goo

『涼宮ハルヒの憂鬱』アニメ版

2009年02月13日 | 映像(アニメーション)




というわけで、『涼宮ハルヒの憂鬱』アニメ版です。いちおうネタバレ注意報発令中です。

私は谷川流さんの原作をまだ読んだことがないので、以下ではアニメ版についてのみの知識で語らせてもらいますが、このアニメ版はけっこう原作に忠実に作られているそうですね。そのうちぜひ原作も読んでみたいです。

さて、『涼宮ハルヒの憂鬱』は全14回。タイトルの「涼宮ハルヒの憂鬱」という原作第1巻のエピソードが6話くらいあって長かった。ほかに「涼宮ハルヒの退屈」「孤島症候群」とかいくつかの短編をもとに構成されているようです。

水色のセーラー服を着た女の子が登場するので、どうやら学園ものらしいということは私も分かっていましたが、ライトノベルにはこれまでほとんど縁がなかったので、すごくヒットしていた時期にもなんとなくスルーしていました。しかし、このあいだお友達のねこきむちさんにお会いした時に、「高校生のハルヒがSOS団という同好会みたいなのを作って、そこに未来人とか宇宙人とか超能力者とかが加わったりするお話なんですよ」という「ハルヒ」の大筋を聞いた私は、俄然興味が湧きました。「ええっ!? そんな話なんですか? もしやSF? 面白そうかも」
それで、先日ちょうどよいきっかけもあり、いよいよアニメを観てみたわけですが………。

ちなみに私はテレビ放送時の順番で観ました。テレビ版はストーリーの時系列をバラバラにして放送という演出がなされているそうです。なかなか面白いアイディアですが、私は原作を知らなかったので、ストーリーを把握できず、いささか戸惑いました。しかし、どうにか繋ぎ合わせて終了。でも、こういうのもいいですね、最後で盛り上がって。

アニメ版を観て、私がどのように感じたかと言いますと、

……(第1話「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」を観)、
………(その勢いのまま全話観てしまう)、
…………(全話観た後、再び第1話「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」を観る)
……………む、お、お、面白いやないですか!!

はあはあ;
うーむ、これは! 何と言ったらよいのでしょうか。大ヒットするのが分かると言いますか、ツボを押さえつつ、しかもそれをわざとハズしている感もあり…うまいな。そもそも学園ものって面白いんですよ、私は。あの世界の狭さというか閉じてるっていうか、それでいて無闇にマジだったりとか、そういうのがね、もうね。

涼宮ハルヒは高校に入学したばかりの美少女。大変な変わり者で、クラスの中でも浮いています。「普通の人間とは付き合えない、だって面白くないから!」というようなことを自己紹介で言ってしまう女の子です。宇宙人や未来人や超能力者に憧れているらしい。
そんな彼女の奇妙な行動になぜか付き合わされることになるのが、ハルヒと同じクラスでたまたま彼女の前の席に座ったキョンという男の子。ストーリーは終始彼の視点から語られます。ハルヒの勢いに引っ張られ、ともに「SOS団」という同好会を結成します。
「SOS団」とは、「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」の略称で、目的は「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと」らしい。そのメンバーはほかに3人。
部室として分捕った「文芸部」の部員だったらしい長門有希。ロリ顔で巨乳ということでハルヒに拉致されてきた朝比奈みくる。入学式から2か月という中途半端な時期に転校してきた謎の転校生(?)古泉一樹。
この3人が、実は、ハルヒが適当に集めてきただけと思いきや、それぞれ「宇宙人や未来人や超能力者」だったりするというお話です。

登場人物のキャラ設定は、こういうと何ですが、いかにも! という感じなんです。たぶん王道。勝ち気、萌え系、不思議系な美少女たち、とクールな美少年、そして彼らに翻弄されるどこまでも普通な男子高校生という図。これはたぶんわりと王道なんでしょうけれど、なんとも言えない魅力はあります。つか、魔女っこコスプレの長門さんが可愛過ぎて死ぬところでした。ね、猫が肩に……うぅっ!

