とあるスナックで
コー
小林
コー
小林
コー
この本が偽者かどうかが、問題ではないということだと思う。 p-2
それによると、<この文献の執筆者、年代、講述の場所、書き下ろした実際の日時>などいまだに明確になっていないものの、皇紀2580年(大正9年)(1920年)に初めて手にしてから再度に渡って読んだ結果、(その構想の非凡に驚き、世界の現状にピタリと即応するのに胸を打たれた>とまず告白している。
ところが一方でユダヤ人の側からは、本書が偽書であるとしきりにもみ消し運動が行われていた。
そこで四王天中将は、これがユダヤ人の(六とう三略・りくとうさんりゃく)(戦略指南書)であって、ユダヤ人の運動はすべてこの筋書きどおりに導き出されると演繹的に考えれば、(論旨が不確定で動揺する場合があるかもしれぬ)ので、演繹的に考えないでさまざまな現実から出発して帰納的に考えると、いかにもこの文献のようなプロトコルがあって然るべきだと思えてくる、といっている。
つまり、ユダヤ人の誰かが自分が書いたと告白しようと、偽書であると宣言されようと、その内容が現実からおよそかけ離れているならば焼却処分に付しても構わないが、世界の現実の動きを考える時にこの文献は参考にすべきであり大いに研究すべきである、と四王天中将は言うのである。ーーーー
まさにそのとおり。100年前に四王天はこの文献を読んで、<その構想の非凡に驚き、世界の現状にピタリと即応するのに胸を打たれた>と言っている。そして僕らはこれを読んで、どういう風に感じたかだと思う。100年過ぎて、今の時代を見渡してどう思うかだ。僕ら一人ひとりがどう思うかだ。自分で答えを出すべきなんだ。
それによると、<この文献の執筆者、年代、講述の場所、書き下ろした実際の日時>などいまだに明確になっていないものの、皇紀2580年(大正9年)(1920年)に初めて手にしてから再度に渡って読んだ結果、(その構想の非凡に驚き、世界の現状にピタリと即応するのに胸を打たれた>とまず告白している。
ところが一方でユダヤ人の側からは、本書が偽書であるとしきりにもみ消し運動が行われていた。
そこで四王天中将は、これがユダヤ人の(六とう三略・りくとうさんりゃく)(戦略指南書)であって、ユダヤ人の運動はすべてこの筋書きどおりに導き出されると演繹的に考えれば、(論旨が不確定で動揺する場合があるかもしれぬ)ので、演繹的に考えないでさまざまな現実から出発して帰納的に考えると、いかにもこの文献のようなプロトコルがあって然るべきだと思えてくる、といっている。
つまり、ユダヤ人の誰かが自分が書いたと告白しようと、偽書であると宣言されようと、その内容が現実からおよそかけ離れているならば焼却処分に付しても構わないが、世界の現実の動きを考える時にこの文献は参考にすべきであり大いに研究すべきである、と四王天中将は言うのである。ーーーー
まさにそのとおり。100年前に四王天はこの文献を読んで、<その構想の非凡に驚き、世界の現状にピタリと即応するのに胸を打たれた>と言っている。そして僕らはこれを読んで、どういう風に感じたかだと思う。100年過ぎて、今の時代を見渡してどう思うかだ。僕ら一人ひとりがどう思うかだ。自分で答えを出すべきなんだ。
小林
まったくこの本は、恐ろしいですね。あまりにも今の世の中にピッタリですね。この人もそれを言っていると思います。
ただ、注意しなければならないのは、すぐに<ユダヤ人は悪者だ>という<反ユダヤ主義>になってはならないということでしょう。この本のP-58
-----.現今では我々に反抗する政府もあるが、それは我々の希望によってまた我々の命令によって形式上やっているのである。なぜならば、反ユダヤ主義はこれによって我々が下層のユダヤ人を監視するために必要があるからである。このことについてはすでに幾多の論議が重ねられているから、これ以上述べない。
うーん、いわゆる<反ユダヤ主義>も、彼らが作り育て、そして利用してきたんでしょう。
ただ、注意しなければならないのは、すぐに<ユダヤ人は悪者だ>という<反ユダヤ主義>になってはならないということでしょう。この本のP-58
-----.現今では我々に反抗する政府もあるが、それは我々の希望によってまた我々の命令によって形式上やっているのである。なぜならば、反ユダヤ主義はこれによって我々が下層のユダヤ人を監視するために必要があるからである。このことについてはすでに幾多の論議が重ねられているから、これ以上述べない。
うーん、いわゆる<反ユダヤ主義>も、彼らが作り育て、そして利用してきたんでしょう。
コー
ここまで、人間は考えられるのかね。 P-59
----.我々の野心には際限はない。我々は無慈悲の復讐に熱中し、深き怨みに燃えている。
----.我々の野心には際限はない。我々は無慈悲の復讐に熱中し、深き怨みに燃えている。
小林
一体、どんな<怨み>に燃えているんでしょうか?