すばるに恋して∞に堕ちて

新たに。また1から始めてみようかと。

春よ、来い。

2009-02-08 20:33:10 | 少年倶楽部
ウヒャヒャヒャヒャ

壊れている私。

日曜の夕方になって、「少年倶楽部」見ました。

オープニングから、マイクを持って、歌ってるヨディ。
ああっ、
可愛いじゃないのっ

目下のところ、少年倶楽部を見る目当ては、ヨディです。

「いやいや、それはないわ~」

と、のたまう長女。

「カッコいいのかもしれないけど、どこかが惜しい」

は?
惜しくないもん。

あの仔犬のようなクリックリのお目め。
ドラムを叩きながらの、カメラ目線。

うふふふふ・・・

なにより、今日のカメラさんのアングルが、最高で。

やや左下から彼を映してくれたおかげで、
あごのラインが、なんとも、ジャストで、

「やっぱし、母は、おかしい」

長女の機嫌がよろしくありません。

理由は分かってるけど、
どうする手立てもありません。

う~ん。

ヤス。
お願いだから、その舞台、
名古屋でも上演してちょうだいな。

次女独自のルートで、彼女だけが行くことになったので、
長女の落ち込みようといったら、ないんだよね。

仕方ないことと、
本人も諦めてはいるみたいだけど、
それでも、ね。





話は変わりますが。

やっと、やっと、弟の喫茶店の風除室のディスプレーを替えました。

  


並んでいるお雛様は、45年前の、私のお雛様。
本来は、小さなガラスケースに入っていた、木目込み人形です。

ガラスケースはとっくの昔に割れてしまい、
お道具だって、足らなくて、
髪はよれてるし、お顔も少しくすんでしまったけれど、

一昨年亡くなった私の母方の祖母が、
初孫の私のためにと、彼女なりに奮発して買ってくれたもの。

当時は、段飾りが主流で、
御殿のついたものや、
見栄えのするものを買いたかったらしいのですが、

狭いアパート暮らしの父母に、
それは、場所的な問題で負担だったらしく、
このお人形になった、と、
祖母から聞かされた思い出があります。
11歳、年の離れた妹の雛人形を買うとき、
立派な七段飾りの雛人形が、
羨ましくてしかたなかったのを、覚えてます。

でも、
お嫁にいくまで毎年、妹の大きな七段飾りの横に、
父の作った、小さなひな壇に毛氈敷いて、
このお人形たちを、飾ってました。


  

    


雛人形の横の棚に並べたのは、
トールペイントの作品たち。

専門の本やキットを手本にして、
下手ながらも、絵筆を持つのが楽しかった頃に、
描きためたものです。

最近はジャニ事に時間を取られて、
絵筆を持つ時間のやりくりが出来てませんが。

今だに、本は買ってるし、
板もキットも、それなりに、溜まってるから、

どうにかやりくりして、
また、描きたいんだけど、なあ。

最後に。



本日の我が家の猫。

北風強い外の寒さなど知る由もなく、
窓越しの、暖かなひだまりの中で、

惰眠をむさぼってました。

幸せそう、でしょ?



明日咲く花

2009-02-08 09:39:23 | 日記
日曜の朝。

仮面ライダーが終わった後は、
いつもなら、TVを見てるってこと、しないんですけれど。

今朝は、「題名ない音楽会」に、さだまさしが出るというので、
ちょっと、楽しみにしながら、観てました。

最近は、ずっと∞とすばると、ジャニの音楽の中にいたので、

さださんの音楽に触れる機会が、
以前に比べたら、格段に減っていました。

今年初めの、NHKの「お正月もさだまさし」以来、かな。

オープニングのメドレー、それに、「秋桜」。
なにより、セプテンバーというグループに提供した楽曲、

「明日咲く花」。

これを聴いていたら、
ポロポロ、ポロポロ・・・  

歌っていたのは、さださんではなく、
(さださんは、ヴァイオリンでコラボです)
セプテンバーのボーカリストだったのですが、

その詞が、
歌いだしの1行目から、
もう、
ものの見事に、

私を包み込んでくれました。




すばるに出会うまで。

そう、ほんの4年前までは。

さださんの音楽が、私の支えでした。
中学生の頃から、もう、30年もの間、ずっと。

いえ、
今も、
私の根底にあるのは、

もしかしたら、彼の音楽なのかもしれません。

彼の紡ぎだす詩と、奏でる音とが、好きです。
(ああ、もちろん、おしゃべりも、ね)

すばるに出会って、
すばるが教えてくれた、すばるの音楽。

さださんとは、違うところから愛を歌う彼に、
だからこそ、
魅かれていったのかもしれません。

さださんの詩が、私を包み込むものとするなら、
すばるの詩は、わが身がともに願うもの、欲するもの。

中へ向かうもの、外へ向かうもの。
対極にいる、彼ら。

一概にはいいきれませんが、

そのどちらもが、きっと、私には、必要だったのでしょうし、
きっと、これからも必要とするのでしょう。


『自分の足で、歩幅で、歩むんだよ』


彼らが交わることはなくても、
まったく別の音楽性であろうとも、

二人から教えられたものは、
私が感じ取ったものは、
実は、共通していたのだ、と。

改めて感じた、日曜の朝のひとときでした。














さださんに関しては、

実はとても年季が入っているのに、

コンサートにも行かない、ファンクラブにも入ってない、
CDすら、買うのはご無沙汰している私です。

なのに、折々にユーキャンから出される全集ものだけは、
買ってます。
(あ、この間来てた『ラジオトーク全集』は、予算の都合で、買えなかったな)

手に入れて、安心して、
まだ、未開封のものもあったりしますが。
(∞だったら、そんなこと、絶対にないんだけど)

遠回りをして、
寄り道をして、
時々、安心したくて思い出す場所。

いつでも、ここにいるよ、と、
手を広げていてくれる場所。

それが、私のとっての「さだまさし」なのかもしれません。