アニメのメインストーリーはタイトルの「涼宮ハルヒの憂鬱」というお話です。ハルヒは本人に自覚はないものの特別な女の子なわけですが、それゆえに常に孤独であるようです。SOS団を結成することで4人の仲間を得るわけですが、それでもどうも孤独なんですね。事態はいつもハルヒを中心としながらも彼女の外側で処理され続け、それについてキョンをはじめメンバーの全員がハルヒには沈黙したままです。私は「憂鬱」の結末にいたってもハルヒは依然として孤独なままであるような気がして、なにか少し可哀想にも思えました。でも、物語はまだ続くから、今後はどうか分からないですよね。
SF風味の学園ものと言ってしまえばなんてことのない物語だとは思うのですが、ところどころがやたらと面白かったです。語り手のキョンの語り口が時々鼻につきますが、それを差し引いても十分楽しめます。でも、どこがどのように具体的に面白かったのかは、私にはまだよく分かりません。この奇妙な面白さについては、いずれもう少し深く分析してみたいところです。

しつこいようですが、私はまだ原作を読んでいないのでそれについては何も言えませんが、アニメ版を観る限りでは、このアニメはとても良く出来ています。原作もそうなのかもわかりませんが、とにかく嫌味がなく、楽しく見られます。さらっとあっさりしているところが良いですね。絵も綺麗だし。特に「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」は秀逸です。音や間の取り方がリアルです。でもって、長門さんカワイイ (*´д`*)フガ! ああ~、カワイイ! なんてカワイイんだ!!

4月から第2期のアニメ放送が始まるとか始まらないとか、いや第1期の再放送だとか再放送じゃないとか噂があるようなので、今からちょっと楽しみです。


あと、ついでに「ハルヒ」のイラスト担当のいとうのいぢさんは、こないだ筒井康隆先生の手掛けるラノベでもイラストを描かれていたのではなかったかしら。あれって、もう出たのかな。調べとかないと!
って、今さらラノベデビューな私……もうすぐ33歳。永遠の若さ。


goo | コメント ( 6 ) | トラックバック ( 0 )

繋がりと新しい繋がり

2009年02月12日 | 映像


YOU TUBE ではっぱ隊の「YATTA」を、世界のいろいろな国の人々が楽しそうに踊っている動画を見て感動したという話は、以前にもここに書いたかと思います。私はアレを見るたびにやたらと満たされます。根拠のない落ち込み気分などは、あっさりと吹き飛ばされてしまうのです。それは曲自体の非常なポジティブさのためもありますが、何と言うか、一見バカバカしく見える彼らのパフォーマンスが、あっさりとどこか遠い国の誰かに受け入れられていると言う事実に、その度ごとに感動するからです。あの裸に葉っぱ付きのパンツ一丁という出で立ちのインパクトと、悲しみを転化する明るい曲調は、言葉は通じなくとも人の心に訴える力を持っているからに違いありません。「丸腰だから最強だ」。いや、まさに。踊りも含めて名曲です。

私が思うに、日本のものが世界に受け入れられているのが凄い! というばかりでなく、ここにはまだ考えるべき問題が隠されているのではないでしょうか。日本のものが外へ出ていくだけでなく、海外からのものを私たちはいつの間にか簡単に手に入れられるようになっています。日本人であれ、外国人であれ、はっぱ隊に魅せられる人もいれば、ほかのものを好きになる人もいる。誰がどういうものを好むかということと、国籍は関係ないのではないかなと思ったわけです。文化の違いによってある程度は好みにも差がみられるのかもしれませんが、それでも、私が好きなものを同じように好む人々が外国にもいくらか存在するということを、YOU TUBE の多くの動画は教えてくれるわけです。これは、例えば古典文学が数カ国後に翻訳されたりしてきたことと似ているようでもありますが、現在の凄いところは、あることが伝わっていることが目に見えて実感できるということですね。インターネットの普及というのは、やはり凄いことです。私は当たり前のような顔をして、こんな時代を生きているのです。

