9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について <貨幣という謎>西部忠(にしべまこと)著 その6

2018年01月12日 | 日記
とあるスナックで
小林
バブルの話の続きを読んでいきましょう。 P-173


お祭り騒ぎの最高潮が終わりの始まり

このお祭り騒ぎのような投機熱が最高潮に達したとき、その終わりもやってきます。
1636年になって、一部の人びとが売り始めたのをきっかけに、売りが売りを呼ぶパニックが発生しました。価格はたちまち奈落のそこに落ちていくように暴落を続け、屋敷や土地を担保に借金をしていた人々、あるいは球根を担保に借金をしていた人びとは破産に追い込まれました。こうして、当時、世界の商業的中心地であったオランダの経済は深刻な打撃をうけることとなりました。
興味深いのは、このチューリップ狂がオランダの繁栄機期に起こっているということです。この後、オランダは、1652年から英蘭戦争で海上権と植民地を英国と争いましたが、結局、イギリス優勢のまま講和しました。オランダの軍事的覇権と経済的繁栄の衰退がここから始まったのです。

1929年のニューヨーク株式市場の大暴落も第一次大戦で世界最大の債権国になったアメリカ経済の繁栄の絶頂期に起こっています。思えば、「平成バブル」の崩壊の始まりを告げた、1990年の東京株式市場における大暴落も、1955年から約35年続いた日本経済の長期的繁栄期の頂点だったと言えるでしょう。当時、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ、カンバン方式、QCといった日本企業の集団主義、現場主義を世界中の国が評価していた時代でした。日本が最大の債権国であったというのもアメリカと同じです。驕れる者は久しからず、これはいつの世も変わらぬ理(ことわり)のようです。

オランダでは、このチューリップ狂の100年後に、「夢よ再び」とばかりにヒヤシンス狂が起こりました。チューリップ球根に続く二番煎じの投機の対象としてなぜヒアシンスの球根が選ばれたのか定かではありませんが、この時オランダはすでに下り坂であったため、バブルの大きさも前回ほどではありませんでした。
また、ヒアシンス狂では、前回のチューリップ狂事件の記憶がまだ新しく、さまざまな警告が出されていました。にもかかわらず、同じ投機熱が再発したわけです。
その後、歴史上何度もバブルが繰り返されてきたのを知っている私たちからすれば、これはなんだか「世代が変われば人は同じ過ちを繰り返す」という真理を見事に証明しているように思います。
チューリップバブルから400年近くたった今の時代にもバブルがなくならないのは、人間が昔からそれほど変わっておらず、人間が歴史から学ぶことは難しいからなのでしょう。・・・・(続く)


コー
ところで山田さんは、暗号通貨にバブルは来ると思いますか?


山田
僕は来ると思いますね。ただその波は、ブロックチェーン革命という大きな波の一部でしかないと思いますが。

暗号通貨って、まだ全部はわからないんですが、まるで株の「仕手株」みたいなもんですね。ある株を大量に持っているものが、この株はこれからどんどん値が上がりますよって、盛んに宣伝するわけですよ、ネットや雑誌で。そうすると一般の人がだんだん興味を持って買ってくるわけですよ。はじめのうちはたしかに二倍三倍になって儲かるんです。そのうちその噂を聞きつけた人たちが、株を買ってくるわけです。そしてぐーんと高くなったところで、売り抜けるわけです。高値掴みをしていた一般の人たちは、大損ですね。元の値段に戻って、二度と値が上がりません。本当はもっと複雑なんですが、大筋はそんなもんです。これと似ていますね暗号通貨は。だからそれを知って参加しなければならないんだと思います。暗号通貨って、誰でも作れるんですよ、もちろんプログラムをつくる技術が必要ですけど。これが儲かるんだとなれば毎日のように暗号通貨が新しくできてくるんじゃないんでしょうか。
そうすると、当然人を騙すための暗号通貨もでてくるんでしょう。詐欺のための暗号通貨ですね。いっぱい出来てくると思いますね。
そして、無数にある暗号通貨でどれが本当にいいのか、選ぶ時期が来るんでしょう。その頃には暗号通貨の価格は落ち着くんではないんですか。ま、単なる、感ですけど。


小林
ところでこの本の続きに、詐欺の話も書かれていますね。<ローの錬金術>という話ですね。
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9.11について <貨幣という謎> 西部忠(にしべまこと)著 その5

