玄蕃尾城は内中尾山城とも呼ばれる。玄蕃尾城の名の
いわれは、柴田勝家重臣の佐久間玄蕃允盛政に因むとも
言うが、はっきりしない。
天正十年(1582)の本能寺の変後、北之庄城(福
井市)主柴田勝家は長浜城(長浜市)を中心とした近江
北部を所領とした。この時、北之庄城と長浜城を結ぶ中
間点、越前・近江国境上に築かれた陣城が玄蕃尾城であ
る。
玄蕃尾城は、マクロ的には勝家所領の中間点にあり、
兵箔線を担ったと考えられる。
ミクロ的には南方の久々坂峠(刀根越え)、北方の椿
坂峠の中間に位置し、二つの峠道の監視・遮断を担った
と考えられる。
さて翌大正十一年、勝家は羽柴秀吉と賤ケ岳付近で激
突する(賤ケ岳の合戦)、この合戦の際、勝家は当初内
申尾山、すなわち玄蕃尾城に本陣を置き、羽柴軍と対峙
した,合戦中盤に勝家は山麓の狐塚(余呉町)に本陣を
移すが秀吉軍に敗れ、北之庄城へ撤退する。以後、玄蕃
尾城は廃絶したと考えられる。
このように玄蕃尾城は使用時期が明らかな上、その使
用期間は一年にも満たない,また築城者がはっきりして
おり、その築城目的もおおよそはっきりする。周囲に存
在する柴田勝家車の陣城中でも、最も優れ、最も整った
縄張りである,城郭研究上、極めて貴重な存在であり、
現在国指定史跡となっている。
玄蕃尾城は、山城ながらその曲輪の形態は直線・直角
に析れる塁線を基調とし、幾何学的な形態である、
曲輪配置はほぼ方形の主郭Iを中心とし、その南北に
曲輪を連郭状に配置している。そしてこれらの曲輪群は、
後述する曲輪Ⅳ・Vを除いて2つ以上の虎口(開口部)
を有する。つまり曲輪群は南北に並び、それぞれが入口
と出目を持っている。これらの曲輪が並ぶことで、城内
を一本の道が通過する形になっている。
ただし一本の道と言っても、それは複雑に祈り曲げら
れて直進できるものではない。また曲輪間は堀・土塁、
そして現存しないが門によって遮断され、容易に通過で
きないようになっていた。さらに折り曲げた一通路に対
し、守備側の攻撃がしやすいような縄張りが造り出され
ていた。
この一本の道を南・北に進んだ延長上に、峠道がそれ
ぞれ存在する。つまり、城内からでは二つの峠道を介し
て、四方面に進行することが可能となった。
主郭Ⅰには、北東隅に天守台Aを構える。天守台は約
10メートル四方の広がりを持ち、主郭よりも約1.5メ
ートル高くなっている。天守台ヒには現状ではわかりに
くいが、礎石が存在する,二、三階の天守が建つほどの
規嗅と言える。
天守台の外側二辺には高さ約1メートルの上塁が巡ら
されている。したがって、天守一階は外側からみると、
一部もしくはその全体が土塁に覆われていたはずである
(天守が存在したと仮定して)。同様の構造は土塁・石
垣の違いはあるが、岡山城(岡山市)月見櫓、姫路城(
姫路市)備前丸の櫓等、近世城郭に認められる。
このような構造は、織豊期の城郭に多く見られる穴蔵
の変形であり、土塁上に天守本体の荷重を掛けない工夫
と考えられる。いずれにしろ、このような天守台は天守
の建設を前提としたものである。また、玄蕃尾城のよう
な陣城、しかも土造りの城郭において天守台が築かれて
るのは、その軍事的な要請に基づくものと考えられる。
天守の機能、近世以前の諸形態を考える上でも、玄蕃
尾城の天守台は多くの示唆を与えてくれる。
玄蕃尾城の遺構中、従来注目されたものの1つが曲輪
Ⅳの馬出である。主郭虎口前方に位置し、その前衛とし
ての役割を担ったと考えられる。ただし、子細に見ると
主郭の東側にある曲輪Vも曲輪Ⅳに類似した位置関係・
機能が考えられる。これらの曲輪に挟まれた帯曲輪部分
に立つと、主郭側からと併せて、十字砲火が及ぶ。
このような厳重な防備が設定されているのは、帯曲輪
直下の谷から主郭間際に接近されるのを警戒したためで
あろう。
先述のように、玄蕃尾城では尾根上に曲輪を連ね、通
路も複雑に祈り曲げている。加えて、谷筋からの敵の侵
入に対しても、厳重な対処を行っている。いわば、全方
位に対する防御を相応に行っている。
この他、玄蕃尾城の縄張りには見るべき点が多い。た
だし、その最大の見どころは定期的な管理により、夏場
においても堀・土塁の形態・規模が観察しやすくなって
いるところにあるのではないか。
(高田 徹)
出典:
【エピソード】
【脚注及びリンク】
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1.玄蕃尾城を訪ねる。今も - 敦賀の歴史
2. 玄蕃尾城① ~賤ヶ岳の合戦・勝家本陣
3. 玄蕃尾城(内中尾山城)①|kai遊録
4. 湖北 行市山~玄蕃尾城、滋賀山友会
5. 玄蕃尾城は、一見の価値はある。
6. 賤ヶ岳合戦 | 余呉観光情報
7. 賤ヶ岳の戦い - Wikipedia
8. 福井県の文化財 | 敦賀市 玄蕃尾城(内中尾山城)跡
9. 佐久間 盛政、Wikipedia
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