ピアノの本番での演奏中にふと心がよそ見しそうになる事態。よそ見しているのは心だけで、指がちゃんと動いてくれれば、まだ大丈夫なのだけど、ふとよそ見したと意識したとたん指もつられて、というのだけは避けたい避けたい避けたい。10年ぐらい前までは雑念自体よぎることもなかったよう気がするのだけど、ここ数年はよぎるようになっていけない。本当に困ったものだ。今となっては、もう、よぎる自分を受け入れるしかないかもしれないと思えている。たとえばこんなところで弾いているどうしよう、なんていう気持ちになりそうになった瞬間意識を出している音に!向けられたら。
本番前まではしっかり試行錯誤、追求するけれども、本番になったら無心になるとよい、というのもどうなのだろう。先生によると、無心になれなくてもよい、状況自体無心になれる状況でもないから、それよりもその場を楽しもうとの話。となると、雑念がよぎってもよい、よぎる自分を受け入れて、その場を楽しもうというのもありだ。確かに、そうだな、無心になれなくてもよいし雑念もよぎってしまったものはしかたない。そこからどうするか、しかないのだろうな。雑念がよぎったら今その雑念はいらん、大切なのは今なのだからそれよりもこの曲のここ素敵じゃんと言い聞かせる、それでいこう。
増税前に滑り込みのように買ったもの、あります。ちょうどその時期にバドゥラ・スコダ氏が亡くなり、スコダ氏が、モーツァルトについてよい本を書いていたというのをSNSで知り、思わず奮発してしまったのだった。『モーツァルト 演奏法と解釈』エファ&パウル・バドゥ―ラ=スコダ著 今井顕監訳、堀朋平・西田紘子訳。非常に厚いので今回の本番には間に合わないかと思うけれど、そして、その直後にモーツァルトを弾く予定も、今のところはないのだけれど、きっといつか弾くと思うし、知っておいてよいことが沢山書かれているだろうと自分に言い聞かせている。