<海洋調査>福島原発沖で市民が測定 漁業の未来考える
毎日新聞 5月7日(水)16時10分配信

洋上から見える福島第1原発。右から1号機~4号機=2014年4月27日、石戸諭撮影
東京電力福島第1原発の事故後、放射性物質による海洋汚染はどうなっているのか。東電の発表任せではなく、市民が自分たちで調査するプロジェクト「いわき海洋調べ隊 うみラボ」(福島県いわき市)による海洋調査が動き出している。4月27日、うみラボのメンバーと共にいわき市内から乗船し、福島第1原発沖の調査に同行した。【石戸諭/デジタル報道センター】
うみラボは、いわき市内のかまぼこ製造会社に勤める小松理虔(りけん)さん(34)らが始めたプロジェクトだ。事故の影響は、いわき市の漁業だけでなく、かまぼこなどの加工業、釣り客にも広がっている。事故後、早い時期から市民による自主的な放射線量測定が進んだ公園や農地と異なり、原発沖の測定は東電の発表に依存しているのが実情だ。
「実際に、自分たちで海の状況を知るために現場に行って測る。それは東電に対して『市民もちゃんと測っているぞ』という姿勢を見せることになるし、原発や事故に対する立場を超えたセカンドオピニオンを示すことができます」。小松さんはこう話す。
27日午前9時過ぎ。出航を前にいわき市の久之浜港に、アドバイザーとして同プロジェクトに関わる筑波大准教授で社会学者の五十嵐泰正さん(40)、調査機器の使い方や測定をサポートする地元の水族館「アクアマリンふくしま」(いわき市)の獣医、富原聖一さん(41)らが顔をそろえた。五十嵐さんは、放射線量が局地的に高いホットスポットとなった千葉県柏市で、母親たちやレストランのシェフが実際に地域の農地に行き、放射性物質を測定するプロジェクトに携わった。一方、富原さんは福島県の魚や海洋、土壌の放射性物質測定を続けてきた。研究室にはこれまでの測定データを記したファイルが数冊、分野別に置かれている。釣り好きで地元の魚への愛着は人一倍ある。
同9時半。「長栄丸」に乗り込んだ。震災前は富岡町の港で釣り船として営業していた船だ。船長の石井宏和さん(37)は震災後、素早く沖に船を出し、津波を免れたが、当時、漁港に所属していた残りの船はすべて流されてしまった。生き残った船を地元のために役立てようと、石井さんは調査に協力している。
出航から約20分。左手に東電広野火力発電所、約45分後には福島第2原発が見えてきた。参加者の一人がつぶやく。「本当にこの地域は日本の電力を支えてきたんだな。火力もあって、原子力もあって……」「第2(原発)も危なかったんだよな」
切り立った崖を横目に見ながら、北上する。出航から約1時間、ようやく福島第1原発の姿が見えてきた。「思ったより小さいでしょ。ここに連れてきたらみんな言うんですよ。こんな小さいものが世界を騒がせているのかって」と石井さんが言う。海から見える原発は、確かに想像していたよりも小さく見えた。
原発沖1.5キロ、船は海底土を採るために減速した。再び原発を見ると、船からでも目でわかる大きさで数字が書かれていることに気づく。右から1号機~4号機と並んでいることを知った。それぞれの被災状況に応じて外観も異なっている。現場には赤と白のクレーンが方々に設置されている。比較的、新しいと一目で分かる黒い鉄骨が4号機には取り付けられている。事故現場はやはり生々しい。
肝心の線量はどの程度なのだろうか? 測った結果は毎時0.05マイクロシーベルト。地上と比較しても低い数値となったことに、驚きの声があがる。海水による遮蔽(しゃへい)効果なのだという。当然、原発に近づけば数値は上がるが、1.5キロ沖では昨年11月の調査と比べても、数値は変動していない。同じ場所で、海底の汚染の程度やたまっている放射性物質を調べるために必要な海底土を採ることになった。富原さんが採取し、計測する。
再び久之浜漁港に戻り、アクアマリンに。富原さんの部屋にはこれまで計測した魚や動物が冷凍保存されている。計測の結果は1キロあたり417ベクレル。数値自体をどう見るか。
五十嵐さんは「震災直後から柏市の農地土壌を測定して回った感覚からすると、正直に言ってかなり低い数値だなという印象」と話す。冨原さんは「海底で採取した中で比較すると高めの数値だが、原発近くでこのくらい低ければ海や魚に与える影響は限定的だろう」。富原さんの調査によると、アクアマリン前の海底土で1キロ当たり287ベクレルだ。2人の見解は「原発の目の前でこの値なら『福島の漁業が終わった』と悲観するような数値ではないと思う」という点で一致する。
プロジェクトを主導する小松さんは「実際に現場に行ってみて、原発の存在を体感して実測する。定期的に繰り返すことでいわきの海、福島の漁業を考えるきっかけにしていきたい」と強調する。
