郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

上野モンマルトル

2005年11月29日 | モンブラン伯爵
野口武彦著『幕末気分』講談社文庫

今回の幕末物語の着想には、ずいぶん、野口武彦氏の著作のお世話になっています。
野口武彦氏といえば国文学者で、最初に知ったのは、三島由紀夫の評論家としてです。その後、幕末にはまって墓参りに精を出していたころ、『王道と革命の間~日本思想と孟子問題~』と『江戸の兵学思想』で、吉田松陰を取り上げていることを知り、読んでみました。これらの著書の切り口が、実にぴったりと、私が幕末によせて抱いていた問題意識に答えてくれるものだった、というんでしょうか、つぼにはまったんです。
ただ、ここらへんの著書は学問的で、とっつきが悪く、幕末好きの知り合いに勧めても読んではもらえなかったんですが、最近、週刊新潮で、幕末エッセイの連載がはじまりまして、これは実に読みやすく、おもしろく書かれていたので、ちょっと驚きました。
ちょうど、幕末物語が書けそう、と思いついていたときでしたし、アマゾンで野口氏の著書を検索してみましたら、知らない間に、ずいぶんと幕末関係の著書を出されていました。とりあえず、と買ったのが、『幕末気分』です。
これはまた、はまりました。特に、「上野モンマルトル1868 世界史から見た彰義隊」には、脱帽です。
上野彰義隊の戦いと、その二年後に起こったパリ・コミューンを、同時代の事件として活写なさっているんですね。野口氏は、最初にそれをなさっていますが、パリ・コミューンの革命幻想をとっぱらってみたら、実際、上野とモンマルトルはよく似ているんですね。
帝政末期のパリと幕末お江戸の共通項。
これに、最初に私が思いをはせたのは、前田愛著『成島柳北』を読んだときでした。成島柳北は育ちのいい幕臣ですが、幕末には、フランス顧問団の軍事伝習を受け、維新早々、フランスへ渡っているんです。これが、明治新政府の遣欧使節団と同時期でして、このときの政府側との視点のちがいには、目を見張るものがあります。
ここらあたりは、山田風太郎氏が、非常に巧みにすくって小説になさったりしています。
前回、私が幕末物語を書けなくなった理由の一つには、こうして、維新の群像を重層的に扱いつつ、なおかつ物語としておもしろく書くだけの才能がない、と覚ってしまったこともあります。
しかしまあ、なんとかなるでしょう。いえ、小説家をやっているわけではないんですから、書いている本人が楽しければ、それでいいことですわね。

で、書くための調べものは各方面にわたっています。
モンブラン伯は、幕末に五代友厚と商社契約を結ぶんですが、これは薩摩藩が破棄した、とされています。
結果的に、もちろんそうなんですが、そこらあたりの事情は、いま一つはっきりしていません。事業契約の内容に、「電信」とあったので、ひょっとすると、とぐぐってみました。ありました。

http://www.kenkenfukuyo.org/reki/ormoru/tsuushin1/tsuushin214.html

 さて、いよいよ明治元年になった。
 先に廣瀬自愨が電信架渉の許可を願い出た――と記したが、それはこの年の十月のことであった。
 また十一月にはフランス人のモンブランが「大阪~神戸間」の電信施設の許可願いを、大阪府に出している。
 さらに三菱財閥の創始者岩崎彌太郎も電信事業に大いなる野心を持っていたようで、この少し後で政府に希望を出したと言われている。
 ここにいたって明治政府としては、電信事業を民間にやらせるか、あるいは国として建設・運営するか、の岐路に立つことになる。

なるほど、と思えます。おそらく、この許可願いには、五代友厚が噛んでいるのでしょう。それをはばんだのは、五代と並ぶ薩摩の開明派だった寺島宗則(松木弘安)。
いえね、上海から長崎、そしてウラジオストックへの国際海底電信線開設も、明治維新から間もない時期なんですが、この事業は、デンマークの国策会社がやっているんですね。極東各国の折衝に活躍したのは、幕末、フランス海軍の士官として来日していたデンマーク人、エドアルド・スエンソンなんです。

エドアルド・スエンソン著『江戸幕末滞在記』講談社学術文庫

いや、いろいろと発見があって、興味はつきません。
コメント (2)
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