ヤバイッ!!カッコいいッ!! うひゃひゃッ
祝日で、いつもより遅く起きて来た長女は、
昨日手に入れたKAT-TUNの新曲DVDをエンドレスリピートしながら、叫んでます。
(次女と三女は、いつもの時間に部活に出て行きましたのに)
KAT-TUNのメイキングを見るたび、思います。
∞もPVのメイキングをつけたらいいのにって。
そしたら、きっと、おもしろさでは、KAT-TUNの比じゃないよな。
(お金のかけ方では、確実に、負けるかもしんないけど)
「そんなのムリじゃん。絶対に30分ぐらいで収まらないでしょ。
ひとライブ分の時間は必要だよ?」
長女のセリフも、一理ある。
けど!!
もっと、∞の映像が欲しいのが、正直なところ。
去年のツアーも、結局、特典DVDでお茶を濁されちゃったし。
欲求不満はたまる一方でしょ。
新曲の話も、
アルバムの話も、
ツアーの話も、
あるんだか、ないんだか。
オトナの事情が・・・っていうけど、
そんなの、ファンには関係ないじゃ~~ん!!
コドモみたいなこと、言ってみました。
さてさて、
なぜか、上田祭りのような今日。
洗濯物を干しながら、片手間に眺めるTVに、藤ケ谷。
ふ~~ん、トッツーのピンチヒッターか・・・。
普段、「はなマル」は見ないので、彼のテンションがいいのか悪いのかすら、
判断のしようがありません。
つまりは。
あまり、好みじゃない、と、
そういうことなんだな、と、1人納得した次第です。
ところで。
え~~っと。
愛$誌の感想が、まだ1冊、残ってるんだよね。
実は、これが、一番やっかいな感情を、私から引き出してくれたので、
ずっと、触れなかったんだけども。
書くの、止めようって、
思ってたんだけども。
次第に、澱のように溜まっていくのが、
どうにも、こうにも。
なので。
お付き合いくださる方だけ、続きでどうぞ。
愛しいすばる君へ
どうなんだろう・・・って、思いが、先にたってしまったのが、正直なところ。
私が、とても考え方が古いってことは、百も承知。
「結婚」の形態も中身も、二人のもので、
千のカップルがあれば、千通りの結婚のかたちがあるのも、分かってる。
他人がとやかく言うことじゃないのも。
だから。
束縛はされたくない。
でも、めっちゃ好きでいてほしい。
一回くらいしといてもええかな、くらいのノリ。
浮気の一回や二回くらいやったら。
これらは、全部、今までに、どこかで見たり聞いたりしたことのあるものばかりで、
今さら、噛み付いて意見するようなことじゃない。
だけど。
なんだろう。
「オレは家庭とか持ったら、終わりやと思う」って、その一文に。
せつなく、哀しく、苦しく、
あっという間に、暗闇に襲われる気がしたんだ。
「結婚」がもたらす「家庭」のイメージは、
キミにとって、束縛以外の、なにものでもないのが、見て取れる。
安息の地。
大抵の男女は、意識する・しないに関わらず、
「結婚」にそれを求めてる。
でも、キミは、何かを求めていたいがために、「結婚」は必要ない、という。
では、もしキミが、何かに傷つき傷つけられたら、
どこで、
キミは、安らぎ、癒され、翼を休めるのだろうか。
キミは何を守り、何に守られ、
そして、
愛し、愛されるのだろう。
具体的な、目に見えるかたちで、
それは存在するのだろうか。
「結婚」「家庭」という形にとらわれない、
「彼女」そのものだろうか。
やがて生を受ける「子供」の、
父・母としての責任、という一点においてのみ、
「結婚」「家庭」は存在するのだろうか。
「結婚」「家庭」は、頼り、もたれかかり、縛り付けあう、
ただ、それだけのものなのだろうか。
キミを知ろうと、分かろうと思うたびに、
ぶつかる恋愛観、結婚観。
自分の足で、自分の道を歩く。
やりたいことを、自由にやって、輝いてたら、いい。
あまり干渉しあわない。
キミのそれには、なにか、
なんだろう、
