日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

薙刀直し刀 真景 Sanekage Katana

2016-04-12 | 
薙刀直し刀 真景

 
薙刀直し刀 真景

 則重の影響を受けた刀工と考えられているのが加賀の真景である。ただ、時代的に直接の接点はなさそうで、あるとすれば二代則重の門人、あるいは間隔があいて則重風を能くした刀工と考える。この薙刀直しの刀は、物打辺りの景色が凄い。激しい地景を伴って沸もろとも渦巻きの中に呑み込んでしまうかのような景観だ。これら地鉄の工夫は、南北朝時代という背景から、截断能力を高めるために為されたことだと考えて良いだろう。強い地鉄と刃中の沸匂の複合。刃中は沸深く、その中に金筋、沸筋、砂流しが流れているところなど則重そのもの。焼刃構成も沸が強い乱刃で、刃文が良く判らないほど。焼刃の沸が地中にこぼれて湯走りとなり、これも激しい景観。



短刀 則重 Norishige Tanto

2016-04-11 | 短刀
短刀 則重


短刀 則重

 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて寸の長い太刀が製作され、後に自らの身体や剣術に合わせてもっとも扱い易い寸法に直した。そのためこの時代の太刀はほとんどが無銘となっている。だから小脇差や短刀に在銘が多いのは志津兼氏でも同じである。さて、相州伝鍛冶の代表の一人でもある則重は、前回にも紹介したように沸の強い作風で特異であり、武張った風合いが桃山時代の武士に好まれ、今でも人気が高い。この短刀は、もちろん研磨が繰り返されているため身幅は減ってはいるが、姿格好は頗るいい。わずかに内反りで、いかにも使い易そうだ。地鉄も板目が強く肌立ち、地景が渦巻き、これに地沸が同調して激しい景観。これが則重の魅力だ。刃中は沸が厚く深く付き、ところによっては刃先にまで及んでいる。この中に金筋を伴う沸筋が蠢き、沸が流れ、地中にも流れ、帽子も流れて掃き掛けている。

刀 則重 Norishige Katana

2016-04-09 | 
刀 則重


刀 則重

相州伝の鍛冶では同じ新藤五の弟子で正宗に先行するのが則重である。独特の激しく肌立つ鍛え肌に沸が強く意識された焼刃で知られている。異鉄を交えて強靭さを高めたのであろう。鎌倉時代末期は、異国からの脅威を感じ、太刀がより武器らしい存在感を高めた時代と言える。それまでの太刀は、斬れ味は頗る高いものの武士の象徴的な意味合いであった。戦闘武器は薙刀が主たる位置付けであり、太刀は薙刀に適うものではなかったのだ。そこで薙刀に代わる寸法の長い太刀が考案された。則重はこの地鉄を考案した。刃文は互の目が定まらない、言わば時代の古い小乱に近いもので、沸の強い中に肌に沿って沸筋、金筋、砂流しが層を成している。帽子の先まで変わることなく沸が流れ、先は掃き掛けてわずかに返っている。



薙刀直し脇差 志賀関 Shiga-Seki Wakizashi(Katateuchi‐Katana)

2016-04-08 | 
薙刀直し脇差 志賀関

 
薙刀直し脇差 志賀関

 これも薙刀を直したもの。現在の分類では二尺を下回る一尺九寸だから刀にはならないが、実際に使用されていた頃は片手打ちの刀に他ならない。物打辺りが張って武張った印象があり、姿からも桃山時代の武将には好まれたもの。板目鍛えの地鉄に互の目の刃文。互の目の所々が尖っている。匂主調ながら沸がこれに交じっており、鋒には沸が一段と強く流れている。この手のものが志賀席に極められていることから同趣の作が多々あるのだろう。時代は室町中後期。



長巻直し刀 志賀関 Shigazeki Katana

2016-04-07 | 
長巻直し刀 志賀関


長巻直し刀 志賀関

 室町時代中期の美濃国の刀工で、関より尾張国山田庄志賀に移住した兼延の特徴が現れた作。このように席から志賀に移住した刀工群を志賀関と呼び慣わしている。実戦の場で盛んに用いられた大薙刀を刀に仕立て直したもので、その特徴が良く遺されている。美濃刀と一口に言っても、乱刃から直刃まで様々。地鉄も良く詰んだ小板目鍛えからこのように板目の流れたものまで様々である。分り易い互の目の特徴は、志津の作例でも紹介したように互の目の頭が少し尖っているところ。丸みのある互の目も交じるが、ところどころに鬼の角のような尖刃がある。刃文は匂を主調に小沸が付き、刃境がほつれ掛かっている。帽子は棟側が大きく磨られているため生ぶの状態が判らない。現状では長巻直しの多くがそうであるように焼き詰め。姿に力がある。造り込みが生ぶでなくても、所持者自らが最も扱い易い姿に仕立てたのだから、もちろん今でも扱い易い。実用武器の代表格であり、地刃にも面白味が濃厚。

