書こうかやめようか、相当に悩んだんです。
えーと、ですね。
桐野が主人公の映画を、けなしたくはありません。
しかも、西南戦争が起こった理由の描き方は、これまでのドラマや小説からすれば珍しいほど、私の見解と重なります。
多くの方に見てもらえたら、と………、思わないではないのです。
しかし、映画としての出来は、まったくもって、よくありません。
いえ……、もし桐野が主人公でなかったならば、きっと私は、「見る価値無し!」と、斬り捨てていたでしょう。
まあ、あれです。よく知っている内容でありますだけに、パロディとして見ることも可能ですから、楽しめなかったわけではないんですけどね。
「長州ファイブ」から「半次郎」への続き、ということになるでしょう。
行ってきたんです。東京まで、映画「半次郎」を見に。
まあ、国会図書館に行きたくもあったんですが、どちらがついでかというと、国会図書館がついでかも、です。
あー、なにがいけないって……、まず第一、榎木孝明が似合わないんです!
最初から、不安は大きかったんです。俳優さんが役に入れ込んで映画を企画すると、往々にしてろくなことにならないんです。なぜかわかりませんが。
小松帯刀が、身をやつして半次郎のふりをしている!とでもいうのでしょうか、品が良すぎて、どうにもしっくりきません。
半次郎、つまり桐野って、妙に三枚目じみたところもあるはずなんですが、えー、ほんと、榎木さんでは、なにをなさっても笑えませんし。品が良すぎる上に、真面目すぎ、とでも申しましょうか。
ごいっしょに映画を見ました大先輩・中村さま、Nezuさまとお話していまして、永山弥一郎をやったAKIRAの方が、イメージ近いかな、と。じゃあ弥一ちゃんはだれが? ということになるんですが、篠原国幹をやりました永澤俊矢がぴったりです。篠原はもう少しこう、和風のイメージでして。
シナリオについて言いますならば、幕末をはしょるしかないのはわかるんですが、はしょるならいっそ、慶応3年(1867)の暮れからやればいいのに、と思ったんですのよ。薩摩の貧乏時代にはじまり、文久2年(1862年)の上京、とずっとやるものですから、青蓮院に長州藩士がしのびこんで、半次郎が斬り殺すなんぞというわけのわからないフィクションが焦点になってみたり。
白文ならまだしも、当時は子供でも読んでいました書き下しが読めない、っていうのも、ねえ。
それに、京で長州人に共鳴し、革命を志すんですから、孔子じゃだめです。吉田松陰の講孟余話の類を、実際に目にした可能性が高いです。
あー、愛人・村田さと役の女優さん、京都弁が超下手。関東出身者とまるわかりですわ。まあ、いいんですけど。
なんか、ですね。こう、愛人二人との関係もねちねちっとした感じで、桐野らしいさわやかさに欠けます。正妻・ひささんは出てこないし。
男女関係がそうですから、肝心の男同士の情が、しみじみしません。
桐野と弥一ちゃんの友情を、もっと前面に出して欲しかった。
あと、陸軍少将時代が最低最悪、ですね。好色な鯰ひげの官吏になった、といわんばかりの描き方でして。
こう、ですね。貧乏やって芋を作っているのと同じトーンで、豪快にフランス軍服をまとい、金銀装の儀礼刀をひらめかしますのが、桐野の真骨頂ですのに。
西南戦争になって、少しほっとしたのもつかの間、なんとも軽すぎ、なんです。
まあ、金がないのは仕方ないんですが、いくらなんでも官軍、臨場感なさすぎ、です。あー、なんで自衛隊にエキストラ頼まなかったんでしょう。いえ、せめて一ヶ月……、いえせめて一週間でもいいから、エキストラ全員、自衛隊で訓練してもらうべきでした。
ただ一点、しみじみよかったのが、薩軍の少年戦士です。実にかわいい上に演技達者で、メインで描かれていた13歳の子もよかったのですが、最後に英語の本を持って死ぬ子もよかった……。
もういっそう、西南戦争少年戦士物語にすればよかったのでは? と思いましたわ。
えー、そして最大の不満は、主要人物の死に方くらいは語り伝え通りにやってくれ、です。
弥一ちゃんは、小屋に火をかけて、炎の中で死んで欲しかった。
桐野は、少年戦士を逃がし、堡塁でライフルをうちまくって、最後に抜刀して死んで欲しかった。愛人がすがりつくなんて、嘘はなしで。
NHK大河ドラマの「翔ぶが如く」は、いろいろと描き方に文句はあったんですが、この桐野の最後の場面は、実に秀逸でした。
海軍軍楽隊(薩摩バンド)が戦場で惜別の演奏をした場面は、悪くはなかったんですが、検索をかけてみましたら曲目についてはわからないみたいですし、ヘンデルの「見よ勇者は帰る」は、どーにも、表彰式のイメージが強すぎていけません。ここはもう! ぜひとも、帝国海軍軍楽隊の「告別行進曲」、つまりオールド・ラング・サインでいってもらいたかったのですが、それじゃあ、「長州ファイブ」といっしょになりますかね。
Daniel Cartier "Auld Lang Syne"
Should auld acquaintance be forgot,and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot, and auld lang syne ?