はっぱ隊のことで、私がもうひとつ考えていたのは、「ノスタルジー」ということです。私にはこの曲はものすごく懐かしい。私が学生だった頃はずっとウッチャンナンチャンが全盛で、いろいろな番組を好んでよくみていたものでした。はっぱ隊ついでの懐かしさから、ポケットビスケッツやブラックビスケッツといったウンナンのバラエティ番組発の音楽ユニットのいくつかの曲を聴いたりして、ますます懐かしさが募りました。「ああ、あの頃は平和だったよな。あの番組がすごく好きだったんだよなー。番組の次の日は、学校へ行くと、みんなでその話をしたものだった」と、懐かしさがどっと押し寄せます。それと同時に、今の子供たちは、私が子供だった頃に感じたような楽しさを、いったいどういうものに対して感じるのだろうと気になるのです。私たちはいつの間にか大人になりましたが(年齢的な意味で)、今の子供たちにどういう楽しいことを提供できているんだろう、と少々心もとない気持ちにもなります。少なくとも、今のテレビのバラエティ番組は、私にはそれほど魅力的ではないのですが、それは私が年をとったせいでしょうか。でも、今さらテレビ番組が子供たちの間に社会現象を起こすようなことはないように思えるのです。彼らが大きくなった時、ふと子供時代を振り返って、「ああ、あの時はああいうことがあってみんなですごく楽しかったんだよなー」と思えるようなものが、あるのでしょうか。あるのかもしれません。私の近くには子供がいないから分からないだけなのかも。それにまあ、そもそもそういうのは人それぞれですし、私などが心配するには及ばないのでしょうけれどね。

そんなことを考えながら YOU TUBE を流れていくと、「セカイのハレ晴レ。今日もまた何処かでハレ晴レ」という動画が目にとまりました。人気ラノベが原作のアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』のテーマに振り付けられたダンスを日本だけでなく世界各国の若い人たちが踊り、それぞれで動画を投稿し、さらにそれを誰かがまとめたもののようでした。アジア、ヨーロッパ、北米、南米、いろいろな国の女の子と男の子が、ある女の子はハルヒのコスプレで、ある女の子はひとりで自分の部屋で、ある女の子と男の子たちはちゃんと5人揃ってイベント会場で、一生懸命踊っていました。でもって、みんな凄く上手。かわいい。




YOU TUBE : 『セカイのハレ晴レ。今日も何処かでハレ晴レ。第七版』

途中から、溢れるものがとまりませんでした。我ながらどうかしています、こんなことで泣いてしまうのは。でも、私はすごく感動したのです。動画をみせられることで、彼らのそれぞれが、友達や兄弟姉妹の間で打ち合わせながら、衣装を用意したり、振り付けを練習したり、それをイベントで発表したり、動画に撮ってサイトに投稿したり、そうした背景も見えてくるようでどうにもたまりません。同じものを好きな子たちが、同じようなやり方でそれを好きでいる。「ハルヒ」が好き、という点で、彼らはそっくりです。そこに妙に感激しました。いや、こういうことは今までにだっていくらでもあったには違いないとは思うのですけれどね。ビートルズが、あるいはある映画が、小説が、世界中でヒットしたとか。でも、なにか今までとは違うような気がします。特定の個人の熱狂が伝わる。しかも、今はそれがただちに目に見える形になるというのが、凄いじゃないですか。画面に登場するのがみんな若い人たちであるというのも、なんだかやたらと私を感激させます。


やっぱり私などが心配するには及ばなかったのです。私たちはたぶん、いつも何かを手放しながら、また同じ手で別のものを摑んで歩いているのでしょう。繋がったり離れたりを、いろいろな方法で試しているのかもしれません。それがいいことなのか悪いことなのかなんて、私には分かりませんが、インターネットの出現は私たちの在り方を変えつつあるし、それがどういうものであれ、前進か後退かも分かりませんが、私たちはともかく「移動しているらしい」ことが感じられるだけでもなんだか胸がいっぱいになってしまいます。