2018年01月11日 | 日記
とあるスナックで

小林
ではまたまた続きを読んでいきましょう。 P-171


・・・、投機熱は一気に高まりました。一般大衆の参加がバブルの条件であるというのは、今も昔も変わりません。日本の平成バブルも、アメリカの
サブプライムローン・バブルも、投資家や企業だけでなくて、一般大衆が自分の稼ぎから考えると分不相応なお金を投資につぎ込むのは、だいたいバブルが弾ける直前なのです。

グローバル化した現代では、バブルの匂いを嗅いだ外国人投資家たちも、いまこそ稼ぎ時とこぞって参入してきますが、チューリップバブルも多数の外国人がこの投機に加わり、オランダに資金が流入してきたため、日常品や土地、建物、馬と馬車、その他のあらゆる奢侈品の価格も次第に上昇していきました。こうして、物価の急速な上昇が起こっていきます。

球根の価格は際限なく値上がりし続け、この相場に人びとが付いていくために家屋敷を担保にした借金で買いに回り、それが相場をさらに引き上げました。ちなみに、1636年には、球根1個は、馬と馬具をすべて備えた二頭立ての新品の馬車一台と交換されるまでになっていました。当時の馬付き馬車一台が、どの程度の価値を持っていたかは定かではありませんが、現代の高級乗用車以上に高価な品物であったことは間違いないでしょう。まさにバブルの膨張です。
「バイスロイ」という球根一個を手に入れるためには、牡牛四頭、豚八頭、羊十二頭、ライ麦四車、小麦二車、ワイン二樽、ビール四樽、バター二樽、チーズ五百キロ、家庭用品一式が必要でした。いったい、現在の貨幣価値でどのくらいになるか見当が付きません。
また、ある水夫が、たまねぎだと思って間違えて食べてしまった船荷の中にあった「センバー・アウグストゥス」という球根の値段は、バイスロイ種の約二倍の現金に加え、馬付き馬車一台の値が付いたというから驚きです。

さらに、当時の熱狂ぶりを伝えるこんなエピソードもあります。ハーグ市にすむ靴屋は自宅のチューリップ園で、品種改良の苦労を重ねた結果、ついに黒いチューリップを咲かせることに成功しました。この話をどこかから聞き付けたハーレム市の栽培業者がこの靴屋を訪ね、この球根を買取りたいと申し出ました。この靴屋は一五〇ギルダーという高い値で売ることができたのですが、売れてホクホク顔の靴屋の目の前で、この業者は、いま買い取ったばかりの球根を地面に投げつけ、踏み潰してしまいました。
子供のように大切にしてきた球根をグシャグシャにされて茫然自失の靴屋に対して、この栽培業者は平然とその理由を述べたのです。実は自分も黒いチューリップの球根を一つ持っているので、その希少性を守るためにその球根を処分してしまわなければならなかったのだ、と。その球根が何倍、いや何十倍もの価格で売れたに違いないことを知ったこの靴屋はショックで死んでしまったというから、情けなくなります。

お祭り騒ぎの最高潮が終わりの始まり

このお祭り騒ぎのような投機熱が最高潮に達っしたとき、その終わりもやってきます。・・・(続く)
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9.11について <貨幣という謎> その4

2018年01月10日 | 日記
とあるスナックで
小林
それではまたまた続きを読んでいきましょう。過去のバブルのことが書かれていますよ。 P-167

2 歴史上の様々なバブル

チューリップバブル

人類はこれまで幾度もバブルを経験してきた。私たちも、日本の平成バブルやアメリカのITバブル、最も最近ではサブプライムローンによるバブルを経験しています。大衆の投機によって、ある商品の価格が高騰・暴落する例は、非常に古くから見られます。
フランスでは、9つもの教会が「キリストの包皮」といわれる得体の知れない代物を手に入れるために競って大金を注ぎ込んだといわれています。また、ユニコーンと呼ばれ伝説の聖なる動物と言われたイッカクの角は、それで作った杯が毒を中和すると信じられていたため、毒殺を恐れる各国の王室がそれに巨額を投じたともいわれています。
まず、今日まで完全に記録が残されている最古の事例を見てみましょう。これは、いまから400年近く前、オランダで実際にあった話です。それは、光り輝く黄金でも不動産でも株式でもない、どこにでも転がっていそうな植物の球根の話です。それはチューリップの球根です。お金のためならば、球根というものに熱狂してしまうのが私たち人間なのです。
チューリップは、地中海の東部以東に原生するユリ科の植物で、その亜種は約160にものぼります。その語源はトルコ語でターバンを意味する「テリュバン」からきているようです。それが、西洋に初めて輸入されたのは16世紀のこと。16世紀半ばにトルコを訪れた旅行者が、チューリップの美しさに惹かれウィーンへ持ち帰ったところ、たちまち評判となり、2,3年のうちにドイツ、ベルギー、オランダへ伝わりました。トルコからオランダに初めて輸入されたのは1554年です。
1593年にフランスのクルシウスがライデン大学でチューリップの美しい花の栽培に成功して以来、その異国情緒あふれる美しい花は高い評価を受け、チューリップ栽培が王室や華族の間で名誉なこととされるようになったのです。
チューリップ栽培では、ごくまれに突然変異によって新種を生み出すことがあります。栽培家は、珍種という幸運がいつやってくるかを期待して栽培園を歩き回っていました。というのも、珍種の花がいままでにない美しいものであれば、その球根を増やし、高値で売りさばくことができるからなのです。特に美しいチューリップの花がことさらに珍重されたため、希少な品種の球根が、投機の対象となっていきました。

