私は、この映画を3つの視点で考えてみました。
❶古今東西トキの権力者が探し求めてきた「不老長寿」=永遠の命

❷強者が弱者を征服するといったの強者のエゴ、そして、
❸資源開発と環境破壊の問題についても考えさせられました。

(1)永遠の命 
 本映画は、近い将来永遠の命も手に入れることができるのでないかと予言しています。自分の肉体が機能不全になり、まだ意識=頭脳が正常の場合、それをロボットなど別なものに移し替えることができる時代を想像しました。まあ、これを”命”と定義することができるかどうかわかりませんが。
 この永遠の命の探求は、どこかで研究が進んでいるのだろう。もし、自分に永遠の命が与えられたら、当然ものの考え方や人生観、社会システムも変わるだろう、とかいろいろ考えたり、想像の翼をいっぱい広げさせてくれるような映画でした。まあ、今の自分には間に合わなく、いさぎよくあきらめていますがー。100年後に生まれた人は、乞うご期待!ですね。
    
 
(2)反戦映画
 時代設定が2154年=100年以上後の世界は、地球に資源が枯渇し、よその星に行って得なくてはならない状況は想像できます。しかし、そこに住んでいる人=生物がいるとしたら、武力に勝るものが力ずくで従えたり、抹殺しようとすることはあってはならないことです。このことは、帝国主義の植民地政策を思い出させる内容で、長い歴史の中で繰り返しやってきたことです。この映画は、現在も継続しているロシア軍によるウクライナ侵攻と重なります。また、直近の日本では、日本人が北海道のアイヌ民族を征服したこととも類似しています。世界の中で、常に少数民族、特定な宗派、隣国の小国などが大なり小なりこのような運命にあることも現実です。これは、人類の永遠の課題であることを示唆していると思います。私は、この映画は、反戦映画でもあると強く感じました。


(3)資源開発と環境破壊
 現在地球では、地球温暖化 · 海洋汚染 · 水質汚染 · 大気汚染 · 森林破壊などが問題化しています。科学が進展し、暮らしが便利で豊かになることは肯定しますが、ここに資源開発による環境破壊の問題がつきまといます。

事例】金属の原石の鉱石は、土砂や岩石に局所的にしか存在しなく、ある鉱脈が見つかれば、そのエリアは、強制的に排除して大規模な鉱山開発が行われることが多くあります。その結果、貴重な生態系が被害を受けたり、先住民や居住者が土地を奪われたりします。採掘開始後は、露天掘りなどで大面積の掘削を行い、大量の廃棄物を出します。例えば、1tの土砂から取れる金は1gほどで、その殆どは廃棄物として捨てられます。また、エネルギーや水の使用量が膨大で地域に対する影響が大きく、かつ、鉱山廃棄物によって河川や土壌の汚染を引き起こし、住民が病気になることもあります。

 本映画は、これからの地球は、環境破壊にとどまらず資源獲得をめぐって国同士の熾烈な争奪戦が益々深刻化することも示唆しています。しかし、私たちは、今の生活を後戻りさせれないし、今後も加速度的に資源開発していかなければならないジレンマにあります。この地球存続の課題としての資源開発と環境破壊は、解決すべき課題として提示されています。