今日もまた、19世紀調べものに付随した余談と
モンブラン伯探求に関するお願いです。
先頃、おとぎ話を映像で見たくなって、DVDをさがして見ました。
おとぎ話って、シンデレラや白雪姫、なんですけどね。
シンデレラは、『エバー・アフター』が、けっこうよくできています。
ルネサンスのフランスに舞台を設定して、実録を装いつつ、笑えますし、適度にリアリティを出しながら、綺麗に仕上げてます。いや、フランス王が英語でイギリス王(おそらくヘンリー8世)の悪口を言いつつ、息子(王子)を「ヘンリー」と呼ぶのには、ちょっと違和感がありましたが。いや、フランスの王子ならば「アンリ」というのは、固定観念になってますので。
白雪姫、スノーホワイトの方は、二つ買ってみたんですが、一つはデズニーランド風のお話にならない安っぽい映像で、もう一つは、きっちり中世風にしてあるため、あまりにも映像が暗すぎて、華やかさに欠けました。
いえね、おとぎ話の舞台って、普通、どこらあたりの時代をイメージするものなんでしょうか。
シンデレラの絵本の挿絵などは、ルイ王朝風、バロックからロココあたりが多いと思いますし、それが一番、絢爛豪華ではありますね。
絵本の出版が盛んになったのは、19世紀半ばくらいからじゃないかと思うのですが、この時期、建築はネオ・バロック、ドレスもパニエでスカートを大きくふくらませた王朝風に回帰しますので、ここらあたりからも、おとぎ話の挿絵がバロックからロココ、となったのは、頷けます。
ただ、19世紀という時代は、昨日の舞踏のサイトにもありましたように、王侯貴族の文化は過去のものとなろうとしていて、はっきりと近代が顔を出しているんです。
服装でいうならば、女性のドレスはきらびやかに過去をなぞるのですが、男性の場合は、王朝風のレースやら刺繍やら宝石は排除されたままで、軍服をのぞけば、色も白黒灰色といった、無彩色が主流です。
舞踏会もまたそうでして、男女が抱き合った形で踊るの円舞曲(ワルツ)は、王朝文化から見るならば、近代的で野卑なものであったわけなのですが、イメージからするならば、シンデレラが王子さまと踊るのはワルツですね。結局のところ、「玉の輿」は身分制度が崩れてこそ成り立ちますので、ここは『山猫』のように、ワルツでいいんでしょう。
そういえば、昨日のサイトを見ていて、いつか、どこかで読んだ場面を思い出しました。
老夫婦が、貧相な屋根裏部屋で、時代遅れの王朝風の鬘をかぶってメヌエットを踊り、それを月が影絵として映し出す、といった情景だったと記憶しているんですが、なにに書かれていたのか思い出せなくて、しばらく考えあぐねて、ふと、あれはアンデルセンの『絵のない絵本』ではなかったかと思ったのですが、記憶ちがいでしょうか。
えーと、それでシャルル・ド・モンブラン伯爵です。
幕末以来、モンブラン伯は、「大山師、偽伯爵」と語られることが多かったようなのですが、「偽伯爵」であることを否定したのが、昭和42年発行、高橋邦太郎著「チョンマゲ大使海を行く」でした。高橋邦太郎氏は、フランス文学者です。
五代友厚の日記から、モンブラン伯の居城が、ベルギーのインゲルムンステル城であることがわかるのですが、高橋邦太郎氏は、実際にインゲルムンステル城に行き、モンブラン伯家の子孫に会われたようなのです。『妖人白山伯』の著者、鹿島茂氏も城を訪れられたようですが、ご子孫がいたかどうかは、ちょっとわかりません。1986年にインゲルムンステル城はモンブラン伯家の手を放れているらしいのです。
なぜそんなことがわかったかというと、インターネットって、つくづく便利ですね。
最初、カタカナでインゲルムンステルといれ、ぐぐってみましたところが、出てくるのはベルギービール販売のページばかり。なんと、インゲルムンステル城は、ビール会社のものになっていたんです。で、今度は原語の綴りでぐぐってみました。