今後に向けてのヒントも既に出ている。いわき市の漁師の間では、魚の数が震災前より増えているという話が出ている。原発事故後の3年間、漁獲量が大きく減ったことで魚の個体数が回復した可能性があるというのだ。五十嵐さんは「資源を管理しながら漁を続ける、持続可能な漁業という新しい形を福島から提唱できるのではないか」と強調する。市民による海上調査で実際に漁場を見て、計測し、考えることで議論は広がっていく。原発沖から生まれる漁業の可能性に注目していきたい。
◇津波逃れた釣り船、今は調査に
「うみラボ」の調査を支える釣り船「長栄丸」の船長、石井宏和さん(37)は震災時、長栄丸を沖に出し、津波から船を守った。しかし、津波で長女柑那(かんな)ちゃん(当時1歳半)は富岡町内で行方不明に。原発事故の影響で釣り客の足も遠のいた。一時は「何のために船を守ったのか」と自問自答を繰り返すこともあったが、「実際に原発事故の現場を見て、今後を考える手助けを」と、調査のために船を出す。
震災前、福島第1原発から南に約10キロの富岡港(福島県富岡町)で釣り船業を営んでいた。自宅も港近くだった。3年前の3月11日、地震の大きな揺れに「津波が来る」と直感した石井さんは、家族に連絡をつけ、長栄丸に乗り込んで沖に出た。
直感は当たった。富岡町は大津波に襲われ、港で残った船は長栄丸だけだった。しかし、陸に戻った石井さんにもたらされたのは、親族とともに車で避難中に柑那ちゃんが津波に襲われ行方不明になったという知らせだった。自宅も津波に流されていた。
続いて起きた原発事故で、海とともに生きる暮らしは一変した。乗船客の目的は、釣りではなく放射性物質の調査に変わった。魚のサンプル調査にも協力した。
様変わりした暮らしに苦悩する日々。柑那ちゃんの3回目の誕生日にあたる2012年9月8日、石井さんは自身のホームページにこうつづっている。「時が経つにつれ、『自分はこれから何をして行けばいいのだろ? どんな仕事をすればいいのだろ?』と悩みました。でも、海のガレキ撤去の仕事やサンプル調査などで船の操縦席にいると、やっぱりこの場所が落ち着く自分がいるのです」
地元の海から離れられない。決意は固くなった。海洋調査に向かったこの日、船を出した福島第1原発の沖合は、かつての仕事場でもある。プロジェクトに船を提供する理由を石井さんはこう語ってくれた。「原発への立場はいろいろでいいと思っています。どんな立場でも、海から実際に現場を見て、感じて、考えてほしい」
毎日新聞 5月7日(水)16時10分配信

洋上から見える福島第1原発。右から1号機~4号機=2014年4月27日、石戸諭撮影
東京電力福島第1原発の事故後、放射性物質による海洋汚染はどうなっているのか。東電の発表任せではなく、市民が自分たちで調査するプロジェクト「いわき海洋調べ隊 うみラボ」(福島県いわき市)による海洋調査が動き出している。4月27日、うみラボのメンバーと共にいわき市内から乗船し、福島第1原発沖の調査に同行した。【石戸諭/デジタル報道センター】
うみラボは、いわき市内のかまぼこ製造会社に勤める小松理虔(りけん)さん(34)らが始めたプロジェクトだ。事故の影響は、いわき市の漁業だけでなく、かまぼこなどの加工業、釣り客にも広がっている。事故後、早い時期から市民による自主的な放射線量測定が進んだ公園や農地と異なり、原発沖の測定は東電の発表に依存しているのが実情だ。
「実際に、自分たちで海の状況を知るために現場に行って測る。それは東電に対して『市民もちゃんと測っているぞ』という姿勢を見せることになるし、原発や事故に対する立場を超えたセカンドオピニオンを示すことができます」。小松さんはこう話す。
27日午前9時過ぎ。出航を前にいわき市の久之浜港に、アドバイザーとして同プロジェクトに関わる筑波大准教授で社会学者の五十嵐泰正さん(40)、調査機器の使い方や測定をサポートする地元の水族館「アクアマリンふくしま」(いわき市)の獣医、富原聖一さん(41)らが顔をそろえた。五十嵐さんは、放射線量が局地的に高いホットスポットとなった千葉県柏市で、母親たちやレストランのシェフが実際に地域の農地に行き、放射性物質を測定するプロジェクトに携わった。一方、富原さんは福島県の魚や海洋、土壌の放射性物質測定を続けてきた。研究室にはこれまでの測定データを記したファイルが数冊、分野別に置かれている。釣り好きで地元の魚への愛着は人一倍ある。
同9時半。「長栄丸」に乗り込んだ。震災前は富岡町の港で釣り船として営業していた船だ。船長の石井宏和さん(37)は震災後、素早く沖に船を出し、津波を免れたが、当時、漁港に所属していた残りの船はすべて流されてしまった。生き残った船を地元のために役立てようと、石井さんは調査に協力している。