かつての薩摩バンドが薩軍に贈るに、これほどふさわしい曲は、ないと思います。
「告別行進曲」は、西南戦争のとき、まだ子供だった薩摩人・瀬戸口藤吉の編曲みたいですが、薩摩バンドと海軍軍楽隊のお師匠さんフェントンが、オールド・ラング・サインを教えないわけはないでしょう。子供の頃、城山最後の日、海軍軍楽隊の演奏するオールド・ラング・サインを聞き、耳底に残した瀬戸口が、後年、「告別行進曲」として編曲した、という推測は、成り立つように思うのです。
あと、村田新八さんがアコーディオンで弾いていた「ラ・マルセイエーズ」ですけどね、ここで桐野が前田正名を思い出し「あいつは、パリで元気にしちょっかい」とかつぶやくと、個人的にはとっても満足だったんですが。
最後に、テーマソング、平原綾香の「ソルヴェイグの歌」です。
ラストに桐野の死体にすがりついた愛人・村田さとさんの思いにかぶせているんでしょうけれど、もともと「ソルヴェイグの歌」は、奔放な男の帰りを故郷でじっと待つ妻の歌でして、意を決して男を追いかける愛人の歌じゃないですわ。
桐野の死を……、そして西南戦争の終結とともに消えていった薩摩隼人たちを悼むにふさわしい歌といえば、これはもう絶対、The Last Rose of Summer、「庭の千草」です。
The Last Rose of Summer in Kerkrade
So soon may I follow, When friendships decay,
And from Love's shining circle The gems drop away!
When true hearts lie withered, And fond ones are flown,
Oh! who would inhabit This bleak world alone?
アイルランド出身のウィリアム・ウィリスはきっと、逝ってしまった懐かしい薩人たちを思い出して、この歌をうたったんじゃないでしょうか。
アーネスト・サトウが、ぽんとその肩に手を置いて、なぐさめたんですのよ、きっと。
ぜひ、平原綾香さんに、うたっていただきたかった!
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えーと、ですね。
桐野が主人公の映画を、けなしたくはありません。
しかも、西南戦争が起こった理由の描き方は、これまでのドラマや小説からすれば珍しいほど、私の見解と重なります。
多くの方に見てもらえたら、と………、思わないではないのです。
しかし、映画としての出来は、まったくもって、よくありません。
いえ……、もし桐野が主人公でなかったならば、きっと私は、「見る価値無し!」と、斬り捨てていたでしょう。
まあ、あれです。よく知っている内容でありますだけに、パロディとして見ることも可能ですから、楽しめなかったわけではないんですけどね。
「長州ファイブ」から「半次郎」への続き、ということになるでしょう。
行ってきたんです。東京まで、映画「半次郎」を見に。
まあ、国会図書館に行きたくもあったんですが、どちらがついでかというと、国会図書館がついでかも、です。
あー、なにがいけないって……、まず第一、榎木孝明が似合わないんです!
最初から、不安は大きかったんです。俳優さんが役に入れ込んで映画を企画すると、往々にしてろくなことにならないんです。なぜかわかりませんが。
小松帯刀が、身をやつして半次郎のふりをしている!とでもいうのでしょうか、品が良すぎて、どうにもしっくりきません。
半次郎、つまり桐野って、妙に三枚目じみたところもあるはずなんですが、えー、ほんと、榎木さんでは、なにをなさっても笑えませんし。品が良すぎる上に、真面目すぎ、とでも申しましょうか。
ごいっしょに映画を見ました大先輩・中村さま、Nezuさまとお話していまして、永山弥一郎をやったAKIRAの方が、イメージ近いかな、と。じゃあ弥一ちゃんはだれが? ということになるんですが、篠原国幹をやりました永澤俊矢がぴったりです。篠原はもう少しこう、和風のイメージでして。
シナリオについて言いますならば、幕末をはしょるしかないのはわかるんですが、はしょるならいっそ、慶応3年(1867)の暮れからやればいいのに、と思ったんですのよ。薩摩の貧乏時代にはじまり、文久2年(1862年)の上京、とずっとやるものですから、青蓮院に長州藩士がしのびこんで、半次郎が斬り殺すなんぞというわけのわからないフィクションが焦点になってみたり。
白文ならまだしも、当時は子供でも読んでいました書き下しが読めない、っていうのも、ねえ。
それに、京で長州人に共鳴し、革命を志すんですから、孔子じゃだめです。吉田松陰の講孟余話の類を、実際に目にした可能性が高いです。
あー、愛人・村田さと役の女優さん、京都弁が超下手。関東出身者とまるわかりですわ。まあ、いいんですけど。