はっきりと言葉にできないのがもどかしいけれど、
ジグソーパズルの、あとひとピースが、
どうしてもみつからない、
欠けてる、
もしくは、
透明なピースがはまっていて、
未完成なまま、
誰にも、理解されない。
そんな気がしてしかたない。
大きなお世話や、
ほっとけや。
キミの声さえ、聞こえる気がするけど。
放っとかれへんの。
それが、愛する人とさえ、関わりを持つのを恐れているような、
愛する人さえ、信じきれていないような、
そんな不安を、私に抱かせるから。
ただキミの行く末を、見守るしかないのが、
もどかしくて、苦しくて。
ただ、キミを見つめていくしかないのが、
悔しい。
何を、どう伝えたらいいのか、
伝えるべきなのか、すら。
キミには、迷惑な話だから。
ふと。
キミの結婚観、恋愛観が私を暗闇に誘うのは、
キミを案じてるだけではなくて、
それが、そのまま、私の「結婚」生活を否定されるような気がするからだ、と、
思い至ってしまう。
キミの結婚観と、私のそれとは、
まったく別のもので、
それこそ、肯定も否定も、ありはしないのに。
ひとことだって、
キミは、他人のそれを否定など、してやしないのに。
「結婚」は、そこから続く、日常。
山も谷もあれば、何も無い砂漠のような道だってある。
晴れの日もあれば、嵐の日だって、
月さえない、ただひたすら暗闇の日だってある。
自分の人生だけでなく、
愛する人の人生と、生まれ来る命の行く末を担う責任を負う。
そしてときには、
愛する人の命の源の生さえ、
引き受けねばならない。
単調で、実に過酷な日々だったりする。
互いに自由でいればいいというのは、
耳障りがよくて、理想だけれど、
そうとばかりは言っていられないのが、結婚の「現実」なのだ。
その「現実」の重さが、足枷といえば、いえなくもない。
確かに、自由とは、対極にあるものだから。
だからこそ、
人は、互いに歩み寄り、支えあい、分け合い、
そばにいたいと、思うのではないだろうか。
疲れたとき、寂しいとき、
ツライとき、泣きたいとき、苦しいとき、
互いの声や笑顔や温もりが、
欲しいときに、欲しいだけ与えてもらえる安心感。
与えることが出来る充足感。
愛するものと暮らす、ということは、
愛するものを守れる幸せがある、ということだ。
私はキミに、
キミのその手が、誰かを守れる、ということを知ってほしい。
今は、もしかしたら、
自分を守るだけで、精一杯なのかもしれないけれど。
でも、いつか、
キミに、本当に愛する人が出来て、
キミを、本当に愛してくれる人が出来るまで。
やっぱり、私は、キミのことを、
愛し、見守り続けていくのだろう。
煮詰まってます、かなり。
意味不明な説教婆あと化してるし。
だけど。
だけど。
どうしても、書き残したかったんだ。
ごめんなさい。
もし、ここまでお付き合いくださって、
気分を害された方がいたら、
ごめんなさい。
祝日で、いつもより遅く起きて来た長女は、
昨日手に入れたKAT-TUNの新曲DVDをエンドレスリピートしながら、叫んでます。
(次女と三女は、いつもの時間に部活に出て行きましたのに)
KAT-TUNのメイキングを見るたび、思います。
∞もPVのメイキングをつけたらいいのにって。
そしたら、きっと、おもしろさでは、KAT-TUNの比じゃないよな。
(お金のかけ方では、確実に、負けるかもしんないけど)
「そんなのムリじゃん。絶対に30分ぐらいで収まらないでしょ。
ひとライブ分の時間は必要だよ?」
長女のセリフも、一理ある。
けど!!
もっと、∞の映像が欲しいのが、正直なところ。
去年のツアーも、結局、特典DVDでお茶を濁されちゃったし。
欲求不満はたまる一方でしょ。
新曲の話も、
アルバムの話も、
ツアーの話も、
あるんだか、ないんだか。
オトナの事情が・・・っていうけど、
そんなの、ファンには関係ないじゃ~~ん!!
