おせっちゃんの今日2

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目立つことを拒否する若者

2022-10-15 13:20:47 | いろいろ

昨日、自分が目立つことを嫌がるという現代若者を書きました。
褒められて目立てば、他人の嫉妬を買い、仲間外れになるかと恐れ、みんな仲良く、を第一に考えるのか。化石人間の私から見ると、自分の持っている考えも、押し隠し、大勢に隠れる生き方はさぞかし味気なく、ストレスにもなるのではないかと思ってしまいます。

そして考えました。そう言えば、若者の言葉づかいにも、その傾向が見られるのではないかということ。

★ 自分の意見を折角発言した人が、最後、「なんちゃって」と。
今まで滔々と述べたことは何だったのか、ふざけているのか、他人の考えをただ借用しただけなのか、発言が自分のものだということをこれで隠して、責任逃れをするつもりか。

★ 発言中、語尾の最後を微妙に上げて、相手の承認を得るようにする。君も同調したよね、と自分の責任をくらますつもりか。

★ 相手を尊敬する丁寧に言うことはいい。だけど、何でもかんでも「○○させていただく」はみっともない。「させていただく」は、相手の承認を得て、私はこの行動に出ました、という意味合いを含みます。大抵の場合、相手の承認を得たりするような発言ではない。ただ、尊敬して、丁寧に言えばいいんでしょ、という無理矢理承認させた発言だと思います。ここはすっきり(本当にその意思がある場合は別)私は○○いたします、と言い切った方が爽やかです。

★ ちょっと論点がずれるかもしれませんが、本来感謝の意を伝える言葉に、日本語は「ありがとう」「ありがとうございます」という美しい言葉を持っています。これがいつの間にか、謝罪する「すみません」が取って代わっています。
これも広く考えれば、自分さえ謝っておけばという、事なかれ主義が元になっているのかもしれません。
先日、心理学専門の相川充・東京学芸大教授が「すみません」⇒「ありがとう」を提唱するとおっしゃっている記事を見ました。このことは、私も文句を言いながら、あまりに身近に「すみません」があふれていて気が付いたら言ってしまったということも多々ですから、ここに記しておきます。

「すみません」ですが、使い方を誤っているうえに、どういうわけか「すいません」という人が多いのです。時にはアナウンサーまで。何を吸うのでしょう。

いろいろ生意気に書いてしまいました。
若い皆さん、世の中に出ると、いやでも自分を隠して他に同調せざるを得ないことが出てきます。せめて若いうち、仲間同士、間違った意見でも、自分の主張は自分ん主張とはっきり議論できるように暮らしませんか。