まとめられません。私ひとりで盛り上がっているだけです。
ただひとつ言えるのは、すごく面白いらしいという噂だけはきいていた『涼宮ハルヒ』ですが、いよいよそれがどういうものかが気になってきました。大勢が熱狂するからには、そこには何か魅力があるはずです。それで、結論から言うと、私はさっそくハルヒのテレビアニメ版を観たわけですが、ここには確かにその何かがありました。原作がラノベだからってバカにしてはいけません。アニメ視聴前の私には大いに反省してもらいたい!(正直、そんなに期待していませんでした。みなさま、ゴメンナサイ!) ああ、こりゃ、原作も読もうかな。
と、長くなったので、それについてはまた後日。


goo | コメント ( 4 ) | トラックバック ( 0 )

カプセルペンギンその2

2009年02月10日 | 手作り日記

みなさ~ん!
Z教授の講演会はこちらですよ~!
いまならもれなく風船を差し上げま~す!
生魚もオマケについてきますよ~!
さあ、さあ、どうぞ!



goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

『STAR TREK DEEP SPACE NINE』のこと

2009年02月09日 | 映像


《ストーリー》 Wikipedia より

時は24世紀、惑星ベイジョーは隣接するカーデシア連邦から独立を勝ち取り、惑星連邦の保護統治下に入った。惑星ベイジョーの衛星軌道上に浮かぶカーデシアの鉱石加工宇宙ステーション「テロック・ノール」は、ベイジョー臨時政府の依頼により惑星連邦とベイジョーとの共同管理となり、「ディープ・スペース・ナイン」(DS9) と改称された。このDS9に司令官として赴任してきたベンジャミン・シスコ中佐の指揮の下、DS9はさまざまな難事件や戦闘に巻き込まれてゆく。
特に、ベイジョー近傍の小惑星帯にガンマ宇宙域へ通じる恒常的なワームホール(ベイジョー・ワームホール)が発見されたことにより、辺境の防衛基地に過ぎなかったDS9が一躍、銀河系の十字路の中心に位置することになったところから、物語は大きく転がり始める。特にシリーズ後半で描かれる、ワームホールの向こう側から現れた勢力「ドミニオン」との全面戦争では、実写に匹敵するCGを駆使した、テレビドラマ史上最大の宇宙艦隊戦が見ものである。



数ある STAR TREK シリーズの中でも、私が最も好きなのは第3作の 『DEEP SPACE NINE』であります。初代の『宇宙大作戦』はまだあまりみたことがないので、なんとも言えません。映画版ならいくつか観たのですが、テンションが高く、明るい冒険ものといった感じで楽しめそうです。カークやスポックは有名ですよね。
次の『新スタートレック』はすごく面白いです。ピカード艦長はじめ魅力あるキャラクターが目白押しで、愉快な冒険ものから悲しい物語まで幅広く、どのエピソードをとってみても楽しいです。一番人気があるキャラクターはやはりアンドロイドのデータですかね。データがらみの話はどれもこれも面白いですよね。私はカウンセラーのトロイが一番好きですが(超絶美女だから)、いつも敵に捕まって拷問を受けてしまうピカード艦長もはずせません。Qという特異な存在が登場するのも新スタートレックが最初なんでしょうか。あ、いかん、久しぶりに観たくなってきた。「夢」の話とかすごく面白いんですよね。