なぜチューリップが?

チューリップは、17世紀の初頭にまずフランスで、ついでオランダで大流行しました。アムステルダムではすでに株式市場が開設されていましたが、そこにこの球根も上場されたのです。ロッテルダムやライデン、その他の都市にもチューリップの球根のための常設市場ができました。
チューリップの取引は球根の売買という形態で主として冬に行われていました。一般的には、取引を行いたいものが球根に花の標本を付けて、業者仲間の出入りする宿屋や酒場に持ち込みます。たとえば、そこで、以前に500ギルダーで買った「トロンプ将軍」という品種の球根に差額として現金200ギルダーを加え、「ボル将軍」という品種の球根と交換したりするわけです。
取引所のないちいさな町では、大きな居酒屋に何百人もの人々が集まって取引しました。食卓やサイドボードの上など、あちこちに飾られた色とりどりの満開のチューリップが雰囲気を盛り上げたため、それはさながら大晩餐会のようでした。
また、何か月も先の翌春に現物を引き渡す先物取引も導入されていました。ほとんどの人々は現物を将来引き取るためではなく、それを期限までに転売して利ザヤを稼ぐことだけを考えていたため、投機性は強まっていきました。当時のオランダでは、このような売買行為は「ヴィトハンデル」と呼ばれていました。これは、空気取引、今日でいう「空商い」のことです。
こうしたチューリップ取引には、最初から問題が絶えませんでした。売買契約の履行を保証する会員業者制度はありませんでしたし、先物取引の現物受け渡しのときの球根がはたして契約通りの品種であるのかどうかは、花が咲くまでわからなかったからです。こうした事態に対処するために、新たな法律が制定され、チューリップ関係専門の公証人制度が設立され、また、取引が許される地域も指定されました。バブルが膨らむにつれ、制度のほうもそれなりに整備されていきました。

加熱するチューリップ狂

ドイツでは30年戦争が続いていた1630年代の半ばになると、貴族だけでなく、市民、農民、職人、水夫、従僕、召使、さらに煙突掃除人や古着屋のおばさんといった一般大衆までもが市場に参加するようになり、投機熱は一気に高まりました。・・・・(続く)


ママ
なんか今も昔も、バブルの時は同じなのね。
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9.11について <貨幣という謎> 西部忠(にしべまこと)著 その3

2018年01月10日 | 日記
とあるスナックで

小林
またまた続きを読んでいきましょう。 P-160

バブルとはいったいなんでしょうか。
それを投機や博打といったリスクの高い営みに関わる特殊な輩の貪欲さが引き起こした「身から出た錆」として片づけることはできません。むしろ、貨幣経済においては、けっしてそれほど特異な現象ではありません。ごく普通の人間が日常的に経験している「観念」によって生じる集団現象として理解すべきなのです。
そう、バブルは、貨幣のところで見た「観念の自己実現」と同じような現象としてとらえることが必要なのです。第二章で述べたように、市場を作る貨幣自体が「観念の自己実現」で成り立っているのだとすれば、その市場が生み出すバブルも、実は似たような原理、集団心理のメカニズムから説明できるのです。
北米のネイティブ・アメリカンのクアキトル族、トリンギット族、ハイダ族などでかつて行われた「ポトラッチ」と呼ばれる儀礼的な贈与交換があります。そこでは、貴重な財をできだけ気前よく仲間に与えあい、自分の宝物を破壊してしまうことすらあります。そのとき、人々は熱狂し、ほとんど狂乱状態に陥ったといいます。
バブルはかなり発達した市場経済の中でしか発生しません。しかし、参加者の間で株や土地などの資産が人から人へと持ち手を変えながら価値が高騰していくプロセスでバブルが発生し、その崩壊がいつも価値の破壊を伴うクライッマクスを迎えるという点で、それはポトラッチ交換ににています。
ポトラッチはある種の集団催眠ともいえるのですが、その根底には、人と人とのコミュニケーションにおける同調作用があるようです。おそらく
バブルにも同じような人間心理のメカニズムが働いているはずです。

