映画「マトリックス」に出てくる、いかつい丸坊主のおっさんを想像してちょ。
浮かばない人は、昔のプロレスラー「ストロング金剛」をどうぞ。
…ますますわからんか…じゃあ、モアイ像が海坊主なった感じでよろしく。
そいつは同級生男子。
出会いは5才の時。
町には保育園と幼稚園があった。
人形劇の催しがあり、我々幼稚園の子も保育園で見ることになった。
保育園へと続く、ひと気のない山道に、そいつは立っていた。
「幼稚園の子は来るな!保育園の子しか見たらいかん!」
棒きれを片手に通せんぼ。
この世の理不尽を初めて知った日。
やがて小学校入学…おりやがったんだ、こいつが。
以来中学2年まで、学年女子全員は恐怖と戦慄の日々を送ることになるんじゃ。
乱暴者とか、いじめっ子とか、そんな生やさしいもんじゃない。
体が大きく、口が立ち、運動神経がずば抜けているので
やることの予測がつかない上に言い訳がうまく、逃げ足の早いことといったら。
血も涙もないジャイアン、または悪魔が憑依した両津勘吉との半生の幕開け…。
トイレをのぞいたり、ランドセルや靴を川に投げ込んだり
持ち物を破壊、投石、遊具から突き落とすなんて、ごく日常。
男子には何もしない(男には弱いらしい)。
上級生にも何もしない(縦の関係には弱いらしい)。
下級生にも何もしない(妹がいたから)。
とにかくターゲットは同学年女子。
保健室送りや病院送りは常識、ヘタすりゃ命に関わりそうなこともたくさんあった。
家庭科が始まった頃は、みんなビビッてたね。
なぜって、針とハサミがあるっしょ。
針でブスッと刺されたり、髪や服を切られた子、多発。
私は逃げ足が早かったから、体に針の穴はあかなかったけどね。
ヤツに乱暴されることを怖れ
当時はこんな単語すらなかった「不登校」もあった。
団結して、新学期から同じクラスにしないでほしいと
学校に集団直訴をしたお母さんたちもいた。
しかし、教師たちの彼に対する考えは違った。
親子に付き添って謝罪に同行したり、家庭訪問を繰り返すうちに
歴代の先生たちは、いつも彼を擁護する側に回った。
先生の前で、ヤツは「ワンパクだけど根はいい子」を演じていたからじゃ。
それに、今ならわかる。
多分ヤツの家は、運動神経以上に、ずば抜けたスーパー貧乏だったと。
飲んだくれで仕事の続かない父親と、内職に精を出す母親
絵に描いたような光景に、教師が聖職魂を揺さぶられたと想像するのは容易だ。
どんなに糾弾されようとも、ヤツは庇護された。
昔は、苦しむ被害者を救済するよりも、加害者を更正させるという
目に見える努力が尊ばれたもんよ。
我々児童とて、手をこまねいて為すがままに翻弄されていたわけではない。
親や教師があてにならんなら、自己防衛しかない。
命と学用品を守るため、絶対一人で行動しない、接近してきたら大声を出す
登下校時には、ヤツと時間が一致しないようにずらす…
などの自衛策をとった。
ヤツを消す計画まで練って、おおいに盛り上がった。
同級生女子の結束の強さは、この時に生まれた。
4年生の時、クラス委員を選出する場で、担任が力説した。
「ワンパクな人ほど、本当はリーダーに向いているんです」
新しい一面を引き出すつもりだったのか、暗にヤツに投票するよう根回し。
昔の子供は単純だ。
ヤツは満場一致で委員になりおった。
「お母ちゃんに票の数を教えてあげるんだよ」
夕焼けの教室…担任の言葉に頬を紅潮させ、教室を飛び出すヤツ。
いいシーンだ…児童小説なら。
我々にも打算はあった。
これで安全な生活が送れるなら、票のひとつやふたつ、安いものだ。
しかし、それは自信に満ちた独裁者を誕生させたに過ぎなかった。
