9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について <貨幣という謎> その4

2018年01月10日 | 日記
とあるスナックで
小林
それではまたまた続きを読んでいきましょう。過去のバブルのことが書かれていますよ。 P-167

2 歴史上の様々なバブル

チューリップバブル

人類はこれまで幾度もバブルを経験してきた。私たちも、日本の平成バブルやアメリカのITバブル、最も最近ではサブプライムローンによるバブルを経験しています。大衆の投機によって、ある商品の価格が高騰・暴落する例は、非常に古くから見られます。
フランスでは、9つもの教会が「キリストの包皮」といわれる得体の知れない代物を手に入れるために競って大金を注ぎ込んだといわれています。また、ユニコーンと呼ばれ伝説の聖なる動物と言われたイッカクの角は、それで作った杯が毒を中和すると信じられていたため、毒殺を恐れる各国の王室がそれに巨額を投じたともいわれています。
まず、今日まで完全に記録が残されている最古の事例を見てみましょう。これは、いまから400年近く前、オランダで実際にあった話です。それは、光り輝く黄金でも不動産でも株式でもない、どこにでも転がっていそうな植物の球根の話です。それはチューリップの球根です。お金のためならば、球根というものに熱狂してしまうのが私たち人間なのです。
チューリップは、地中海の東部以東に原生するユリ科の植物で、その亜種は約160にものぼります。その語源はトルコ語でターバンを意味する「テリュバン」からきているようです。それが、西洋に初めて輸入されたのは16世紀のこと。16世紀半ばにトルコを訪れた旅行者が、チューリップの美しさに惹かれウィーンへ持ち帰ったところ、たちまち評判となり、2,3年のうちにドイツ、ベルギー、オランダへ伝わりました。トルコからオランダに初めて輸入されたのは1554年です。
1593年にフランスのクルシウスがライデン大学でチューリップの美しい花の栽培に成功して以来、その異国情緒あふれる美しい花は高い評価を受け、チューリップ栽培が王室や華族の間で名誉なこととされるようになったのです。
チューリップ栽培では、ごくまれに突然変異によって新種を生み出すことがあります。栽培家は、珍種という幸運がいつやってくるかを期待して栽培園を歩き回っていました。というのも、珍種の花がいままでにない美しいものであれば、その球根を増やし、高値で売りさばくことができるからなのです。特に美しいチューリップの花がことさらに珍重されたため、希少な品種の球根が、投機の対象となっていきました。

なぜチューリップが?

チューリップは、17世紀の初頭にまずフランスで、ついでオランダで大流行しました。アムステルダムではすでに株式市場が開設されていましたが、そこにこの球根も上場されたのです。ロッテルダムやライデン、その他の都市にもチューリップの球根のための常設市場ができました。
チューリップの取引は球根の売買という形態で主として冬に行われていました。一般的には、取引を行いたいものが球根に花の標本を付けて、業者仲間の出入りする宿屋や酒場に持ち込みます。たとえば、そこで、以前に500ギルダーで買った「トロンプ将軍」という品種の球根に差額として現金200ギルダーを加え、「ボル将軍」という品種の球根と交換したりするわけです。
取引所のないちいさな町では、大きな居酒屋に何百人もの人々が集まって取引しました。食卓やサイドボードの上など、あちこちに飾られた色とりどりの満開のチューリップが雰囲気を盛り上げたため、それはさながら大晩餐会のようでした。
また、何か月も先の翌春に現物を引き渡す先物取引も導入されていました。ほとんどの人々は現物を将来引き取るためではなく、それを期限までに転売して利ザヤを稼ぐことだけを考えていたため、投機性は強まっていきました。当時のオランダでは、このような売買行為は「ヴィトハンデル」と呼ばれていました。これは、空気取引、今日でいう「空商い」のことです。
こうしたチューリップ取引には、最初から問題が絶えませんでした。売買契約の履行を保証する会員業者制度はありませんでしたし、先物取引の現物受け渡しのときの球根がはたして契約通りの品種であるのかどうかは、花が咲くまでわからなかったからです。こうした事態に対処するために、新たな法律が制定され、チューリップ関係専門の公証人制度が設立され、また、取引が許される地域も指定されました。バブルが膨らむにつれ、制度のほうもそれなりに整備されていきました。

加熱するチューリップ狂

ドイツでは30年戦争が続いていた1630年代の半ばになると、貴族だけでなく、市民、農民、職人、水夫、従僕、召使、さらに煙突掃除人や古着屋のおばさんといった一般大衆までもが市場に参加するようになり、投機熱は一気に高まりました。・・・・(続く)


ママ
なんか今も昔も、バブルの時は同じなのね。
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9.11について <貨幣という謎> 西部忠(にしべまこと)著 その3