さて、これらに続くのが第3作『STAR TREK DEEP SPACE NINE』(以下DS9)です。このシリーズは、とにかく第1話から恐ろしく暗い! 前作『新スタートレック』の艦長ピカードがいきなり憎まれての登場です。DS9というのは惑星連邦の基地の名称で、ここの司令官として赴任してきたのがシスコ中佐(のちに大佐)です。彼はかつて妻をピカードがらみの戦闘の巻き添えで失ったため、ピカードに対して思うところがあるんですね。このシスコ司令官という人の頑さ、生真面目さ、暗さ、などなどのとっつきにくい性格が、ひょっとしたらDS9へのとっつきにくさにそのまま反映されているのかもしれません。ほかに比べてDS9はあまり人気がないような気がします。しかし私はそこが好きなのですが。
ちなみにDS9においても、魅力的な登場人物はたくさんいます。私が一番好きなのは科学士官ジャッジア・ダックス(やはり超絶美女)、共生生物ダックスの8番目のホスト。7番目のホストであったクルゾンはシスコの友人だったので、シスコはいまだにジャッジアのことを「おやじさん」と呼ぶのですね。美女なのにかなり豪快おちゃめな性格でたまりません。それから、バー店主のクワークも外せませんね。金に汚いフェレンギ人でわりかし誰からも嫌われ疎まれていますが、基本的には他のキャラクターよりも数段いい奴なのが笑えます。ベイジョー人のキラ少佐もいいですね。ぶち切れて冷酷極まりない時のキラは輝いています。

前置きが長くなりましたが、DS9です。私は第4シーズンあたりまでは、昔契約していたCSのスーパーチャンネルで放送されていた当時、なぜか第4シーズンまでを繰り返し繰り返し何度もやっていたので(本国での進行具合の関係もあってか、それ以上進まなかった!)3回ずつくらい観たと思います。そのせいでなおさら愛着が深まったのかもしれません。そして、ようやく第5シーズンに突入しましたが、シーズンは7までで終わりなので、愛するすべての物語においてその終わりに耐えられない私は、第6シーズンのはじめの方で中断しました。だって、終わってしまうなんて悲しすぎますもの!(それと、ほかにも観たくない理由はありました。K氏がぽろっとネタバレしやがったものですから…記憶が消えるまで観たくなかった)

しかし、いつまでもそんなことも言ってられないので、私は最近ようやく第6シーズンから再開しました。DS9のストーリーについては一言ではとても申せませんが、見どころは惑星連邦とドミニオンとの壮絶な宇宙戦争の描写でしょうか。ワームホールが近くに見つかったために一躍注目された辺境ベイジョー、それを支配しようとする隣接カーデシア連邦、独立を果たしたベイジョーを保護する惑星連邦、ワームホールの向こう側ガンマ宇宙域からあらわれたドミニオンという巨大勢力、など多くの種族や勢力が複雑に関係し合って、果ては全面戦争に発展します。
何が面白いと言って、ここでは「なぜ人は争い、憎み続けなければならないのか、正義とは、悪とは何か」というテーマについて、ひたすら深く、深く考えようとされているのです。製作スタッフの真剣さには打たれます。もちろん、そういう深刻なストーリーの合間には、胸が躍るような冒険や、不思議で奇妙、あるいはユーモラスな物語も多く盛り込まれています。名エピソードはたくさんあります。「父と子」とか「あの頂を目指せ」とか(レンタル屋さんで見かけたDS9傑作集にも入ってました)。


私はついに第6シーズンの「ワルツ」というエピソードまで辿り着きました。このエピソードには、色々と考えされられる点が多くあります。前述したように「なぜ人は争い、憎み続けなければならないのか、正義とは、悪とは何か」ということを強く訴えてきます。
このエピソードの登場人物は主にふたり。シスコ司令官とカーデシアのガル・デュカット。シスコはDS9の司令官、デュカットはテロック・ノール(現DS9のカーデシア時代の名称)の司令官、と同じ基地の責任者という因縁の関係です。

以下、詳しい状況説明なしで「ワルツ」について私が思ったことをとりあえずメモ書きしようと思いますが、DS9もいよいよ佳境にさしかかってきたなと感じます。

反目しあうシスコとデュカットですが、私はデュカットという引き裂かれた心を持つ人物が気の毒でならない。同時に、デュカットの過ちを決して許さず、さらに糾弾し、完全悪と認定するシスコの頑さには違和感を覚えます。デュカットは色々あったので打ちのめされて心を病んでいるのに、それでも本心からベイジョーを滅ぼすことを願っていると言えるのでしょうか。彼は本当にシスコの言うような「悪」なんだろうか。これまではデュカットの意外に優しく脆い面を描いてきたシリーズも、やはり最終的には善悪の二元論で片付けられようとしているのだろうか。そんな不安がよぎります。

