キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

殿様だ、直ぐ駕籠に乗る

2014-01-10 07:51:12 | Weblog

徳洲会から5000万円借りた責任を取って猪瀬都知事が突然辞任したのに伴う都知事選挙に20年前の1994年東京佐川急便から屋敷の塀などの修理費用(苦し紛れの言い訳であって、猪瀬の弁解と大差ない)として1億円を借りたため9ヶ月で総理の座を投げ出した細川護煕が、元首相小泉純一郎に煽られ、嗾けられて出馬の意向を固めたとマスコミが報じている。不人気な民主党からの誘いには乗らなかったが、人気がある小泉の推薦なら当選も可能だと踏んだのだろう。温泉と焼物にも飽きてしまったようだ。全ての対談は断っていたが、エロと裸を売り物にしている女、壇蜜との対談には喜色満面、直ちに応じたというから現金なものだ。75歳にしてまだまだ政治に、性事にも興味津々なようだ。殿様の後裔だけに駕籠を用意すれば直ぐに乗るのは、持って生まれた習性だろう。宮沢政権を倒して政権を執ったのが日本新党、社会党、新生党、民社、さきがけ、公明など八岐大蛇のような8党連立内閣だった、細川が総理になったのが1993年8月。その翌年2月3日真夜中の午前1時に突如記者会見をして消費税3%を福祉目的税にして7%に引き上げると発表、税率の根拠を尋ねられると『腰だめの数字』だとのデタラメ振りだった。この増税案は小沢一郎と斉藤次郎大蔵事務次官(その後、次々と天下りの後、民主党政権では日本郵政社長に小沢が抜擢して郵政改革を遅延させた)の陰謀で、細川はその口車に乗せられた結果だ。この辺がバカ殿の面目躍如たる風景だ。厚相、官房長官から連立与党の党首にも知らせていなかったので、大騒ぎになり、翌日に撤回する羽目になった。無様で正に田舎芝居の主役のピエロを自ら演じた細川だった。首相になった時、父護貞は「あれの性格では、いずれ投げてしまいます」と予言した通り、1年持たなかった。大政翼賛会の外祖父近衛文麿も突如政権を投げ出してしまった。これも血筋だろうか。最近小泉は講演して稼いでいると言われているが、風貌がマントヒヒに似て来た。『脱原発』で小泉、細川両元首相が意気投合したと言う。『脱原発』のシングルイシューポリティックスのみで都知事になるのでは、あの非常識な山本太郎と五十歩百歩ではないか。小泉は自民党総裁の時、宮沢喜一、中曽根康弘に高齢を理由に衆院議員の引退を要求、公認しないと引導を渡した。当時中曽根は納得出来ないと大層立腹したものだ。今回、75歳の細川を支持、推薦するのはこれと矛盾するのではないか。政治家なら首尾一貫して貰いたいものだ。『反原発』の東京新聞が我が意を得たりと調子付いて、欣喜雀躍、活字まで踊らしている。都知事には原発に関してさしたる権限はない。世間を騒がして「ア~ア~飽きた」と再び悪い癖が出て知事の椅子を投げ出さぬか。そのまんま東はどうした、今の所、音沙汰がない、議員辞職したのは猪瀬辞任を感じて都知事選を狙っての事ではなかったのだろうか。過去の都知事選は後出しジャンケンが有利だった、とテレビが報じている。そうすると手を挙げるのは、時期尚早か。