近頃、とみに年を感じます。したい事はあっても、なかなか体も頭もついていかない。こんなことなら、若い日々を無為に過ごすのではなかった、と後悔しても仕方ないんですけれど……。
その一方で、40代になった今の方が、若い頃より「ものが見える」ようになったとも思います。出会う物事の本当の価値が、以前よりわかるようになったし、人間を見る目もできてくる。 昔は、目の前の事で精一杯だったけれど、今は過去も未来もふくめた複合的な視線で、物事に接することができるようになった気もします。
時々、わたしの心をよぎる言葉に「二十歳の肉体と五十歳の智恵を持ちたい」というものがあるのですが、これは今は亡くなったフランスの女優の名文句。 本当、言い得て妙ではありませんか! 若さの最高潮にある肉体を、成熟した智恵を持つ――これだと、本当に怖いものなし、という感じがします。
大方の人間は、五十歳を越えると、それぞれ人生経験の幅にかかわらず、それなりの世間知や人を見る目を備えてくるものです。すでにその時、人生の秋を告げる鐘は鳴っているかもしれませんが、物事の本当のうまみを味わう季節は、それからはじまるのだろうとも思います。
終わったばかりの夏。夏は、若さ全開の季節で、あちこちで若い人たちのパワーが炸裂したもの。その滑らかな皮膚やつややかな髪を見て、「若いっていいなあ」と溜息をついたものの、その実、あんまりうらやましくはないかも。 だって、当時の自分を思いかえしても、若さって、あまりに未完成で、傲慢なものだから。
「青春は、若い奴らには、もったいない」とのたまった詩人がいましたが、精神は年相応にしろ、若い肉体は手に入るなら、入れたいもの! これは、全人類の見果てぬ願望かも?
その一方で、40代になった今の方が、若い頃より「ものが見える」ようになったとも思います。出会う物事の本当の価値が、以前よりわかるようになったし、人間を見る目もできてくる。 昔は、目の前の事で精一杯だったけれど、今は過去も未来もふくめた複合的な視線で、物事に接することができるようになった気もします。
時々、わたしの心をよぎる言葉に「二十歳の肉体と五十歳の智恵を持ちたい」というものがあるのですが、これは今は亡くなったフランスの女優の名文句。 本当、言い得て妙ではありませんか! 若さの最高潮にある肉体を、成熟した智恵を持つ――これだと、本当に怖いものなし、という感じがします。
大方の人間は、五十歳を越えると、それぞれ人生経験の幅にかかわらず、それなりの世間知や人を見る目を備えてくるものです。すでにその時、人生の秋を告げる鐘は鳴っているかもしれませんが、物事の本当のうまみを味わう季節は、それからはじまるのだろうとも思います。
終わったばかりの夏。夏は、若さ全開の季節で、あちこちで若い人たちのパワーが炸裂したもの。その滑らかな皮膚やつややかな髪を見て、「若いっていいなあ」と溜息をついたものの、その実、あんまりうらやましくはないかも。 だって、当時の自分を思いかえしても、若さって、あまりに未完成で、傲慢なものだから。
「青春は、若い奴らには、もったいない」とのたまった詩人がいましたが、精神は年相応にしろ、若い肉体は手に入るなら、入れたいもの! これは、全人類の見果てぬ願望かも?