しかし、まだエピソードは続きます。どんな結末を迎えるのか、たぶん私の予想どおりにはならないと思います。シスコは頑なではありますが、いつも心の底では悩んでいます。第5シーズンと第6シーズンを跨いで繰り広げられた惑星連邦とドミニオンとの戦いの途中、シスコのもとへ父親から通信が入るのですが、そこで父親がシスコに「でも、お前の言う通りなら、宇宙は広大で、誰も争わずに平和に暮らしていけるだけの広さがあるんじゃないのかい?」と訊きます。それに対してシスコは「………私にもよく分からないんだ」と答えるのでした。だから私はこの人に期待せずにはいられません。


続きが気になる。けど、全部観てしまうのはやっぱり寂しいんだなあ。
それにしても、DVD BOX が欲しい。宝くじに当たったら、とずっと前から思ってるんですけど、当たらないんだな、これが………。


goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

最近観た映画

2009年02月08日 | 映像





『暗殺者のメロディ』


「暗殺の○○」というタイトルがけっこう多くて、どれがどれだか分からなくなっていますが、これはメキシコに亡命したトロツキーがある青年によって暗殺された史実を、フィクションを交えて映像化したもの。暗殺者の青年をアラン・ドロンが演じています。

アラン・ドロンの立ち姿が半端なく美しいということを改めて確認できました。普通の人とは全然違います。しかし、今回の役柄は、暗殺という大胆な犯行に及ぶものの、内面はあまりにナイーブで情けなささえ感じさせる若者。美男の情けなさっぷりは見ていられないほどです。あんなハンサムなのに……。

しかし、ドラマとしては結構面白く、トロツキーが暗殺されるまさにその瞬間は、かなりショッキングに描かれていました。当時の社会情勢を知っていたら、なお理解できたと思います。
面白かった。




『デューン 砂の惑星』

ずっと観てみたかったのをようやく観ました。
しかし、どうやら私が観たのは「劇場公開版」というやつらしく、物語の展開が早かったり強引すぎたりして、ところどころで「???」となってしまった。ただ、デヴィット・リンチ監督にしては、内容がすごく良く分かりました。適度に幻想的で、その幻想のイメージの美しさやグロテスクさが流石という感じ。美術設定や衣装設定が素晴らしく、ほんのちょっとした場面が異常に美しかったりしました。デューンに暮らす人々が、恐ろしく青く輝く瞳を持っているというのは有名ですよね。

完全版があるなら、もう一度観たいものです。登場人物の詳しい相関関係がいまいち分からなかった上に、ラストで唐突に登場した人などもいて、なんだか集中できなかった。どうやら原作があるらしいので、そちらを読んでみると面白そうかもしれません。映像化不可能と言われていたらしいので、壮大な物語であることを期待しています。なんか最近、SFが読みたくて。


goo | コメント ( 4 ) | トラックバック ( 0 )

今年も

2009年02月06日 | もやもや日記

ロイズ ナッティーバー(18本入り)



チョコの季節真っ盛り。

今年もいつものように、ロイズのナッティーバーの大箱を買ってきました。ふふふ。近所の東急ハンズの特設売り場では、この時期だけ北海道のチョコ菓子を売ってくれるので、私はいつもそこで大量買いしてしまいます。ロイズだけでなく、六花亭のイチゴチョコなども売られていましたが、今年もとりあえずナッティーバーを3箱。春までかけて、ゆっくりいただく予定です。

このナッティーバーを最初に食べたのは、いつのことだったでしょうか。全然思い出せませんが、初めて食べてからずっと、私はこれにハマり過ぎています。東京時代には、有楽町の交通会館に入っている「道産子プラザ」という北海道の名産を扱うお店でチョクチョク買い求めていたのですが、大阪へ来てからは滅多に手に入らなくなったので、時々本気で「いよいよ取り寄せるか……」と悩んだりします(ほかにもっと悩むべきことがあるはずですが。たとえば、たまには「生チョコ」にしてみるべきかを真剣に考えるとか)。
なので、年に一回のバレンタイン・フェアに乗じてロイズのチョコが大阪でも入手できるのは、大変に嬉しい!

