間で本陣2、脇本陣1、旅籠28軒。「今切の渡し」を控え賑わった。
文政年間(1818~1830年)には海苔の養殖が盛んになって、一大名物になったと云う。
街道筋には、茗荷屋脇本陣が唯一の遺構として残っている。
さて、今日の街道めしは宿内の「晴美屋」で。さすがに腹が減って限界に達している。
舞阪特産の "しらすおろし" と "もずく酢" でビールを呷って着丼を待つ。
少々甘めの "カツ丼" は、玉子はカツをとじずに横に添えられている。素朴で美味しい。
海岸に出る。北雁木(がんげ)は、大名や幕府役人の渡船場であった。
大きな木製灯台が復元されている。
浜名湖はかつて淡水湖であったが、室町時代の大地震で砂州が切れ、遠州灘と繋がった。
東海道を歩く第13日目は、ジュビロの水色がはためく磐田駅前を発って天竜川を渡り、
東海道中最大の浜松宿を経て、青々と美しい長池松並木を潜って舞阪宿で浜名湖に至る。
所要は5時間45分。次回は新居宿へ渡って、吉田宿(豊橋)辺りまで歩けるだろうか。
見付宿(JR磐田駅前)~浜松宿~舞阪宿 26.1km