梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

内臓さんに感謝!

2012-12-06 17:59:17 | Weblog
世の中衆議院議員選挙一色ですが、ブログに書くと公職選挙法違反となりそうなので書けません。
前時代のような気さえします。

明日は、しばらく街宣のお手伝い夜は長浜で忘年会。

内臓さん負担をお掛けしますが、宜しくお願いします。

皆さんも忘年会シーズン、内臓さんに感謝をしながらほどほどに・・・。
言っている本人が、ほどほどに・・・が守れなく苦労しています。
アクアサービスの盛社長のメールから・・。


〔内臓の寿命を延ばす方法とは?〕 第794号
  
   ~~~ 感動と感謝の一日をありがとう! ~~~

皆さんに質問です。以下の「Aさん」と「Bさん」は、
どちらが元気で長生きすると思いますか?


「昔から胃腸が弱くて、いつも気をつけているんですが、
最近はまずまずです」と話すAさん。

「元気だけが取り柄。いつも絶好調です」と話すBさん。

慶応大学医学部教授の伊藤裕先生は、多くの場合、
実は「Aさん」が元気で長生きしますと述べています。

普段元気な人ほど慢心しがちで、体に自信があるから大丈夫と、
無理をしてしまう傾向にあります。

反対に、一つくらい持病のある人のほうが無理をしないし、
常に自分の体調に気を遣いながら生活するようです。

今まで元気だった人が一気に病気になってしまう理由は、
「臓器の時間」が尽きるために起こります。

「臓器の時間」という言葉は医学の世界における新しい概念で、
健康を保つための考え方として現在研究が進んでいます。 

心臓や腎臓など、臓器には寿命があり、それが尽きてくると、
臓器の機能が低下します。マウスの実験では腸と腎臓が最も
早く老いるという結果が出ています。

一つの臓器の機能低下を補うため、他の臓器に負担がかかり、
その結果、他の臓器の寿命も短くなっていき、健康だった体が
一気に病気になっていくのです。

この「臓器の時間」を遅くする方法として、伊藤先生は自分の
内臓を「内臓さん」と呼んで、もう一人の自分として意識する
ことを勧めています。

そして、「内臓さん」の声に耳を傾け、そのサインを見逃さない
ために一番大切なことは、「規則正しい生活」を送ることです。

規則正しい生活を送っていれば、「今日は少しおしっこの出が悪い」
「今日は食欲がないな~」と、僅かな変化に気づくことができます。

また、普段から自分の「内臓さん」のケアをするためには、
食べる「量」「質」「時間」に気を配ることが大切です。

「量」は、「腹八分目」に食べること。
「質」は、「ゆっくり、よく噛んで」食べること。
「時間」は、「食事の時間を決めて」食べること。

自分の「臓器の時間」を遅らせる(臓器の寿命を延ばす)方法は、
規則正しい生活を送り、食事の時間を決めて、ゆっくりよく噛んで、
腹八分目に食べることです。


今日から自分の内臓に「内臓さん」と呼んでみましょう。


突然の便り ~千代子はまだ生きています~

2012-12-06 09:43:51 | Weblog



「突然の便り ~千代子はまだ生きています~」


              中條高徳(アサヒビール名誉顧問)

                 『致知』2013年1月号
                  リレー連載「巻頭の言葉」より


└─────────────────────────────────┘


暑かった平成二十四年の夏も終ろうとする頃、
分厚い包みが届いた。

京都府綾部市の川北千代子さんからのものであった。


お会いしたこともない方々から、
毎日のように講演の感動や、拙著の読後の喜びを
伝えてくださるお手紙をたくさんいただくので、
すぐにはどなたか思い出せなかった。

お手紙を読むや、この老いの身も心も
電気ショックに打たれたような衝撃を受けた。

この世の出来事かと身をつねるほどの感動であった。


筆者の早朝の靖国詣では数十年に及ぶ。

若い頃、遊就館の「親子の像」の隣の
展示ショールームに飾られている
一通の遺言状に釘付けになった。

「妻千代子へ」という、
しっかりした筆跡の遺言状であった。

十八年十二月一日とある。

筆者はその一か月前の十一月三日、
教育総監から陸軍士官学校合格の電報を受け、
勇躍国家のために尽くせると身も心も燃えていた。

遺言状はその頃のものである。



「兼(かね)テ軍人ノ妻トシテ嫁グ前ヨリ覚悟ナシ居リシコトト思フガ


決シテ取乱(とりみだ)スコトナク


 武勲ヲ喜ンデ呉(くれ)ヨ


ヨク仕ヘテ呉タ事ヲ心ヨリ感謝シテイル


短イ期間デハアツタガ誰ヨリモ
 可愛イ妻トシテ暮シタ事ハ忘レナイ


飽ク迄(まで)川北家ニ踏止(ふみとどま)ツテ
 御両親ニ仕ヘテ呉(く)レ」


入隊前日認(したた)ム 川北偉夫(まさお)



数十年前のことであった。

同年代の男としてこの遺言状に触れた瞬間、
涙が滂沱と流れた。

筆者も結婚していただけに男の気持ち、
その切なさが痛いほど伝わってきた。

国家の防人として出征する男の公の決意と
新婚間もない可愛い妻との別離の切なさの間に立って、
「川北家に止まって両親に孝養を尽くせ」としか
再婚拒否の意を伝えることができなかった戦時下を思うと、
戦争の罪深さと男の切なさが身に沁みる。


筆者は幾度となくこの遺言状の前に額(ぬか)ずいて
涙を重ねてきた。


なんとその千代子さんの手紙が届いたのだ。


「千代子は生きています。
八十五歳で幸せに生きています」


との嬉しい感動のお手紙であった。