すばるに恋して∞に堕ちて

新たに。また1から始めてみようかと。

あーあーあーあー、暇。

2009-09-30 17:55:37 | 日記
今日ね、
先日デコデコしていた空きビンを、弟の喫茶店に飾ってきました。

「ご自由にどうぞ」のPOPとともに。

そしたら、母が、
「まー、また作ったの、ガラクタ。暇ねぇ」。

くすん

この人の口にかかると、
私がしていることは、全部、無駄の産物にしか見えないらしくて。

子供の頃から、そうだったなあって、
ちょっと苦い思い出が甦ってきたりもしました。

私ね、左利きなんです。

ご飯食べる以外の、日常動作は、ほとんど。

今でこそ、左利きが市民権を得て、それ用の道具も揃ってきましたけど、
私が子供の頃は、まだ、左利きは矯正対象だったんですよね。

はさみにしろ、ミシンにしろ、
左利きにとっては使いにくいこと、この上ない道具を、
もたもた使ってる私が、
母にしたら、歯がゆかったんでしょうね。
自分は洋裁を生業としていたので、
お針ごとは、目を閉じてたって出来ること。
私がもたもた、のろのろのあげくに仕上げたものは、
ぐちゃぐちゃな仕上がりにしか見えない。
だから、ガラクタ。

だからね。

子供が生まれた時、心にひそかに誓ったことがあるんです。

子供たちが、工作でも手芸でも、絵画でも、なんでもいい。
その手が作り出したものを、真っ向から否定するのは止めようって。

まあ、
長男の時には、多少、その決心がぐらつくことも、多々あったわけですが。

(褒めるとどこまでも木に登ってく子供だったんだ、長男は。
 しかも、凝り性だったので、
 チラシで作った剣だとかが、山のように部屋を占領してた。
 辟易したな、実際、あれは)

でも、そうして育てた子供は、別段、手作りにいそしむわけでもなく、
体育祭前のゼッケン付けさえ、母に頼んでくるようになったんだけどね。

今、なんで、こんなことを考えてるかというと、

明日、
長男が20歳の誕生日を迎えるんだよねえ。

いろいろあったなあ、と、
振り返ってるうち、
自分の子供の頃の、普段は忘れてるようなことまで、思い出しちゃったんです。

引き金は母の言葉だったけども、ね。




あーーーーー、愚痴っちゃった

お付き合いくださった方、すみませんでした