しかし、いつも不思議なんですけど、こうやって大量のおいしいチョコ菓子を買っておきながらなかなか箱を開けられず、「今日はなにかチョコレートなものが食べたい……」と言っては、スーパーまで板チョコを買いに行ってしまう心理は何なのでしょう? それと、平日はほとんどこのナッティーバーには手を付けません。土日だけ。これも不思議。
そして今年もこの3箱を、K氏(←彼にも1.5箱分を売ってあげました。優しい私)と牽制し合って、お互いに同じペースで食べるのだろうなぁ。



goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

『ツルバミ』冊子版 進捗状況

2009年02月04日 | 同人誌をつくろう!

表紙デザインを修正しました
だいたいこんな感じでいかがでしょう?




同人のみなさま、こんにちは!
『ツルバミ』冊子版の編集作業は、細々と進行中です! 一応、今のところの進ちょく状況を報告させていただきたいと思いますので、よろしくどうぞ☆


(その1)上の通り、表紙デザインを修正しました。これで決定していいでしょうか? 葉っぱが1枚だけ黒いのはウザイですかね?

(その2)まだ出来ていませんが、「目次」は「横書き」にしようかと計画中。そうすると、1ページに収まるんですよね。いえ、前回同様、見開きでも良いのですけれど。ご意見あれば是非!
 横書きデザインはサンプルが出来次第あらためて提出させていただきますね。

(その3)みなさまのもとへ、アンケートをお送りしました。メールなどご確認いただきたくお願い申し上げます。お返事はいそぎませんので、いつでもお暇な時に♪
 掲示板でもご確認いただけますが、アンケートの回答は、みなさまのプロフィール欄に掲載すると楽しいかなという紅葉さんのご意見を採用させていただくつもりです。御協力お願いします!


という感じで、あまり進んでいないような気もしますが、地道に作業を続けていきますので、引き続きお付き合い下さいますようお願い申し上げます(^o^)




goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

節分

2009年02月03日 | もやもや日記

ノルとディックの節分
ひとり豆まきに興じるノルと、それを見守るディック

恵方巻も用意してあるが、実はそれが紙でできているとは
かわいそうすぎて私には言えない



福豆って、おいしいですよね。
恵方巻とか、今年はどちらを向いて食べるのかしら……

goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

『犯罪王 カームジン』

2009年02月02日 | 読書日記ー英米

あるいは世界一の大ぼら吹き

ジェラルド・カーシュ 駒月雅子訳(角川書店)




《あらすじ》
あっと驚く方法でペテン師をぎゃふんと言わせ、卑劣な恐喝者を完全犯罪で闇に葬り、芸術的犯行で大金をかすめとっては幽霊とわたりあう。
イギリス首相チャーチルも愛読したと言われるカームジンの荒唐無稽、抱腹絶倒の活躍の数々! もしもこの話が真実なら、当代きっての大犯罪者。もしも嘘っぱちなら、史上まれにみる大ぼら吹き。さて、あなたなら、どう思う……?

《この一文》
“「とんちきめ!」カームジンが言った。「頭の悪いのに限って、何も信じようとしない。いいか、うすのろには二種類いる。なんでもかんでも鵜呑みにするやつと、なんにも信じないやつだ。きみはあとのほうの部類だよ。我が輩がせっかくいろいろ話してやっても、聞き流すだけで笑っておしまい。どうせ半分も信じていないんだろう。いいか、これでも我が輩は正直者として通ってるんだぞ」
  ―――「カームジンとあの世を信じない男」より ”



シリーズすべての話を読破してしまった時、その喪失感ははかり知れないものがあります。ここに収められた17篇は、「カームジンもの」の全作ということです。なんてこった! これ以上もう読めないだなんて! そんなこと、聞きたくなかった!!

