キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

オイラはお山の大将だぜ

2014-01-08 09:24:05 | Weblog

♪ こんなベッピン見たことない とかなんとかおしゃって (いや まったく) あなたのお口のうまいこと(エー) その手は桑名のはまぐりよ・・・昭和28年神楽坂はん子が歌った『こんなベッピン見たことない』だ。全く口が上手く、精力絶倫な舛添が都知事選に出馬するようだ。競走馬の馬主だっただけに馬も敬礼する逞しさ、性力、文字通りの馬力の持ち主だ。その証拠に若ハゲで男性ホルモンがコンコンと溢れている。最初仏の女性と結婚、次に片山さつきだったが長続きせず2回目の離婚、現在元秘書と3回目で2人の子持ちだ。他に日本人女性と婚外子が3人おり合計5人の子持ちだ。テレビの討論番組で名前を売った。お山の大将が大好きなので、手始めに1991年北海道知事に色気を見せたが事前調査で現職の横路に勝てないと判って出馬しなかった。1999年都知事に立候補したが慎太郎が166万で圧勝、鳩山邦夫85万、舛添84万で3位だった。これで2001年参院選に自民公認で立候補し、159万票を獲得トップ当選した。2000年に実母が死亡する迄介護を週1回した程度で痴呆の母の介護の本を出版、恰もオノレだけで介護したような宣伝したので、政界入りした後、厚労相になれた。舛添の先を読む動物的なカンと目的の為なら手段を選ばぬ冷酷さを兼ね備えている。事実は長姉が長いこと看病して、次に三女の姉が面倒を見た。長姉には母の死亡も知らせなかった。2009年衆院選は麻生内閣で自民党が大敗して、谷垣が総裁に選出された。舛添は選挙の得票数を度々口にしてオレの支持者が一番多いと自慢していた。舛添は我こそはと自民党総裁になりたかったが党内では支持者は少ないし仲間もいない。目立ちたがり屋の上、スタンドプレーが多く、部下の手柄も横取りしかねない、鼻持ちならぬ野郎だと敬遠されていた。惨敗した自民党を見限って2010年に離党、矢野、小池を誘って改革クラブに入党、その後、党名を新党改革に変更して代表になったが党の先行きを見越して参院選には立候補しなかった。改革は現在荒井広幸タッタ1人だ。自民党は反党行為だと舛添を除名処分にした。これが今になって祟って自民党内では舛添を支援するか、しないか賛否両論が出ている。今回の都知事選挙は猪瀬がヘマで辞職した。舛添は参院選に出馬しなかったのがここで功を奏した。これまでは如何に舛添でも読めなかっただろう。人の不幸はオイラの幸運、新年早々宝くじが当たったような気分だろう。舛添は田中真紀子、小沢一郎と同類項だ。富士山と同じで遠目ではいいが近くに寄ると汚く、ゴミだらけだ。選挙は虚像が物を言う。近くで実像を知る者は離れて行く。共産、社民党推薦の弁護士宇都宮、自衛隊元航空幕僚長の田母神が立候補を表明している。一方民主党は相変わらず人材不足、智慧不足、オマケに勉強不足だ、話しにならぬ。細川元首相を担ごうとしたが、バカじゃないからケンモホロロに断られた。75歳になって勝ち味のない選挙に出る程酔狂じゃない。湯河原の温泉に浸かって陶芸三昧の醍醐味を楽しんで今じゃゲージュツカだ、阿呆な政治屋には判るまい。海江田が『一陽来復』と色紙に書いているようだが、前途多難、年が明けたのに雲間から曙光も見えぬようだ。どうせ出所は易経だ、一度オノレの運勢や如何にと、八卦占いをお勧めする。民主党代表海江田万里は東京1区で落選、比例復活、松原仁東京都連会長も東京3区で落選、比例復活、両者選挙に弱く、ゾンビ議員だ。とても都知事候補まで頭が回らぬ。舛添にとって手強い相手はいない、楽勝だ、笑いが止らぬ。一方都庁の職員にとっては災難、扱い難い猪瀬に代わって、それ以上厄介な舛添だ。固唾を呑んで知事選の行方を見守る。写真はドイツ村。