http://users.pandora.be/enchantingcastles/ingelmunster.html
上は幸いにも英語だったので、あらましは理解できました。
ただ、16世紀にインゲルムンステル男爵領を創設し、1825年までの主だったドイツ人貴族、de familie Plothoの「Plotho」って、どうカタカナ表記すればいいのでしょうか。
それと、下のサイトはフランス語なんでしょうか。読めません。まあ、これはビールの話が多くて、あまり役立ちそうではないですけど。
http://xxr.xs4all.nl/kasteelbier/kasteelvaningelmunster.htm
問題は、以下のサイトです。これ、ドイツ語じゃないんでしょうか? それともオランダ語とか。
http://home.scarlet.be/~priemjur/
「CHARLES FERDINAND DE MONTBLANC EN JAPAN, 1860-1870」なんて記述も出てきますし、詳しそうなので、多いに関係ありなんですが、なんだかさっぱりわかりません。
以上、おわかりになる方がおられましたら、どうぞ、ご教授のほどを。
なにが知りたいって、鹿島茂氏は、「モンブラン伯は1858年にフランスの全権公使とともに来日した後、1861年に父親が死んだので相続のためベルギーへ帰国。文久年間に再び来日」としているのですが、これって、資料があることなのか、どうなのか、なんです。鹿島氏が資料なしに書くかな、とちょっと不安でして。
後は、シャルル・ド・モンブラン伯の家族関係。父母、姉妹、兄弟のことと、妻子がいたかどうかなんですが、どうぞ、よろしくお願いします。
あー、インゲルムンステル城は、18世紀に建て直されたバロック様式のものだったようですね。2001年に焼けたって……、モンブラン伯が薩摩で写した写真とかも、焼けちゃったんでしょうか。もしそうだとすれば、残念なことです。
モンブラン伯探求に関するお願いです。
先頃、おとぎ話を映像で見たくなって、DVDをさがして見ました。
おとぎ話って、シンデレラや白雪姫、なんですけどね。
シンデレラは、『エバー・アフター』が、けっこうよくできています。
ルネサンスのフランスに舞台を設定して、実録を装いつつ、笑えますし、適度にリアリティを出しながら、綺麗に仕上げてます。いや、フランス王が英語でイギリス王(おそらくヘンリー8世)の悪口を言いつつ、息子(王子)を「ヘンリー」と呼ぶのには、ちょっと違和感がありましたが。いや、フランスの王子ならば「アンリ」というのは、固定観念になってますので。
白雪姫、スノーホワイトの方は、二つ買ってみたんですが、一つはデズニーランド風のお話にならない安っぽい映像で、もう一つは、きっちり中世風にしてあるため、あまりにも映像が暗すぎて、華やかさに欠けました。
いえね、おとぎ話の舞台って、普通、どこらあたりの時代をイメージするものなんでしょうか。
シンデレラの絵本の挿絵などは、ルイ王朝風、バロックからロココあたりが多いと思いますし、それが一番、絢爛豪華ではありますね。
絵本の出版が盛んになったのは、19世紀半ばくらいからじゃないかと思うのですが、この時期、建築はネオ・バロック、ドレスもパニエでスカートを大きくふくらませた王朝風に回帰しますので、ここらあたりからも、おとぎ話の挿絵がバロックからロココ、となったのは、頷けます。
ただ、19世紀という時代は、昨日の舞踏のサイトにもありましたように、王侯貴族の文化は過去のものとなろうとしていて、はっきりと近代が顔を出しているんです。
服装でいうならば、女性のドレスはきらびやかに過去をなぞるのですが、男性の場合は、王朝風のレースやら刺繍やら宝石は排除されたままで、軍服をのぞけば、色も白黒灰色といった、無彩色が主流です。
