そういえば、今週の久能くんの持論は、闘病についてでした。
お隣のベットから『長い闘病生活の末、病気に負ける』という言葉を聞いて、
久能くん、
『僕ずっと疑問に思ってました。どうして闘病って言うんだろう。闘(たたか)うと言うから勝ち負けがつく』
と話し始め、
『例えば有名人が亡くなったときに報道で「病には勝てず」や「病気に負けて」や「闘病の末、力尽きて」など、
どうして亡くなった人をむち打つ言葉を無神経に使うんだろう。
勝ち負けがあるとしたら、お医者さんとか医療、その時点の医療が負けるんです。患者本人が、負けるんじゃない』
と言ってました。
かくいう私は、日本一の不治の病持ちです。明るい患者です(^^)v
梅ちゃんもよく、
『最初に告げられた時はショックだったけど、最近はアンタホントに・・・なのと思ってます』
と言ってます(T_T)
実は最初に私の病気を先生から告げられたのは梅ちゃんでした。梅ちゃんのデータでは2012年4月18日。
そのころ私は、お隣の国に駐在中で、帰国時に受けた検査の結果を梅ちゃんに聞いてきてもらいました。
もちろん、その情報はその日のうちに梅ちゃんから国際電話で、
のんびり、桟橋で濁った川を眺めながら、煙草をふかしながら聞きました(^_-)-☆
2013年3月13日のこのブログには
オッハッヨーッーヽ(^。^)ノ
の呑気な絵文字から始めてこんなことを書いています。
あたらしいカテゴリーを追加しました。
おとといはじまった治療の日記・・・
切ることも埋めることもせず、
アレとともに暮らしていくことにしましたので、
共病記
病と共に暮らしていく・・・
治療によって、どう変わっていくのか・・・
その記録を残したい・・・
そして、あとから自分で読み返したい・・・
そうです。
久能くんの持論の意図と同じかどうかわかりませんが、
私は当初から、『闘うことを放棄し、共に暮らす』ことを宣言しています。
なので、私が旅立つ日には、
「病には勝てず」や「病気に負けて」や「闘病の末、力尽きて」は言わないでほしい。
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