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▲「おさとうやま」から見た旧野蒜駅と佐藤さん
旧野蒜駅でのトイレ休憩後、「おさとうやま」に向かいました。
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▲「おさとうやま」の看板
「おさとうやま」登頂口に手書きの看板が立っています。
そのとなりには東松島市が設置した緊急避難場所の看板と、「おさとうやま」の由来を説明した看板があります。
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▲手作り感イッパイの登山道
手作り感イッパイの登山道を登ること2〜3分、避難小屋が見えてきます。
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▲避難小屋
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▲避難小屋と山頂の様子
私が行くという連絡を会社から受け、恐れ多いことに佐藤さんは私を待っていてくださったのだそうです。
およそ30分ほど「おさとうやま」のお話を聞かせていただきました。
「おさとうやま」については地元新聞社が書かれた記事をご参照ください。
「おさとうやま」が段々と避難場所として形になった時、佐藤さんは「緊急避難場所」の看板を出して周辺住民に、もし津波が来たときにはこちらへ非難するよう告知したかったそうですが、行政がそれを許さず、「おさとうやま」直ぐ側の住人が車で避難しようとして津波に巻き込まれた姿、直下の家から上がる悲鳴など、「おさとうやま」から見た光景を今でも忘れることが出来ないそうです。
行政に逆らってでも告知するべきだったと思うのだそうです。
今年89歳の佐藤さんはとてもお元気なのですが、「おさとうやま」を作り始めた65歳の時と比べると「馬力がなくなってきた」そうです。
一番大変なことが草刈り、枝落としということなので、なんとかならんか検討しています。
さて、佐藤さんからお聞きしたところ、私を案内してくれた会社のドライバーは、現社長である佐藤さんのご子息なのだそうです。
ご子息の案内で、最後の目的地、仙石線、下り石巻行き列車が停車した場所に行きました。
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▲仙石線・下り石巻行き列車の停止地点
2011.3.11当日、地震発生時に停車した場所が山の切通で高い場所だったこと、野蒜小学校へ避難させようとした車掌を、ここに留まる方が良いと説得された元消防団の方の存在などがあったため、乗客は停車場所に留まり、津波被害から逃れることが出来ました。
列車の上り・下りで運命が別れてしまったわけです。
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▲高台に移設された現・野蒜駅
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▲現・野蒜駅ホームからかすかに見える旧野蒜駅
ご子息の運転で現・野蒜駅に到着し、今回の「みちのくひとり旅」の目的はほぼ達成されました。
残るは貞観津波に関する「末の松山」となりました。
「みちのくひとり旅」6 に続く。
河北新報記事
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