舞踏会もまたそうでして、男女が抱き合った形で踊るの円舞曲(ワルツ)は、王朝文化から見るならば、近代的で野卑なものであったわけなのですが、イメージからするならば、シンデレラが王子さまと踊るのはワルツですね。結局のところ、「玉の輿」は身分制度が崩れてこそ成り立ちますので、ここは『山猫』のように、ワルツでいいんでしょう。
そういえば、昨日のサイトを見ていて、いつか、どこかで読んだ場面を思い出しました。
老夫婦が、貧相な屋根裏部屋で、時代遅れの王朝風の鬘をかぶってメヌエットを踊り、それを月が影絵として映し出す、といった情景だったと記憶しているんですが、なにに書かれていたのか思い出せなくて、しばらく考えあぐねて、ふと、あれはアンデルセンの『絵のない絵本』ではなかったかと思ったのですが、記憶ちがいでしょうか。
えーと、それでシャルル・ド・モンブラン伯爵です。
幕末以来、モンブラン伯は、「大山師、偽伯爵」と語られることが多かったようなのですが、「偽伯爵」であることを否定したのが、昭和42年発行、高橋邦太郎著「チョンマゲ大使海を行く」でした。高橋邦太郎氏は、フランス文学者です。
五代友厚の日記から、モンブラン伯の居城が、ベルギーのインゲルムンステル城であることがわかるのですが、高橋邦太郎氏は、実際にインゲルムンステル城に行き、モンブラン伯家の子孫に会われたようなのです。『妖人白山伯』の著者、鹿島茂氏も城を訪れられたようですが、ご子孫がいたかどうかは、ちょっとわかりません。1986年にインゲルムンステル城はモンブラン伯家の手を放れているらしいのです。
なぜそんなことがわかったかというと、インターネットって、つくづく便利ですね。
最初、カタカナでインゲルムンステルといれ、ぐぐってみましたところが、出てくるのはベルギービール販売のページばかり。なんと、インゲルムンステル城は、ビール会社のものになっていたんです。で、今度は原語の綴りでぐぐってみました。
http://users.pandora.be/enchantingcastles/ingelmunster.html
上は幸いにも英語だったので、あらましは理解できました。
ただ、16世紀にインゲルムンステル男爵領を創設し、1825年までの主だったドイツ人貴族、de familie Plothoの「Plotho」って、どうカタカナ表記すればいいのでしょうか。
それと、下のサイトはフランス語なんでしょうか。読めません。まあ、これはビールの話が多くて、あまり役立ちそうではないですけど。
http://xxr.xs4all.nl/kasteelbier/kasteelvaningelmunster.htm
問題は、以下のサイトです。これ、ドイツ語じゃないんでしょうか? それともオランダ語とか。
http://home.scarlet.be/~priemjur/
「CHARLES FERDINAND DE MONTBLANC EN JAPAN, 1860-1870」なんて記述も出てきますし、詳しそうなので、多いに関係ありなんですが、なんだかさっぱりわかりません。
以上、おわかりになる方がおられましたら、どうぞ、ご教授のほどを。
なにが知りたいって、鹿島茂氏は、「モンブラン伯は1858年にフランスの全権公使とともに来日した後、1861年に父親が死んだので相続のためベルギーへ帰国。文久年間に再び来日」としているのですが、これって、資料があることなのか、どうなのか、なんです。鹿島氏が資料なしに書くかな、とちょっと不安でして。
後は、シャルル・ド・モンブラン伯の家族関係。父母、姉妹、兄弟のことと、妻子がいたかどうかなんですが、どうぞ、よろしくお願いします。
あー、インゲルムンステル城は、18世紀に建て直されたバロック様式のものだったようですね。2001年に焼けたって……、モンブラン伯が薩摩で写した写真とかも、焼けちゃったんでしょうか。もしそうだとすれば、残念なことです。