ソウル市内から板門店に向かう車の中で「もし死んでも、構いません」という同意書にサインするようにガイドさんから言われ、一瞬耳を疑いました。(正直言うと聞きまちがえたように思った)非武装地帯に近づくと無数の鉄条網と何度も何度も検問があり、パスポートを提示し、おびただしい数のバリケードを迂回しながら38度線のど真ん中に行ってみました。連合軍の建物に入ると、訪問者(見学者)宣言書という書類が配布されました。そこには1から3まで様々な条項が記載されており、
1、敵の行動(活動)によっては危害を受ける、または死亡する可能性があります~また、事変、事件を予期することはできま
せんので国連軍、アメリカ合衆国及び、大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責 任をおうことはできません。
と書かれていたのです。宣言書をすべて読み、サインをし、日付を記入して、共同警備区域の建物を見学しました。よくテレビで放映されている建物です。建物の中には、韓国陸軍の兵士が直立不動のまま微動だにもせず、そのわきで、記念写真を撮らせてもらいました。少し怖かったですね。
1950年6月25日に勃発した、朝鮮戦争は約3年1ヶ月間、北と南で同じ民族が骨肉の争いを繰り広げ、やく1000万人にのぼる離散家族を生み出したのはよく知られた事実ですが板門店はソウルの北方60キロメートル北緯38度線、南方5キロの地点にあって、軍事境界線、(休戦ライン)を中心にして、南北約2キロメートルに渡ってもうけられている非武装地帯にあります。休戦後、軍事会談が頻繁に行われており、南北会談の窓口になっている所です。私が訪れた日はどんよりと、曇った日でしたが、すぐ目の前に北朝鮮の軍人がおり、北朝鮮の板門閣という建物にはおそらく北朝鮮の要人と思われる15、6名の男女が我々の方を指さしたり、カメラを向けて記念撮影している様子でした。近くて、遠い国とよく言われますが、本当にその通りだと納得しましたね。こちらが北の方に向かって、指さそうとするだけで、ガイドがもの凄い剣幕で注意する場面があり、緊張しちゃいました。板門店を中心に『北朝鮮』の軍事境界線を一望しながら様々なスポットを見学できたことはとても良い経験になりそうです。
帰りの車の中では1200ミリリットルのマッコリ一本をラッパ飲みしながら、眠りこけました。本場韓国で飲むマッコリは格別美味しかったです。(近日中に共同警備区域での記念写真を紹介します。)
1、敵の行動(活動)によっては危害を受ける、または死亡する可能性があります~また、事変、事件を予期することはできま
せんので国連軍、アメリカ合衆国及び、大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責 任をおうことはできません。
と書かれていたのです。宣言書をすべて読み、サインをし、日付を記入して、共同警備区域の建物を見学しました。よくテレビで放映されている建物です。建物の中には、韓国陸軍の兵士が直立不動のまま微動だにもせず、そのわきで、記念写真を撮らせてもらいました。少し怖かったですね。
1950年6月25日に勃発した、朝鮮戦争は約3年1ヶ月間、北と南で同じ民族が骨肉の争いを繰り広げ、やく1000万人にのぼる離散家族を生み出したのはよく知られた事実ですが板門店はソウルの北方60キロメートル北緯38度線、南方5キロの地点にあって、軍事境界線、(休戦ライン)を中心にして、南北約2キロメートルに渡ってもうけられている非武装地帯にあります。休戦後、軍事会談が頻繁に行われており、南北会談の窓口になっている所です。私が訪れた日はどんよりと、曇った日でしたが、すぐ目の前に北朝鮮の軍人がおり、北朝鮮の板門閣という建物にはおそらく北朝鮮の要人と思われる15、6名の男女が我々の方を指さしたり、カメラを向けて記念撮影している様子でした。近くて、遠い国とよく言われますが、本当にその通りだと納得しましたね。こちらが北の方に向かって、指さそうとするだけで、ガイドがもの凄い剣幕で注意する場面があり、緊張しちゃいました。板門店を中心に『北朝鮮』の軍事境界線を一望しながら様々なスポットを見学できたことはとても良い経験になりそうです。
帰りの車の中では1200ミリリットルのマッコリ一本をラッパ飲みしながら、眠りこけました。本場韓国で飲むマッコリは格別美味しかったです。(近日中に共同警備区域での記念写真を紹介します。)