平造脇差 兼延 Kanenobu Wakizashi

2016-04-06 | その他
平造脇差 兼延

 
平造脇差 兼延

 わずかに磨り上げられて無銘となったもの。元来の寸法とはさほど変わっていない。南北朝時代末期の、直江志津の流れの刀工兼延と極められている。身幅が広く重ねは控えめ、地鉄が詰んだ小板目状に見えるも、その中に板目流れの肌が現れている。姿と地鉄を見る限りでの時代観はもう少し遡るようにも思えるが、湾れに互の目を交えた刃文構成が、より強く確立されてきているように感じられる。中でも互の目の頭が爪のように、あるいは鬼の角のように尖っているのが良く判る。美濃物と言われる風情が強まっているのだ。とは言え、この脇差においては、やはり地鉄が魅力。板目肌が流れて柾がかり、これが躍動的でありながらも肌間が良く詰んで、地沸が付き潤い感があり、これに映りが加わって味わい格別。焼刃も沸より匂が主体となっている。□



短刀 直江志津 Naoe-Shizu Tanto

2016-04-05 | 短刀
短刀 直江志津


短刀 直江志津

直江志津に極められた短刀。身幅広めで先反りが顕著、重ねが薄く南北朝時代中期の典型。地鉄はこれまでのものに比較して小板目状に揃っている。だが仔細に観察すると、所々に板目や杢目が交じり、地景によって躍動感に満ちている。地沸も全面に付いて淡い映りがこれに重なり、詰みながらも変化に富んだ地相。先の短刀とは極端に景色の現れ方が異なるも、浅井湾れに互の目を交えた刃文の様子や地相全体で捉えると共通点が窺える。帽子は分り難いが、浅く乱れ込んで先小丸に返り先端が掃き掛けている。



短刀 直江志津 Naoe-Shizu Tanto

2016-04-04 | 短刀
短刀 直江志津


短刀 直江志津

九分弱の短刀で、身幅が広めに先反りが顕著。南北朝時代の小脇差あるいは短刀の典型的姿格好。重ねも薄手。地鉄を鑑賞してほしい。微妙に質の異なる地鉄が複合されているのであろう、それが混じり合い、地景が強く意識され、所々に杢目が現れて綾杉風にも見える。鉄に沿って地沸の付き方や映りの出方が異なり、それが景色となっている。躍動的であり、映りは濃淡変化に富み、これが鉄なのかと見入ってしまう。この美観は鎌倉時代の刀工が既に感じとっており、その再現を試みたのであろうか、備前、山城各地で鍛え方は違えど、地中の働きとして追及されたようだ。志津の作風は、後に美濃伝として完成に至るのだが、未だ美濃伝と言って良いのだろうか、もちろん美濃伝は様々な伝法が入り交じって完成されるに至るのだが、その初期段階の魅力が横溢の作である。刃文は浅い互の目で、その焼頭を観察すると、所々に尖り調子が窺える。

刀 直江志津 Naoe-Shizu Katana

2016-04-02 | 
刀 直江志津


刀 直江志津

 志津、あるいは直江志津と呼び名があるも、これらは集団で刀造りをしており一人鍛冶ではない。時代背景から特に長寸の太刀を製作しており、後に磨り上げられたため、在銘作が頗る少ない。兼氏でも在銘作のほとんどが小脇差である。だから志津の中でも個銘を極めることが難しい。作風の違いにより大きな枠組みで志津、あるいは直江志津と呼んでいる。この刀もその一つ。地鉄は前回のものに比較して柾気が弱いものの板目や杢目が所々に強く現れ、所々縮緬状にも見える。これに地沸が付いてざんぐりとした風合い。刃文は湾れ基調の所々に互の目が交じり、それが明らかに尖刃となっている。物打辺りは強く乱れ、一部に沸筋が太く入り、帽子はそのまま乱れ込んで大きく掃き掛け、焼詰めとなる。帽子の焼詰めは大和古伝そのまま。刃文を見ると直江志津。





刀 直江志津 Naoe-Shizu

2016-04-01 | 
刀 直江志津


刀 直江志津

 大和から美濃に移住した兼氏を中心とする一門は、志津において栄えたが、水害が多いことから近隣の直江に鍛冶場を移した。この頃の作風を直江志津と呼び分けている。時代は兼氏の弟子の頃。古伝である大和風は次第に収まり、後の美濃振りが強まるというところに特徴がある。ただ、その微妙な違いは、鑑定家によって異なり、時には時代観が前後することもある。大きな視野で捉えれば、志津一門に違いない。
さてこの刀は、総体的に穏やかな湾れ調子の刃文だが所々に互の目が顕著に現れており、時代観が窺える。互の目の頭が少し尖り調子である点に注意したい。だから地鉄だけを見ていると、板目が流れて柾調になっており、地沸が付いて地景も強く現れており、大和色が強いから兼氏かなとも思ってしまうのだが、刃文になんとなく尖ったところがみられ、納得する。同じ時代の直江志津極めであっても、地鉄はもう少し詰んだ作から前時代を踏襲している強い流れ肌を伴うものもある。この作では帽子が小丸に返っているがその先端部は掃き掛けを伴っている。