しかし、こういう時にこそ私の数少ない優れた能力を発揮すべきなのであります。それはつまり、最高に面白かったという愉快な感情のみを記憶に残して、ストーリーのほうは速やかに忘れてしまうこと。すると半年ほど経てば、私はほとんど新しい本を読むように、この本を読み直すことができるに違いないのです。それくらいに私は忘れっぽい。ミステリーやサスペンスの読者として、私ほど恵まれた読者はいないかもしれません。誰が犯人だったか、どんなトリックだったかを繰り返しハラハラしながら楽しめるわけですから。
そう思って、私は自分を慰めることにしました。

「カームジン」のこのシリーズのいくつかは別の本にも収められていて、私はそれで初めて読みました(『廃墟の歌声』)。そしてたちまちカームジンの虜になったちょうどその時に、この本が出版されたというわけです。なんという幸運! これが運命的出会いというやつです。もちろん即座に単行本を買い求めました。

ジェラルド・カーシュの作品はいずれも奇抜で奇妙な物語ばかりです。もの凄く面白い。テンポも良く、人を飽きさせません。そして、あっと驚くような結末。特にこのカームジンのシリーズでは流れるように巧妙な語り口、鮮やかな展開、ユーモアが溢れ出るなかに時々ぴりっと皮肉がまざるという、どこからどう読んでも面白いとしか言えない珠玉の短篇集です。わー、面白い! 私はひたすら薄笑いを浮かべ、時には声を上げて笑いながら読み進めました。一気に読んでしまうのはもったいなかったので、およそ3日かけて読みました。うーむ、面白いなあ。

語り手は作者本人のジェラルド・カーシュとなっており、彼はその友人で正体不明の大男、大犯罪者か大ぼら吹きかというカームジンの驚くべき過去の完全犯罪の数々を聞かせてもらう、というお話。カームジンがかつては大胆な手口で大金を手に入れていたという華々しい物語を語りながらも、現在は落ちぶれて(?)お茶代さえままならず、やはり貧乏にあえぐ物書きカーシュ(カームジンの冒険譚を出版社に売って小銭をかせいでいるらしい)に煙草をねだる有り様。そのギャップがたまらなく面白い。しかし、カームジンの話があながちまったくの嘘とも言い切れないだろうことには、彼は時々恐るべき能力の片鱗をちらっと見せたりするのであった。

愉快、痛快なこのシリーズの中には、カーシュの美意識のようなものも感じられて、実に読みごたえがあります。カーシュとカームジンのやりとりは、とぼけていながらも何か品性を感じさせます。貧乏でも気高いというか。高潔さとは何かということについて少し考えさせられました。
特別収録されたカームジンものでないその他の短篇「埋もれた予言」「イノシシの幸運日」も、カーシュらしい奇想が満載で非常に面白かったです。

さて、私はまだこの人の短篇しか読んだことがありませんが、どうやら長編もあるらしいので、いずれ読みたいところです(でも翻訳はないっぽい?)。
これぞ楽しい読書。


goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

窓の外

2009年02月01日 | もやもや日記


もうすぐ夜になりそうな窓の外で、誰かこどもが泣きながら何かを訴えている。相手は彼の親だろうか。遠ざかりながら、ずっと鳴き声が聞こえてくる。

そんなに泣かなくてもいいのに、とは思うけど、どうしても泣いてしまうことはありますよね。泣いてしまうほど切実に訴えたいことがあるのか、わざわざ訴えなければならないことの侘びしさに泣いてしまうのか、どちらかは分からないけど、寒い中で興奮してあとで風邪を引いたりしないといいなあ。

それで、私はと言えば、頭が割れそうに痛む。日曜日の暮れ時は、心細くなるようです。あー、おにぎりとお茶でも持って山でも登りたい。
そう言えば、今日は実家から立派な鮭の切り身が送られてきたので、これから食べます。濱口さんの黄金伝説スペシャルでも見て、笑いながらご飯を食べたら、すこしは元気になりそうです。さて、支度すっか。

goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )