めまい継続
最低限の仕事をして定時上がり
いつも任せっぱなしの家事をすることも
じゃれて遊んでくれる年頃の子供たちと遊ぶのも
とても貴重なことだと再認識
ブレスレット作りました
ネーションズリーグがはじまってたの忘れてた
それはさておき、危険タックル問題
いろんな切り口で考えられる問題だね
「組織に命令されたからといっても
自分の意思に反したことをしてはならないという言葉が
私たち全ての大人に向かってくる」
アメフト 日大選手「監督が “つぶせば出してやる”」 (NHKニュース)『為末 大Twitter』
「安物買いの銭失い」というけれど、
いまは、いい安物ならけっこうたくさんある。
それはそれで、ありがたい時代になったものだ。
ちゃんとなにかが行き渡るということは、
やっぱりいいことのひとつだと思うんだ。
でも、「いい安物」をつくるのには、
けっこう誰かに無理をさせているようなところはある。
それはそうと、コストということを思う。
「暴力というのは、いちばん安いやり方なんでね」と、
かつて吉本隆明さんが言っていた。
たとえば親がこどもになにかさせようとするときに、
しなかったら痛い目に合わせるぞだとか、
自由を奪ってしまうような暴力を使うことは、
最もコストをかけずに、目的を達成しようということだ。
拳銃を突きつけて、相手を従わせることも、
爆弾をしかけて脅迫することも、
安く手っ取り早く効果を得るための方法ではあるだろう。
テロリストひとりが、もっとも安いやり方で
テロを仕掛けるとき、それを防ごうとする側には
ものすごいコストがかかるものだ。
いまの時代に、「戦争」という形式の
力のぶつかり合いは減っているかもしれないけれど、
テロと、テロへの報復というかたちでの「戦争」は、
ひどくなっているとも言えそうだ。
「ことば」の世界もそれに似てきているように思う。
それなりに長いこと生きてきて、しみじみ思うのだが、
それなりのコストを覚悟するところから、
ほんとうに大事なことは始まる。
もちろん、お金という意味のコストだけではない。
人びとの手、こころの入れよう、時間、みんなコストだ。
なにかのものごとを本気でやった人ならわかるだろうが、
なにをするにも、必要な知恵と汗の分量は相当なものだ
(そしてそれをだいなしにするのは容易い)。
まだ、インターネット全盛の時代なのだけれど、
ここでのコストのかからないコミュニケーションは、
「安物」なのではないかと、人は思いはじめている。
ネットの向こうの「人間そのもの」を見ている。
そして「人間そのもの」をつくるコストは高いよー。
(『ほぼ日刊イトイ新聞』)
「審判の笛は聞こえていたか」
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