人間の利己的欲望と同調願望が生み出すバブル

ところで、英語の「バブル」(bubble)とは、日本語で「泡」のこと。洗剤を付けたストローで少しずつ息を吹き込みふくらませてやると、ふわふわと飛んでいく、誰もが子供の頃に遊んだあのシャボン玉を想像すればいいでしょう。それは非常に薄い洗剤の膜に覆われた空気の玉ですから、永遠に存在しうるような代物ではありません。遅かれ早かれ「屋根まで飛んでこわれて消える」運命にあるわけです。
バブルとは、株や土地など資産の価値がなんら経済的裏づけがないまま異常に上昇し続ける事態を指しています。しかし、ただ単に、資産価格が全般的に上昇するだけではバブルとはいえません。バブルの特徴は、経済の実体的な価値から離れて、資産価格がどんどん上昇していく点にあります。かといって、どの程度の値上がりが「異常」であり、「実体的な価値」とはどのくらいなのかが誰にもわからないというのも、バブルのもう一つの特徴です。

バブルをもう少し厳密に定義しようとするならば、実物的な観点から資産価格の理論値を計算し、それと現実の価格との乖離をバブルとする必要があります。
たとえば、株には配当、不動産には地代や賃貸料、債券には利子といった収入(インカムゲイン)が付きますが、将来にわたっての予想される各期の収益(収益-費用)を長期利子率等で割り引いて現時点での価値に換算したものは「現在価値」と呼ばれます。一般に、資産価格の実体的な理論値とは、このことを意味します。しかしそうはいっても、仮想的な価格であり、現実の価格ではないのですから、人々が実感できるわけではありません。どんどん値上がりしているときに、いくらこれが理論値だといっても、ほとんど誰も耳を貸さないのが普通でしょう。

バブルが膨らむプロセスでは、ちょうど「平成バブル」のときのように、市場参加者みんなが豊かになったような錯覚を覚えるものです。だが実際には、バブルはみんなで豊かになろうという協調的な考えに基づいて生じるわけではありません。むしろ、そこには、自分だけが他の人々を出し抜いて手っ取り早く儲けたい、あるいは、どんどん値上がりするからその好機を逃したくないし、自分だけトレンドに乗り遅れて損をしたくないという、人間の利己的欲望と同調願望がない交ぜになった混合物があるばかりです。

しかも、それが破裂するプロセスでは、最終的に市場でうまく売り抜けた者だけが儲けることができるというのが過酷な現実です。失敗した個人や企業は自己破産したり、倒産したりします。バブルが膨らみ弾けるときには、誰かが儲かれば、その裏で必ず他の誰かが損をしており、その損得の合計はゼロかマイナスになっているのです。

ゼロサムかマイナスサムこそ、バブルに特有な現象なのです。(続く)


コー
これじゃ、ギャンブルと同じだな。そうバブルじゃなくたっていつでも金融市場はギャンブルと同じではないんだろうか。競馬もパチンコもそのほかのギャンブルもみなゼロサムゲームだからね。

例えば競馬。1レースから12レースが終わって、その日儲かった人の合計金額とその日の総売り上げの25%とを足したものは、いつもその日、損をした人の合計金額と一緒だと思う。

いいかえれば、まず売り上げの25%を主催者の中央競馬が経費として引く。その経費の中には競馬場やウィンズで働いている人の人件費、電気代、水道代、そして馬主や騎手に払われる賞金、そして施設の建設費、などもろもろが含まれるんだろう。そして忘れていけないのが、政府に流れるお金。いくらの率で政府に流れているんだろう。
そして売り上げの75%を当てた人の配当として払う。


同じことを宝クジで考えてみたい。たとえば1万円宝クジを買って、100円当たったとしよう。損は9900円。
べつのひとは、たとえば1万円買って1億円当たったとしよう。その人の利益金は9999万円。
だから、利益になった人の合計金額と経費を足したものは、損をした人の損の合計金額になるということだと思う。

ゼロサムゲームとは結局、負けた人のサイフから勝った人のサイフにお金が移動したということだと思う。
だから勝った人がいるということは、結局負けた人がいるということだ。マイナスになる人間が必ずいるということだ。全員がウイン・ウインなることはないという事だ。