出航から約20分。左手に東電広野火力発電所、約45分後には福島第2原発が見えてきた。参加者の一人がつぶやく。「本当にこの地域は日本の電力を支えてきたんだな。火力もあって、原子力もあって……」「第2(原発)も危なかったんだよな」
切り立った崖を横目に見ながら、北上する。出航から約1時間、ようやく福島第1原発の姿が見えてきた。「思ったより小さいでしょ。ここに連れてきたらみんな言うんですよ。こんな小さいものが世界を騒がせているのかって」と石井さんが言う。海から見える原発は、確かに想像していたよりも小さく見えた。
原発沖1.5キロ、船は海底土を採るために減速した。再び原発を見ると、船からでも目でわかる大きさで数字が書かれていることに気づく。右から1号機~4号機と並んでいることを知った。それぞれの被災状況に応じて外観も異なっている。現場には赤と白のクレーンが方々に設置されている。比較的、新しいと一目で分かる黒い鉄骨が4号機には取り付けられている。事故現場はやはり生々しい。
肝心の線量はどの程度なのだろうか? 測った結果は毎時0.05マイクロシーベルト。地上と比較しても低い数値となったことに、驚きの声があがる。海水による遮蔽(しゃへい)効果なのだという。当然、原発に近づけば数値は上がるが、1.5キロ沖では昨年11月の調査と比べても、数値は変動していない。同じ場所で、海底の汚染の程度やたまっている放射性物質を調べるために必要な海底土を採ることになった。富原さんが採取し、計測する。
再び久之浜漁港に戻り、アクアマリンに。富原さんの部屋にはこれまで計測した魚や動物が冷凍保存されている。計測の結果は1キロあたり417ベクレル。数値自体をどう見るか。
五十嵐さんは「震災直後から柏市の農地土壌を測定して回った感覚からすると、正直に言ってかなり低い数値だなという印象」と話す。冨原さんは「海底で採取した中で比較すると高めの数値だが、原発近くでこのくらい低ければ海や魚に与える影響は限定的だろう」。富原さんの調査によると、アクアマリン前の海底土で1キロ当たり287ベクレルだ。2人の見解は「原発の目の前でこの値なら『福島の漁業が終わった』と悲観するような数値ではないと思う」という点で一致する。
プロジェクトを主導する小松さんは「実際に現場に行ってみて、原発の存在を体感して実測する。定期的に繰り返すことでいわきの海、福島の漁業を考えるきっかけにしていきたい」と強調する。
今後に向けてのヒントも既に出ている。いわき市の漁師の間では、魚の数が震災前より増えているという話が出ている。原発事故後の3年間、漁獲量が大きく減ったことで魚の個体数が回復した可能性があるというのだ。五十嵐さんは「資源を管理しながら漁を続ける、持続可能な漁業という新しい形を福島から提唱できるのではないか」と強調する。市民による海上調査で実際に漁場を見て、計測し、考えることで議論は広がっていく。原発沖から生まれる漁業の可能性に注目していきたい。
◇津波逃れた釣り船、今は調査に
「うみラボ」の調査を支える釣り船「長栄丸」の船長、石井宏和さん(37)は震災時、長栄丸を沖に出し、津波から船を守った。しかし、津波で長女柑那(かんな)ちゃん(当時1歳半)は富岡町内で行方不明に。原発事故の影響で釣り客の足も遠のいた。一時は「何のために船を守ったのか」と自問自答を繰り返すこともあったが、「実際に原発事故の現場を見て、今後を考える手助けを」と、調査のために船を出す。
震災前、福島第1原発から南に約10キロの富岡港(福島県富岡町)で釣り船業を営んでいた。自宅も港近くだった。3年前の3月11日、地震の大きな揺れに「津波が来る」と直感した石井さんは、家族に連絡をつけ、長栄丸に乗り込んで沖に出た。
直感は当たった。富岡町は大津波に襲われ、港で残った船は長栄丸だけだった。しかし、陸に戻った石井さんにもたらされたのは、親族とともに車で避難中に柑那ちゃんが津波に襲われ行方不明になったという知らせだった。自宅も津波に流されていた。
続いて起きた原発事故で、海とともに生きる暮らしは一変した。乗船客の目的は、釣りではなく放射性物質の調査に変わった。魚のサンプル調査にも協力した。
様変わりした暮らしに苦悩する日々。柑那ちゃんの3回目の誕生日にあたる2012年9月8日、石井さんは自身のホームページにこうつづっている。「時が経つにつれ、『自分はこれから何をして行けばいいのだろ? どんな仕事をすればいいのだろ?』と悩みました。でも、海のガレキ撤去の仕事やサンプル調査などで船の操縦席にいると、やっぱりこの場所が落ち着く自分がいるのです」
地元の海から離れられない。決意は固くなった。海洋調査に向かったこの日、船を出した福島第1原発の沖合は、かつての仕事場でもある。プロジェクトに船を提供する理由を石井さんはこう語ってくれた。「原発への立場はいろいろでいいと思っています。どんな立場でも、海から実際に現場を見て、感じて、考えてほしい」