2018年01月10日 | 日記
とあるスナックで

小林
またまた続きを読んでいきましょう。 P-160

バブルとはいったいなんでしょうか。
それを投機や博打といったリスクの高い営みに関わる特殊な輩の貪欲さが引き起こした「身から出た錆」として片づけることはできません。むしろ、貨幣経済においては、けっしてそれほど特異な現象ではありません。ごく普通の人間が日常的に経験している「観念」によって生じる集団現象として理解すべきなのです。
そう、バブルは、貨幣のところで見た「観念の自己実現」と同じような現象としてとらえることが必要なのです。第二章で述べたように、市場を作る貨幣自体が「観念の自己実現」で成り立っているのだとすれば、その市場が生み出すバブルも、実は似たような原理、集団心理のメカニズムから説明できるのです。
北米のネイティブ・アメリカンのクアキトル族、トリンギット族、ハイダ族などでかつて行われた「ポトラッチ」と呼ばれる儀礼的な贈与交換があります。そこでは、貴重な財をできだけ気前よく仲間に与えあい、自分の宝物を破壊してしまうことすらあります。そのとき、人々は熱狂し、ほとんど狂乱状態に陥ったといいます。
バブルはかなり発達した市場経済の中でしか発生しません。しかし、参加者の間で株や土地などの資産が人から人へと持ち手を変えながら価値が高騰していくプロセスでバブルが発生し、その崩壊がいつも価値の破壊を伴うクライッマクスを迎えるという点で、それはポトラッチ交換ににています。
ポトラッチはある種の集団催眠ともいえるのですが、その根底には、人と人とのコミュニケーションにおける同調作用があるようです。おそらく
バブルにも同じような人間心理のメカニズムが働いているはずです。

人間の利己的欲望と同調願望が生み出すバブル

ところで、英語の「バブル」(bubble)とは、日本語で「泡」のこと。洗剤を付けたストローで少しずつ息を吹き込みふくらませてやると、ふわふわと飛んでいく、誰もが子供の頃に遊んだあのシャボン玉を想像すればいいでしょう。それは非常に薄い洗剤の膜に覆われた空気の玉ですから、永遠に存在しうるような代物ではありません。遅かれ早かれ「屋根まで飛んでこわれて消える」運命にあるわけです。
バブルとは、株や土地など資産の価値がなんら経済的裏づけがないまま異常に上昇し続ける事態を指しています。しかし、ただ単に、資産価格が全般的に上昇するだけではバブルとはいえません。バブルの特徴は、経済の実体的な価値から離れて、資産価格がどんどん上昇していく点にあります。かといって、どの程度の値上がりが「異常」であり、「実体的な価値」とはどのくらいなのかが誰にもわからないというのも、バブルのもう一つの特徴です。

バブルをもう少し厳密に定義しようとするならば、実物的な観点から資産価格の理論値を計算し、それと現実の価格との乖離をバブルとする必要があります。
たとえば、株には配当、不動産には地代や賃貸料、債券には利子といった収入(インカムゲイン)が付きますが、将来にわたっての予想される各期の収益(収益-費用)を長期利子率等で割り引いて現時点での価値に換算したものは「現在価値」と呼ばれます。一般に、資産価格の実体的な理論値とは、このことを意味します。しかしそうはいっても、仮想的な価格であり、現実の価格ではないのですから、人々が実感できるわけではありません。どんどん値上がりしているときに、いくらこれが理論値だといっても、ほとんど誰も耳を貸さないのが普通でしょう。

バブルが膨らむプロセスでは、ちょうど「平成バブル」のときのように、市場参加者みんなが豊かになったような錯覚を覚えるものです。だが実際には、バブルはみんなで豊かになろうという協調的な考えに基づいて生じるわけではありません。むしろ、そこには、自分だけが他の人々を出し抜いて手っ取り早く儲けたい、あるいは、どんどん値上がりするからその好機を逃したくないし、自分だけトレンドに乗り遅れて損をしたくないという、人間の利己的欲望と同調願望がない交ぜになった混合物があるばかりです。

しかも、それが破裂するプロセスでは、最終的に市場でうまく売り抜けた者だけが儲けることができるというのが過酷な現実です。失敗した個人や企業は自己破産したり、倒産したりします。バブルが膨らみ弾けるときには、誰かが儲かれば、その裏で必ず他の誰かが損をしており、その損得の合計はゼロかマイナスになっているのです。

ゼロサムかマイナスサムこそ、バブルに特有な現象なのです。(続く)


コー
これじゃ、ギャンブルと同じだな。そうバブルじゃなくたっていつでも金融市場はギャンブルと同じではないんだろうか。競馬もパチンコもそのほかのギャンブルもみなゼロサムゲームだからね。

例えば競馬。1レースから12レースが終わって、その日儲かった人の合計金額とその日の総売り上げの25%とを足したものは、いつもその日、損をした人の合計金額と一緒だと思う。

いいかえれば、まず売り上げの25%を主催者の中央競馬が経費として引く。その経費の中には競馬場やウィンズで働いている人の人件費、電気代、水道代、そして馬主や騎手に払われる賞金、そして施設の建設費、などもろもろが含まれるんだろう。そして忘れていけないのが、政府に流れるお金。いくらの率で政府に流れているんだろう。
そして売り上げの75%を当てた人の配当として払う。


同じことを宝クジで考えてみたい。たとえば1万円宝クジを買って、100円当たったとしよう。損は9900円。
べつのひとは、たとえば1万円買って1億円当たったとしよう。その人の利益金は9999万円。
だから、利益になった人の合計金額と経費を足したものは、損をした人の損の合計金額になるということだと思う。

ゼロサムゲームとは結局、負けた人のサイフから勝った人のサイフにお金が移動したということだと思う。
だから勝った人がいるということは、結局負けた人がいるということだ。マイナスになる人間が必ずいるということだ。全員がウイン・ウインなることはないという事だ。

金融市場とはそういうところだという事だ。

株でも、為替でも、そして暗号通貨でも。

そしてここでも確実にもうかるのは、胴元だ。ある程度の売り上げがあれば確実に胴元は毎回毎回、儲かる。

それがギャンブル。
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