なんか、ですね。こう、愛人二人との関係もねちねちっとした感じで、桐野らしいさわやかさに欠けます。正妻・ひささんは出てこないし。
男女関係がそうですから、肝心の男同士の情が、しみじみしません。
桐野と弥一ちゃんの友情を、もっと前面に出して欲しかった。
あと、陸軍少将時代が最低最悪、ですね。好色な鯰ひげの官吏になった、といわんばかりの描き方でして。
こう、ですね。貧乏やって芋を作っているのと同じトーンで、豪快にフランス軍服をまとい、金銀装の儀礼刀をひらめかしますのが、桐野の真骨頂ですのに。
西南戦争になって、少しほっとしたのもつかの間、なんとも軽すぎ、なんです。
まあ、金がないのは仕方ないんですが、いくらなんでも官軍、臨場感なさすぎ、です。あー、なんで自衛隊にエキストラ頼まなかったんでしょう。いえ、せめて一ヶ月……、いえせめて一週間でもいいから、エキストラ全員、自衛隊で訓練してもらうべきでした。
ただ一点、しみじみよかったのが、薩軍の少年戦士です。実にかわいい上に演技達者で、メインで描かれていた13歳の子もよかったのですが、最後に英語の本を持って死ぬ子もよかった……。
もういっそう、西南戦争少年戦士物語にすればよかったのでは? と思いましたわ。
えー、そして最大の不満は、主要人物の死に方くらいは語り伝え通りにやってくれ、です。
弥一ちゃんは、小屋に火をかけて、炎の中で死んで欲しかった。
桐野は、少年戦士を逃がし、堡塁でライフルをうちまくって、最後に抜刀して死んで欲しかった。愛人がすがりつくなんて、嘘はなしで。
NHK大河ドラマの「翔ぶが如く」は、いろいろと描き方に文句はあったんですが、この桐野の最後の場面は、実に秀逸でした。
海軍軍楽隊(薩摩バンド)が戦場で惜別の演奏をした場面は、悪くはなかったんですが、検索をかけてみましたら曲目についてはわからないみたいですし、ヘンデルの「見よ勇者は帰る」は、どーにも、表彰式のイメージが強すぎていけません。ここはもう! ぜひとも、帝国海軍軍楽隊の「告別行進曲」、つまりオールド・ラング・サインでいってもらいたかったのですが、それじゃあ、「長州ファイブ」といっしょになりますかね。
Daniel Cartier "Auld Lang Syne"
Should auld acquaintance be forgot,and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot, and auld lang syne ?
かつての薩摩バンドが薩軍に贈るに、これほどふさわしい曲は、ないと思います。
「告別行進曲」は、西南戦争のとき、まだ子供だった薩摩人・瀬戸口藤吉の編曲みたいですが、薩摩バンドと海軍軍楽隊のお師匠さんフェントンが、オールド・ラング・サインを教えないわけはないでしょう。子供の頃、城山最後の日、海軍軍楽隊の演奏するオールド・ラング・サインを聞き、耳底に残した瀬戸口が、後年、「告別行進曲」として編曲した、という推測は、成り立つように思うのです。
あと、村田新八さんがアコーディオンで弾いていた「ラ・マルセイエーズ」ですけどね、ここで桐野が前田正名を思い出し「あいつは、パリで元気にしちょっかい」とかつぶやくと、個人的にはとっても満足だったんですが。
最後に、テーマソング、平原綾香の「ソルヴェイグの歌」です。
my Classics2 | |
平原綾香 | |
ドリーミュージック |
ラストに桐野の死体にすがりついた愛人・村田さとさんの思いにかぶせているんでしょうけれど、もともと「ソルヴェイグの歌」は、奔放な男の帰りを故郷でじっと待つ妻の歌でして、意を決して男を追いかける愛人の歌じゃないですわ。
桐野の死を……、そして西南戦争の終結とともに消えていった薩摩隼人たちを悼むにふさわしい歌といえば、これはもう絶対、The Last Rose of Summer、「庭の千草」です。
The Last Rose of Summer in Kerkrade
So soon may I follow, When friendships decay,
And from Love's shining circle The gems drop away!
When true hearts lie withered, And fond ones are flown,
Oh! who would inhabit This bleak world alone?
アイルランド出身のウィリアム・ウィリスはきっと、逝ってしまった懐かしい薩人たちを思い出して、この歌をうたったんじゃないでしょうか。
アーネスト・サトウが、ぽんとその肩に手を置いて、なぐさめたんですのよ、きっと。
ぜひ、平原綾香さんに、うたっていただきたかった!
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