しょせんは田舎の小学生…
満場一致というのは、ヤツも自分に投票していたからこそ成立することを
みんな忘れていた。
中学になり、ヤツが興味を示す相手が特定されてきたことに気付く。
家で集めたゴキブリを女子の背中に突っ込み、それを上から叩きつぶす…
ライターご持参の上、教科書を燃やす…
テスト直前に鉛筆を全部折り、さらにシャーペンの芯を抜かれる…
こういう物質的被害を受けるのは、美人と決まっていた。
中学あたりになると、美醜の差がはっきりしてくる。
この時ばかりは、美人に生まれなくて良かった…と心から安堵したものさ。
美人でない私は、完全に解放されたか…といえば、そうでもない。
家が商売をしている子には、口での攻撃が待っていた。
家業をねじ曲げた言葉で、それはそれは執拗にはやしたてるのだ。
肉屋の娘なら「牛殺し」、お寺の娘は「死神」、私は「汚職屋」ね。
まあそのくらいなら、どうってことはない。
商売人の娘というのは、どこか肝がすわっているところがあって
「また言ってら~」と聞き流す。
ゴキブリや鉛筆に比べれば天国じゃわい。
ヤツの家庭環境から発生する、性や経済への歪んだコンプレックスが
起因しているということも、その頃になると薄々気付き始めていた。
中学2年の3学期、しかし私は痛恨の一撃を打ち込まれることに…。
通知表の音楽が、生まれて初めて5段階評価の「4」になったんじゃ。
ピアノを心の友とし、ピッコロとフルートを愛し
この3年生からは、ブラスバンドの部長になることが決まっていた。
勉強は苦手でも、音楽だけはトップというよりどころがあった。
できれば音楽に関わる仕事に就きたいという野望もあった。
そのために、音楽の成績は重要なわけよ。
ガラガラ…あ、これ、積み重ねた自信が崩れる音ね。
「なんで4なんですか?」
担任であり、音楽教師であり、ブラスバンド顧問のところへ抗議に走る。
「しかたがないでしょう。こう忘れ物が多くては…」
忘れ物などしたことは無かった。
この教師は生活態度に厳しいタイプだったので、ことさら注意していた。
日頃は音楽室の壁にぶら下げてある、自己申告制の忘れ物ノートを見せられる。
○月○日…リコーダー、○日…ノート、○日…リコーダー…。
私は音楽の時間に、毎回忘れ物をしたことになっていた。
そりゃもう丹念に、びっしりと書き込まれているではないか。
ページをめくると、前の月も、その前も…。
「何で一言聞いてくれなかったんですか?
誰かがやったんです!私じゃありません!」
先生は三人目の子供を生んだばかりだった。
そんなこと、いちいち本人に確かめているヒマはないのだ。
「人のせいにしないの!仮に誰かがやったとしても
そういうことをされる自分の日常を振り返りなさい!」
とにかく…と先生はろう人形のような目つきで言った。
「今回4だったから次は6というわけにはいかないのよ」
一度つけてしまった成績に文句を言われては困るというわけよ。
職員室でのこのやりとりを、ニヤニヤしながらのぞいていた者がいる。
ヤツだ。
待ち構えたように近寄って来て、小声で言った。
「…どう?俺の置きミヤゲ」
ヤツは、今学期限りで転校が決まっていた。
父親が病気になったので、一家で母親の故郷へ行くのだ。
それを知った時、我々は狂喜乱舞した。
完全にうかれていた。
最後の最後まで気を抜くべきではなかったのだ。
ヤツはヤツなのだ…。
今さらヤツを責めて、騒ぎを大きくしたって、成績は戻らない。
いつも5の私が4になったと話を広めるだけだ…。
これ、中2なりの打算ね。
ともあれ、ヤツはいなくなった。
