父の野辺送りをおえた夜、兄弟親戚が一同に会して亡き父のエピソードを中心に昔の珍事がいろいろと話題になった。一瞬、自分の耳を疑うようなことが聞こえてきた。自分は、1歳過ぎて母の実家に口減らしのために(おそらく事実だと思う)2年間くらい預けられていたという話をすぐ下の弟から聞かされたのである。これには、ひっくり返るくらい驚いた。長いこと私自身、重々承知していたことではあるが、自覚症状として、<病んでいた心の根っこ>の問題がやっと氷解した。三つ子の魂百までもという諺がありますが、やっと自分のことを、深層心理の奥深い闇の部分まで掘り下げて理解できるようになってきた(四十数年もかかっちゃいました)。いつも心の中で、危うい奇妙なアンバラスな感覚、少し不安定な精神状態、言葉にならない不安感みたいなもの、あるいは浮遊感。きっと母親の十分な『愛』を受けていなかったに違いないと思いました。無意識のなかで母性愛を求める気持ち、ガラスが割れたような心、心の飢えが絶え間なく消えない微妙な感覚!あ~あ…
でも、自分の存在の秘密が少しずつ解き明かされてきて今では良かったなとしみじみ思っています(だからいつも母親に対して無意識に『憎んでいる』、また内心、女性が『怖くなる』ときがあるのは、よく言えないのですが、飢餓、もしくは憎悪と紙一重の感情が脳の中にいつの間にか刻み込まれているのかもしれないと、しみじみ思うのです)。
意識が存在を規定するのではなくて、社会的存在が意識を規定するというテーゼを想起します。自分を知ること、存在そのもののルーツを辿ること、自分の生い立ちについて、あれこれいろいろと想いをめぐらし、考えることができるなんてほんとに幸せな身分だと思うのです(ありがたい話です)。自分とは、『自』然のなかの一部『分』であるとすると、いずれ肉体は土に還り、天に帰雲すると思うのですが、魂はいつまでも生き続けると私は信じ仰いでいます。いつも人の一生ってなんだろうと想いを馳せます。人の死とは、なんでしょうか。父(人)が死んでも、その人の死は終わっていないと思うのです。父(人)を知っているすべての人々があの世に旅立ち、(誰一人も父(人)についての記憶が)すべて消滅した時に、本当の父(人)の死が終わるのだと思うのです。
でも、自分の存在の秘密が少しずつ解き明かされてきて今では良かったなとしみじみ思っています(だからいつも母親に対して無意識に『憎んでいる』、また内心、女性が『怖くなる』ときがあるのは、よく言えないのですが、飢餓、もしくは憎悪と紙一重の感情が脳の中にいつの間にか刻み込まれているのかもしれないと、しみじみ思うのです)。
意識が存在を規定するのではなくて、社会的存在が意識を規定するというテーゼを想起します。自分を知ること、存在そのもののルーツを辿ること、自分の生い立ちについて、あれこれいろいろと想いをめぐらし、考えることができるなんてほんとに幸せな身分だと思うのです(ありがたい話です)。自分とは、『自』然のなかの一部『分』であるとすると、いずれ肉体は土に還り、天に帰雲すると思うのですが、魂はいつまでも生き続けると私は信じ仰いでいます。いつも人の一生ってなんだろうと想いを馳せます。人の死とは、なんでしょうか。父(人)が死んでも、その人の死は終わっていないと思うのです。父(人)を知っているすべての人々があの世に旅立ち、(誰一人も父(人)についての記憶が)すべて消滅した時に、本当の父(人)の死が終わるのだと思うのです。