コドモみたいなこと、言ってみました。
さてさて、
なぜか、上田祭りのような今日。
洗濯物を干しながら、片手間に眺めるTVに、藤ケ谷。
ふ~~ん、トッツーのピンチヒッターか・・・。
普段、「はなマル」は見ないので、彼のテンションがいいのか悪いのかすら、
判断のしようがありません。
つまりは。
あまり、好みじゃない、と、
そういうことなんだな、と、1人納得した次第です。
ところで。
え~~っと。
愛$誌の感想が、まだ1冊、残ってるんだよね。
実は、これが、一番やっかいな感情を、私から引き出してくれたので、
ずっと、触れなかったんだけども。
書くの、止めようって、
思ってたんだけども。
次第に、澱のように溜まっていくのが、
どうにも、こうにも。
なので。
お付き合いくださる方だけ、続きでどうぞ。
愛しいすばる君へ
どうなんだろう・・・って、思いが、先にたってしまったのが、正直なところ。
私が、とても考え方が古いってことは、百も承知。
「結婚」の形態も中身も、二人のもので、
千のカップルがあれば、千通りの結婚のかたちがあるのも、分かってる。
他人がとやかく言うことじゃないのも。
だから。
束縛はされたくない。
でも、めっちゃ好きでいてほしい。
一回くらいしといてもええかな、くらいのノリ。
浮気の一回や二回くらいやったら。
これらは、全部、今までに、どこかで見たり聞いたりしたことのあるものばかりで、
今さら、噛み付いて意見するようなことじゃない。
だけど。
なんだろう。
「オレは家庭とか持ったら、終わりやと思う」って、その一文に。
せつなく、哀しく、苦しく、
あっという間に、暗闇に襲われる気がしたんだ。
「結婚」がもたらす「家庭」のイメージは、
キミにとって、束縛以外の、なにものでもないのが、見て取れる。
安息の地。
大抵の男女は、意識する・しないに関わらず、
「結婚」にそれを求めてる。
でも、キミは、何かを求めていたいがために、「結婚」は必要ない、という。
では、もしキミが、何かに傷つき傷つけられたら、
どこで、
キミは、安らぎ、癒され、翼を休めるのだろうか。
キミは何を守り、何に守られ、
そして、
愛し、愛されるのだろう。
具体的な、目に見えるかたちで、
それは存在するのだろうか。
「結婚」「家庭」という形にとらわれない、
「彼女」そのものだろうか。
やがて生を受ける「子供」の、
父・母としての責任、という一点においてのみ、
「結婚」「家庭」は存在するのだろうか。
「結婚」「家庭」は、頼り、もたれかかり、縛り付けあう、
ただ、それだけのものなのだろうか。
キミを知ろうと、分かろうと思うたびに、
ぶつかる恋愛観、結婚観。
自分の足で、自分の道を歩く。
やりたいことを、自由にやって、輝いてたら、いい。
あまり干渉しあわない。
キミのそれには、なにか、
なんだろう、
はっきりと言葉にできないのがもどかしいけれど、
ジグソーパズルの、あとひとピースが、
どうしてもみつからない、
欠けてる、
もしくは、
透明なピースがはまっていて、
未完成なまま、
誰にも、理解されない。
そんな気がしてしかたない。
大きなお世話や、
ほっとけや。
キミの声さえ、聞こえる気がするけど。
放っとかれへんの。
それが、愛する人とさえ、関わりを持つのを恐れているような、
愛する人さえ、信じきれていないような、
そんな不安を、私に抱かせるから。
ただキミの行く末を、見守るしかないのが、
もどかしくて、苦しくて。
ただ、キミを見つめていくしかないのが、
悔しい。
何を、どう伝えたらいいのか、
伝えるべきなのか、すら。
キミには、迷惑な話だから。
ふと。
キミの結婚観、恋愛観が私を暗闇に誘うのは、
キミを案じてるだけではなくて、
それが、そのまま、私の「結婚」生活を否定されるような気がするからだ、と、
思い至ってしまう。
キミの結婚観と、私のそれとは、
まったく別のもので、
それこそ、肯定も否定も、ありはしないのに。
ひとことだって、
キミは、他人のそれを否定など、してやしないのに。
「結婚」は、そこから続く、日常。
山も谷もあれば、何も無い砂漠のような道だってある。
晴れの日もあれば、嵐の日だって、
月さえない、ただひたすら暗闇の日だってある。
自分の人生だけでなく、
愛する人の人生と、生まれ来る命の行く末を担う責任を負う。
そしてときには、
愛する人の命の源の生さえ、
引き受けねばならない。
単調で、実に過酷な日々だったりする。
互いに自由でいればいいというのは、
耳障りがよくて、理想だけれど、
そうとばかりは言っていられないのが、結婚の「現実」なのだ。
その「現実」の重さが、足枷といえば、いえなくもない。
確かに、自由とは、対極にあるものだから。
だからこそ、
人は、互いに歩み寄り、支えあい、分け合い、
そばにいたいと、思うのではないだろうか。
疲れたとき、寂しいとき、
ツライとき、泣きたいとき、苦しいとき、
互いの声や笑顔や温もりが、
欲しいときに、欲しいだけ与えてもらえる安心感。
与えることが出来る充足感。
愛するものと暮らす、ということは、
愛するものを守れる幸せがある、ということだ。
私はキミに、
キミのその手が、誰かを守れる、ということを知ってほしい。
今は、もしかしたら、
自分を守るだけで、精一杯なのかもしれないけれど。
でも、いつか、
キミに、本当に愛する人が出来て、
キミを、本当に愛してくれる人が出来るまで。
やっぱり、私は、キミのことを、
愛し、見守り続けていくのだろう。
煮詰まってます、かなり。
意味不明な説教婆あと化してるし。
だけど。
だけど。
どうしても、書き残したかったんだ。
ごめんなさい。
もし、ここまでお付き合いくださって、
気分を害された方がいたら、
ごめんなさい。