大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

ことば

2011-03-07 12:09:55 | 日記
 言葉は言霊なのだと気付いてから意識的にいくつかの言葉を口に出すのを止めるようにしています。「忙しい」「疲れた」「お金がない」は極力使わないようにしているのですが最後の言葉だけはたまに…言葉の大切さを思い知ったのはおそらく齋藤一人さんの本を読んだり、講演会記録(CD)を聞くようになってからです。100%齋藤一人さんの考えに賛同できるわけではないのですが自分の人生観を大きく変えてくれた偉大な方だと自分は思っています。彼の本はとても平易に書かれていてどの本も一時間前後で読み終えることができるのですが含蓄に富む内容です。韓国の詩人に金芝河という方がいますが確か彼が「真実とはシンプルなものである」と話していたことがあったように記憶しています。とても印象に残り、ずっと胸に刻んでいます。どこかで齋藤一人さんの考えと相通ずるように思うのですが…一人さんは難しいことを言っている人で成功した人を見たことがないとおっしゃっています。僕も学生時代難解な哲学書をほんの少し読ませていただいたのですが、今振り返ってみると一人さんの考えにうなずくことばかりです。最近は視力もかなり落ちてきて文庫本を読むのがかなりきつくなってきたので、本を読むペースも落ちてきたかも…その分人相学を追求しながら人間関係を学ぶ日々です。

メモ(wikipediaより)

金芝河 概説

1941年、全羅南道木浦市に映画技師の一人息子として生まれる。中学時代から詩作を始め、ソウル大学校美術大学美学科在学中から詩作を発表する。 在学中に4・19学生革命に参加。以降も学生運動を主導し、当局から逮捕拘束される。
1961年、5・16軍事クーデターでの朴正熙政権登場以降、反政府活動を強める。1970年、朴正熙大統領体制を鋭く風刺した長篇詩『五賊』を発表し、反共法違反容疑で拘束される(五賊筆禍事件)。当局からの逃亡生活を余儀なくされるが、地下活動を続け、軍事政権下で民主化運動をリードした。1974年、大統領緊急措置により死刑判決を受けたが、一旦は釈放。しかし、釈放後に「東亜日報」に掲載した手記『苦行--1974』で、人民革命党事件の捏造を批判したことから反共法違反により再逮捕。
金芝河の投獄に対して、サルトルや大江健三郎、鶴見俊輔などによる国際的釈放要求の声が沸きあがり、1980年12月、再度釈放される。通算7年にも及ぶ獄中生活に対し、軍事政権の言論弾圧に屈しなかったとして、ロータス特別賞、クライスキー人権賞、偉大な詩人賞を受賞。
以降、詩作以外にも随筆や談論集を発表し、パンソリや仮面劇の伝統を生かした『櫻賊歌』『蜚語』などを発表。1982年頃からは、地域自治を提唱するサルリム(生命)運動や環境問題、消費者共同体運動、東アジアの伝統を見直す活動など、詩作以外にも活動を広げる。しかし、生命運動などを通じて神秘主義的な言動が顕著になったことで、民主化運動(特に学生運動)に対する思想転向と受けとめる者も現れ、韓国内では賛否両論を巻き起こした。
1991年4月には、明知大生の姜慶大殴打致死事件を契機に起こった一連の焼身自殺事件に対して、その抗議姿勢を批判して「死(焼身自殺)による礼讃を止めよ!」とのアピールを出している。
なお、漢字復活論者でもある。妻の母は作家の故・朴景利。