大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

福島原発と避難民

2011-03-15 16:38:19 | 原子力関係
 原子力発電所の『安全神話』が根底から覆され、数十万人の避難民がでていますが、これからこの単位が一桁変わるくらいの避難民が出る可能性があります。その事に関しては政府も東電も口が裂けても発表しないと思います。今は大本営発表をしているとしか僕には思えません。日本にいる外国人、特に大使館の要人や政治家をはじめ、富裕層の動きを見れば事の重大性が分かると思います。海外のメディアは「東京から離れろ」と訴えています。ひと言で言うとお金持ちは海外へ避難。ちょっとお金持ちの人は関西方面に避難し農業や漁業に携わっている真面目で勤勉な人々は生まれた土地を離れる事ができない為に高濃度の放射能に汚染された土地で暮らすしかないのです。植草一秀さんが本日のブログで重要な指摘をしています。もしよろしかったら目を通してください。

「原発周辺住民に対しては、最低でも200キロ圏外への退避が不可欠で、迅速な対応が求められるが、菅政権は住民を30キロ圏内に縛り付けて動けない状況に陥れる愚策を採用している。時間が経過すればするほど、遠距離への避難は、そのタイミングを失うことになる。菅直人政権は未曾有の人災を引き起こしつつある。」

と指摘されていますが全く同感です。1980年代に福島原発に反対し脱原発を訴えて、数十名のメンバー(僕を含む)がささやかな運動をしていたのですが、その当時県警は反対する人々をずっとマークしていた記憶がつい先日の事のように思い出します。真実を主張し、危険な原発はやめるべきであると口をすっぱくして訴えても、「まさか原発が」と周囲の人々は耳を貸さなかったように記憶しています。正直に言うと今避難しているかなりの方々(原発立地の市町村の方々)は原子力発電所の『恩恵』という名の『飴と鞭』の『飴』をもらっていた方々が多いと思います。心苦しいですが、人は自分がひどいめにあわないと本当の真実に気付かないのかもしれません。僕は原発に反対しながら少しでも社会を良くしたい、という素朴な気持ちで社会の矛盾や問題点に関して様々な啓発活動を微力ながら行っていましたが、その途中に自分の住んでいた家屋が火災になり、全ての財産を失った経験があります。全ての財産もなく、友達も周りから全員はなれてしまったつらい体験を経て今日まで生きてきました。自分の経験から、繰り返すようですが人は本当にひどいめにあわないと真の人間として覚醒できないように思います。当時太平洋岸では頭が二つある魚や、奇形魚が原発周辺の海岸で発見されていたので、福島県庁に何度も抗議しましたが、取り合ってはもらえませんでした。今回の事故では太平洋岸の海も相当大汚染される事は間違いないでしょう。その当時知人の東北大学をでられた県庁職員に「事故が起こったらどうするんですか』と聞いた所「太平洋岸に風が吹くだけで何の問題もありません」とさらりと言われてしまいました。おそらく彼は県庁では要職にいると思いますがどんな気持ちで福島原発の事故に対応しているのでしょうか。


半径三百キロは放射能汚染によって白血病や甲状腺がんになる可能性が高いと思います。気になる方は自分で調べてみてください

福島原発について考える

2011-03-15 10:00:00 | 原子力関係
 福島原発が爆発し、自分が想像した通りの大災害が起こっている。何人かから電話で心配していただきとても嬉しく思います。Aさんからの電話で自分が初めて知った重大な歴史的事実について、教えていただきましたので、以下紹介します。私の知人Aさんはいわき市出身で1942年生まれです。Aさんは二十歳の頃(1962年頃)車(ブルーバードという高級車)で今大問題になっている福島原発がある富岡町をドライブしていたら、とても景色が良かったので父親にこの辺の土地を買ってほしいとお願いし、土地の登記簿謄本をとって土地の所有者を調べた所、全て堤康次郎の名義になっていたとの事。堤康次郎はピストル堤と言われた西武グループの創業者で第44代衆議院議長も務めた人間です。詳しくはウィキペディアをご覧ください。1965年頃には当時西武グループの土地が全て東京電力に売却され、所有権が移転し今問題になっている福島原子力発電所が設置されたのではないでしょうか?
 Aさんによると堤という人間は本当に悪だと実感したとのこと、僕も気になり堤康次郎の生涯を調べていたら、
「太平洋戦争中も、B29の空襲の中、自宅地下壕に電話線を何本も引いていた。その電話口で、常に土地を買いつづけていた。戦後も、皇籍剥奪により、土地財産を没収された旧宮家の都心の土地を次々と日本政府から買収した。一方で華族の生活の面倒を見たとも言われる。」
『評論家の大宅壮一は康次郎の強引な土地取得について、『文藝春秋』(昭和三十三年十一月号)に掲載した「日本ユダヤ教総本山・滋賀県」の中で書いている。
「しかし百億をこえるという財産をどうしてつくったかというと、関東大震災の直後、一家全滅したようなところの焼跡に、かたっぱしから「堤康次郎所有地」と書いた棒杭(ぼうぐい)を立てた。どこからも文句がでなければそのまま、出れば法廷でお抱えの弁護士をつかって、所有権を証明する物的証拠を示せ、と争ったという。
これはデマだろうが、彼ならやりそうだという気がする。というのは箱根、軽井沢、国立などで、彼に土地をとられて泣いているものが、どれだけいるかしれない。長谷川如是閑門下で早大教授の市村今朝蔵などもその一人で、彼は軽井沢の大地主だったが、広大な土地を争って、弁護士の費用などで、泣くに泣けぬ状態におとしいれられた。この事件には、彼の友人たちが多く関係しているし、私もその一人だったので、自信をもっていえる。」そして大宅は康次郎 に“近江の知能犯”というレッテルを貼り、彼のやり方を徹底的に批判した。』とウィキペディアで紹介されていました。
 
 結局戦前戦後の日本の政治や経済を牛耳っていた堤康次郎という男は巨悪の人物であったということを改めて思い知らされました。その後福島原子力発電所は多くの住民の反対の声を無視して数多く福島県に建設され、原発銀座と揶揄され現在の大惨事を引き起こしています。福島県にも政商が暗躍し渡部恒三とその子分である福島県知事の佐藤雄平は原発反対派の知事であった佐藤 栄佐久県知事をスキャンダルで引きずりおろしながら、福島原発にプルサーマル計画を積極的に推進する政策をとっていったわけです。数十万人の人々が僕の故郷である田村市をはじめ郡山市に避難していますが、おそらく二度と自宅には帰れないと僕は予測しています。誰が一体責任をとるのでしょうか。


東電の責任者の一部です。(訂正3月16日、最高責任者ではありませんでした。どうもすみませんでした。) 記者会見では怒号が飛ぶ、あれたものだったそうです。ニュースでは放映されていません。
gooニュース


続く

ウィキペディアURL
http://ja.wikipedia.org/wiki/堤康次郎