金融市場とはそういうところだという事だ。

株でも、為替でも、そして暗号通貨でも。

そしてここでも確実にもうかるのは、胴元だ。ある程度の売り上げがあれば確実に胴元は毎回毎回、儲かる。

それがギャンブル。
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9.11について <貨幣という謎> 西部忠(にしべまこと)著 その2

2018年01月09日 | 日記
とあるスナックで

小林
それでは続きを読んでいきましょう。 P-158


一般に、「平成バブル」は、1985年9月のプラザ合意による急速な円高(1ドル=242円から125円)に対応するための、日銀の低金利政策によってスタートしたと言われています。日銀は円高対策として、史上最低の公定歩合2.5%を87年2月から89年5月まで維持します。この日銀の金融政策によって、投機や財テクに対する企業や家計の関心が高まり、また戦後日本を支配していた「土地神話(地価は右肩上がりで、下がらない)にも支えられ、株や地価が急騰していきます。銀行も土地を担保に融資を拡大、株や土地を購入した企業や人は地価高騰の含み益による安心感からさらに土地や株への投機熱を高めていきます。

こうして、株価は1989年12月29日の日経平均で史上最高値の3万8957円44銭、地価は東京の山手線内の地下合計額でアメリカ全土を買うことができるほど高騰します。ロールスロイルなどの超高級車やブランド品が飛ぶように売れ、ゴッホやルノワールなどの名画を日本人がオークションで買いあさった事なども話題になりました。

しかし、いつの世もそうですが、バブルの崩壊は突如やってきます。1990年1月以降、東証の株価は暴落。また、あまりにも急激な地価高騰に危機感をもった政府は土地融資に関する規制を強化、日銀も公定歩合を6.5%にまで段階的に引き上げていきます。株価は、1992年の春にピーク時の半分の2万円に割り込み、その後も下落を続けていきました。

バブル崩壊によって、約1300兆円(コー注:今の税収で一体何年分にあたるんだろう。とんでもない金額だ。)といわれる膨大な資産評価損が生じ、銀行は大量の不良債権を抱えます。銀行の貸し渋りによる企業の倒産が続出し、失業者は増大、物価も下落するという「デフレスパイラル」状況に日本は突入することになります。1990年以降は、日本はほぼゼロないしマイナス成長を続けました。

以上が「平成バブル」の教科書的な説明です。
ですが、これでは、人びとがなぜ土地や株に熱狂したかについての外的条件の説明にはなっていても、なぜこれほどまでに当時の人びとが常軌を逸した行動(と、現在の私たちには思えてきます)をとったのか、その根本的な要因については、なんの説明も与えてくれません。

バブルとはなにか?

バブルとはいったいなんでしょうか。・・・・・。(続く)


コー
ここで割り込んで悪いんだけど、おもしろい動画がまたあったんだ。2008年のリーマンショックで国の金融システムが破綻したアイスランド(コー注:アイルランドではない)の人たちの動画なんだ。本当に無血革命と言っていいと思う。大声を出したり、殴り合ったりでなく、粘り強く話し合うという大切さ、なかなかできないね。動画の42分ごろに出てくる人の話を聞くと、今の金融制度(借金・債務貨幣制度)にはっきり反対の意見だと思う。今の(借金・債務貨幣制度)はどういうものかを理解しているんだと思う。そしてIMFや世界銀行というのは、こういう時、(ある国が財政的に破綻したとき)どういう政策を押し付けてくるかということだ。アジア通貨危機のときもそうだった。(コー注:ナオミ・クラインのショックドクトリンを思いだす)

アイスランドの人たちはこの時、IMFや他のヨーロッパの人たちのいわゆる救済策に対して、NOとはっきり言ったたんだと思う。

それは本当の救済策ではないと。それはアイスランドの豊かな資産を奪うものだとわかったんだと思う。

政治のことを人任せにする日本人にはできないな。

すぐ意見が別れてバラバラになる日本人にはできないな。

なんか知性が高い国民という気がするな。

意見の違いがあるのは当たり前なのだということを前提にして活動してるみたいだ。

そこからなんとかして前進しようとしているようだ。単に多数決で決めるのではなく。


なんとかこのまま頑張ってもらいたいな。第2、第3のアイスランドが出てくると思う。

世界中で、今の<債務・借金貨幣制度>をなんとか変えようという動きが出てくると思う。だれだって、家畜や奴隷ではイヤだよ。
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