これは正真正銘の僥倖であった。
続く
浮かばない人は、昔のプロレスラー「ストロング金剛」をどうぞ。
…ますますわからんか…じゃあ、モアイ像が海坊主なった感じでよろしく。
そいつは同級生男子。
出会いは5才の時。
町には保育園と幼稚園があった。
人形劇の催しがあり、我々幼稚園の子も保育園で見ることになった。
保育園へと続く、ひと気のない山道に、そいつは立っていた。
「幼稚園の子は来るな!保育園の子しか見たらいかん!」
棒きれを片手に通せんぼ。
この世の理不尽を初めて知った日。
やがて小学校入学…おりやがったんだ、こいつが。
以来中学2年まで、学年女子全員は恐怖と戦慄の日々を送ることになるんじゃ。
乱暴者とか、いじめっ子とか、そんな生やさしいもんじゃない。
体が大きく、口が立ち、運動神経がずば抜けているので
やることの予測がつかない上に言い訳がうまく、逃げ足の早いことといったら。
血も涙もないジャイアン、または悪魔が憑依した両津勘吉との半生の幕開け…。
トイレをのぞいたり、ランドセルや靴を川に投げ込んだり
持ち物を破壊、投石、遊具から突き落とすなんて、ごく日常。
男子には何もしない(男には弱いらしい)。
上級生にも何もしない(縦の関係には弱いらしい)。
下級生にも何もしない(妹がいたから)。
とにかくターゲットは同学年女子。
保健室送りや病院送りは常識、ヘタすりゃ命に関わりそうなこともたくさんあった。
家庭科が始まった頃は、みんなビビッてたね。
なぜって、針とハサミがあるっしょ。
針でブスッと刺されたり、髪や服を切られた子、多発。
私は逃げ足が早かったから、体に針の穴はあかなかったけどね。
ヤツに乱暴されることを怖れ
当時はこんな単語すらなかった「不登校」もあった。
団結して、新学期から同じクラスにしないでほしいと
学校に集団直訴をしたお母さんたちもいた。
しかし、教師たちの彼に対する考えは違った。
親子に付き添って謝罪に同行したり、家庭訪問を繰り返すうちに
歴代の先生たちは、いつも彼を擁護する側に回った。
先生の前で、ヤツは「ワンパクだけど根はいい子」を演じていたからじゃ。
それに、今ならわかる。
多分ヤツの家は、運動神経以上に、ずば抜けたスーパー貧乏だったと。
飲んだくれで仕事の続かない父親と、内職に精を出す母親
絵に描いたような光景に、教師が聖職魂を揺さぶられたと想像するのは容易だ。
どんなに糾弾されようとも、ヤツは庇護された。
昔は、苦しむ被害者を救済するよりも、加害者を更正させるという
目に見える努力が尊ばれたもんよ。
我々児童とて、手をこまねいて為すがままに翻弄されていたわけではない。
親や教師があてにならんなら、自己防衛しかない。
命と学用品を守るため、絶対一人で行動しない、接近してきたら大声を出す
登下校時には、ヤツと時間が一致しないようにずらす…
などの自衛策をとった。
ヤツを消す計画まで練って、おおいに盛り上がった。
同級生女子の結束の強さは、この時に生まれた。
4年生の時、クラス委員を選出する場で、担任が力説した。
「ワンパクな人ほど、本当はリーダーに向いているんです」
新しい一面を引き出すつもりだったのか、暗にヤツに投票するよう根回し。
昔の子供は単純だ。
ヤツは満場一致で委員になりおった。
「お母ちゃんに票の数を教えてあげるんだよ」
夕焼けの教室…担任の言葉に頬を紅潮させ、教室を飛び出すヤツ。
いいシーンだ…児童小説なら。
我々にも打算はあった。
これで安全な生活が送れるなら、票のひとつやふたつ、安いものだ。
しかし、それは自信に満ちた独裁者を誕生させたに過ぎなかった。
