昨日の「ウソつきました」の投書と並んでいました。今日もウソに関する言葉です。
福岡県の中学生の意見から。おせっちゃんが勝手にまとめました。
小学校の道徳の時間に、友達にしてはいけないことをいくつかの項目から選ぶ授業がありました。私は「ウソをつくこと以外はいけない」と答えました。
友達も、先生も「すべていけません」と言い、私の答えは取り上げてもらえませんでした。
私は、相手や状況によってはついていいウソもあると考えたのです。
例えば友達とぶっつかって私が転びました。本当はとても痛いのに心配をかけないように「大丈夫」と笑顔で言うこともあります。相手を不安にさせないためにつくウソです。
本当のことを言うと、相手を傷つけてしまうような場合はウソを言うことも丸く収める手段として許される(というよりむしろ褒められる)ウソですよね。
この子の言い分は良く分かります。〇か✕かの答え方ではこの微妙な感情によってつかれるウソまでは、表せません。道徳の時間だけでなく、いろいろな場合で、この微妙さこそ大事な気遣いとして、子供たちの成長に大事なことではないのでしょうか。
先生にはただ〇✕で仕分けをして終わりにせず、こんな貴重な考え方が生徒から出たのです。みんなで意見を言い合って深く考える時間にしてほしいと思うのです。
考えて、違う意見も入れてなお考えていくことが大事だと思いますが。