ブリヂストン美術館の「ドビュッシー 音楽と美術」展に行ってきた。
クロード・アシル・ドビュッシー(1862~1918)は「私は音楽と同じくらい絵が好きなので」と語っており、多くの画家、詩人たちと交わった。また神話や歴史からも多くのインスピレーションを得た作品を作った。
20代後半に作られたカンタータ「選ばれし乙女」という歌曲はロセッティの詩「祝福されし乙女」がもとになっていて、ロセッティ自身が描いた「選ばれし乙女」の絵が展示してあった。若くして昇天した乙女が、天国の宮殿の手すりから、地上に残した恋人を慕う。バーン・ジョーンズが描いていた物思いにふけりながら本を読む王女サプラ、モーリス・ドニも描いていたくつろぐミューズたちやカンタータ「選ばれし乙女」の表紙に登場する乙女はうっとりとした雰囲気で輪郭もぼんやりどことなくはかなげ。純真でありながら背徳的で神秘的という説明がなされていた。バーン・ジョーンズの王女サプラ、ドレスと花のピンクが印象的だった。
ドビュッシーは熱心に雑誌を読みカフェを訪れていた。そして画家ルロール、作曲家ショーソン、高級官僚フォンテーヌに作品制作を依頼され、画家モーリス・ドニとともに若き芸術家として支援を受けていた。一緒に支援を受けていたというモーリス・ドニの絵の曲線美と独特の色遣いに釘付けになった。薄いピンクとブルーまたは緑色の組み合わせ、黄色と緑色の組み合わせがどことなくゴッホを思わせる雰囲気だった。
ルノワールとも接点のあったドビュッシー。「ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロール」の二人は他の女性と付き合っておきながらロゼと婚約騒動を起こしてしまい、交流を持っていた多くの人物を敵に回したドビュッシーに温かく接し続けたルロール家の娘さんたち。画家が自発的に描いたと言われているこの絵、娘さんたちの表情もやさしくのびやかだった。
古代への回帰ではマラルメの詩「牧神の午後」にインスパイアされて作曲されたドビュッシーの代表作「牧神の午後のための序曲」がテーマになっていた。舞踏家ニジンスキーの扮する肉体美溢れる牧神と不思議な格好をして踊っているニンフの姿が目に焼き付いている。ニジンスキーは「メナドを追いかけるサテュロス」という壺の絵に描かれている人物と似たような恰好をしていた。最後の場面というニンフのスカーフの上に横たわる牧神のあぶなさ。フルートの妖しそうな旋律がさらに官能的に。
ペレアスとメリザンドはモーリス・メーテルリンクによる戯曲に基づいたドビュッシーが完成させた唯一のオペラ。王太子ゴローと王太子妃メリザンドは結婚したものの、メリザンドは弟ペレアスと恋に落ちてしまうという禁断の悲恋物語。シャルル・ビアンキーニによる舞台衣装の絵が素敵だった。そしてなんといってもよかったのが音声ガイドに入っていた「わたしの長い髪が」というアリア。ドビュッシー本人によるピアノ演奏とメアリー・ガーデンによる歌がすばらしかった。
アール・ヌーヴォーとジャポニズムにもドビュッシーは深く関わっている。モーリス・ドニのアラベスク文様、エミール・ガレの曲線美あふれる花瓶に心惹かれていた。そして葛飾北斎の富嶽三十六景神奈川沖浪裏の絵を自分の作品である交響詩「海」のスコアの表紙にした。印象的だったのは彼が愛用していたというアルケルというカエルの文鎮。大きくて重そうなのだけどかわいらしいカエルを愛用していたドビュッシーになんとなく親しみを感じた。
ドビュッシーは海に愛着を持っており、海を描いた画家たちからもインスピレーションを受けた。モネによる「雨のベリール」。荒れ狂う海の波をあらわす激しい筆遣いから聴こえてくる波しぶき。ジョルジュ・ラコンプによるハート形をした周囲から波がうねるようにはい出ている「紫色の波」。かと思えばモネの「黄昏、ヴェネツィア」をはじめとした静まり返った水面。「海」や「水の反映」が聴こえてくる。
ドビュッシーは自然界の絶えず変化するゆらめきを大切にしながらも、それだけではなく、心の内側にあるものも重視した音楽を作ったと言われている。カディンスキーは「現代人の魂のひび割れた音」が彼の音楽から聴こえると言った。終止といわれる不協和音からの解決を必須とせず、和声の呪縛から解放された響きをもたらしているところからも感じ取れそうだ。従来のもので満足せず、幅広いテーマから常に新しく革新的なものを求めていった作曲家だったのだ。
幸いガイドブックを買ったので、ドビュッシー自身にはそこまで詳しくない割にはまとなりのない文章をたくさん書いてしまったが、彼の残したものの大きさに圧倒され、彼の音楽をもっと聴きたい、そして彼が表現したという心の内側にある魂のひび割れた音もさぐりたいと心底感じることのできた二時間だった。