しょせんは田舎の小学生…
満場一致というのは、ヤツも自分に投票していたからこそ成立することを
みんな忘れていた。
中学になり、ヤツが興味を示す相手が特定されてきたことに気付く。
家で集めたゴキブリを女子の背中に突っ込み、それを上から叩きつぶす…
ライターご持参の上、教科書を燃やす…
テスト直前に鉛筆を全部折り、さらにシャーペンの芯を抜かれる…
こういう物質的被害を受けるのは、美人と決まっていた。
中学あたりになると、美醜の差がはっきりしてくる。
この時ばかりは、美人に生まれなくて良かった…と心から安堵したものさ。
美人でない私は、完全に解放されたか…といえば、そうでもない。
家が商売をしている子には、口での攻撃が待っていた。
家業をねじ曲げた言葉で、それはそれは執拗にはやしたてるのだ。
肉屋の娘なら「牛殺し」、お寺の娘は「死神」、私は「汚職屋」ね。
まあそのくらいなら、どうってことはない。
商売人の娘というのは、どこか肝がすわっているところがあって
「また言ってら~」と聞き流す。
ゴキブリや鉛筆に比べれば天国じゃわい。
ヤツの家庭環境から発生する、性や経済への歪んだコンプレックスが
起因しているということも、その頃になると薄々気付き始めていた。
中学2年の3学期、しかし私は痛恨の一撃を打ち込まれることに…。
通知表の音楽が、生まれて初めて5段階評価の「4」になったんじゃ。
ピアノを心の友とし、ピッコロとフルートを愛し
この3年生からは、ブラスバンドの部長になることが決まっていた。
勉強は苦手でも、音楽だけはトップというよりどころがあった。
できれば音楽に関わる仕事に就きたいという野望もあった。
そのために、音楽の成績は重要なわけよ。
ガラガラ…あ、これ、積み重ねた自信が崩れる音ね。
「なんで4なんですか?」
担任であり、音楽教師であり、ブラスバンド顧問のところへ抗議に走る。
「しかたがないでしょう。こう忘れ物が多くては…」
忘れ物などしたことは無かった。
この教師は生活態度に厳しいタイプだったので、ことさら注意していた。
日頃は音楽室の壁にぶら下げてある、自己申告制の忘れ物ノートを見せられる。
○月○日…リコーダー、○日…ノート、○日…リコーダー…。
私は音楽の時間に、毎回忘れ物をしたことになっていた。
そりゃもう丹念に、びっしりと書き込まれているではないか。
ページをめくると、前の月も、その前も…。
「何で一言聞いてくれなかったんですか?
誰かがやったんです!私じゃありません!」
先生は三人目の子供を生んだばかりだった。
そんなこと、いちいち本人に確かめているヒマはないのだ。
「人のせいにしないの!仮に誰かがやったとしても
そういうことをされる自分の日常を振り返りなさい!」
とにかく…と先生はろう人形のような目つきで言った。
「今回4だったから次は6というわけにはいかないのよ」
一度つけてしまった成績に文句を言われては困るというわけよ。
職員室でのこのやりとりを、ニヤニヤしながらのぞいていた者がいる。
ヤツだ。
待ち構えたように近寄って来て、小声で言った。
「…どう?俺の置きミヤゲ」
ヤツは、今学期限りで転校が決まっていた。
父親が病気になったので、一家で母親の故郷へ行くのだ。
それを知った時、我々は狂喜乱舞した。
完全にうかれていた。
最後の最後まで気を抜くべきではなかったのだ。
ヤツはヤツなのだ…。
今さらヤツを責めて、騒ぎを大きくしたって、成績は戻らない。
いつも5の私が4になったと話を広めるだけだ…。
これ、中2なりの打算ね。
ともあれ、ヤツはいなくなった。
これは正真正銘の僥倖であった。
続く