おせっちゃんの今日2

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「幸せ」の文字・ポチ袋

2020-12-18 14:53:13 | いろいろ

今朝の朝日新聞一面、私が好きで目を通すことにしている「折々のことば」の下の小さな広告に面白い言葉がありました。

横棒が一本多いようですが確かに、「幸」が隠れていますね。それを意識して名乗った会社名ではないでしょうが、上手く関係づけましたね。みんなの幸せにお役に立ちたい、これが会社の望みだと。

同じ「幸」については「辛」と組み合わせて意味づけていますね。
「辛」に一本棒を足せば「幸」になるんだと。辛くても、頑張れば、努力して一本足せば、幸せはそこにある、と。

漢字の成り立ちなどから言えば、単なるこじつけかもしれませんが、面白い気づきです。

昨日のパソコン教室は、10月から始めた2021年のマイカレンダー製作ができ、24日にはプリントの会社から刷り上がって届きます。今年最後の「マスターEクラス」の授業です。少し気の抜けたところで作り物を楽しみました。お正月に向けポチ袋の制作です。
A3一枚を使ってまず塗りつぶしをします。そのために、絵柄をネットで探します。塗りつぶしてプリントして、あとは折り紙です。下の写真のような熨斗を思わせる飾りがついたポチ袋の出来上がりです。

孫5名のうち、上二人は社会人になって、お年玉は卒業しました。


レジ袋

2020-12-17 16:02:53 | 主婦として

今、パソコン教室の帰途スーパーで買い物をして帰ってまいりました。主婦として失敗の巻でした。
レジでこの頃お決まりの「レジ袋はいかがですか」に対して、自信をもって「要りません」。
ところがです。バッグを探ると入っていないのです。きっぱりと不要を告げて、すぐに「袋下さい」は言いにくいことです。
幸いご一緒した友人があるわよと出してくださって助かりましたけれど。

私の頭にはレジ袋は代金を払ってちゃんとレジを通りましたよの証明になるもの、万引き防止の物として記憶されています。スーパーなるものが出現した頃はそうでした。世の中変ったものだと思うのですが、変わらないものは人の心でしょうか、隙あらば盗って行こうとする悪人はいるようです。行きつけのスーパーでは店内放送で「ご持参の袋に詰めるのはレジを通り抜けてからにしてください」とやんわりと注意しています。

レジ袋有料化が始まった頃、レジ外の薄いビニール袋を大量に持っていく人が現れたと報じられていました。レジ袋が無くなったら、生ごみ捨てはどうするのよ、必要!という理屈のようでした。
昨日、大掃除の一つとして、ゴミ捨て用のビニール袋の入れてある段ボール箱の整理をしました。主婦として恥ずかしいことに、グルグルっと丸めてめったやたらに突っ込んだ状態になっていました。
私は、生協に加盟して配達してもらっています。大きな規模の生協はいろいろな部署があるのでしょうね、品物は何種類かの大型の薄いビニール袋で配達されます。老人二人の生ごみです。袋は1週間の使用量を上回ることもあります。これも地球温暖化の原因になると思いつつ、かなりの枚数捨てました。それだけではありません。その奥に古いレジ袋を三角形に折りたたんだものが、紙袋にごっそりまとめたものがありました。
何を買っても袋に入っています。少しの生ごみなら、これもごみ袋になります。
まだまだ、削減の余地は大いにあるようです。

区民センターのコミュニティー教室の来年度の計画も考えなくてはならない時になっています。何か魅力ある講座をと頭を悩ますのです。
私が一つ提案しました。レジ袋削減で日本古来の風呂敷の出番が回ってこないか。日経新聞でも取り上げていたし、テレビの「ガイアの夜明け」(?)でも風呂敷専門店などが商売も兼ねて講習会をしているようだ、上手く講師が頼めたら時宜を得た講座にならないか、と。検討することになっています。

とやかく言っているより、普段持ち歩くバッグには忘れずにまいバッグを入れておくことが主婦の務めかな。


今年最後の教室・・・やきもの入門

2020-12-16 15:46:57 | 区民センター

コロナ禍で4月から始めることはできあせんでしたが、コミュニティー教室は縮小版ながらどうにか開けました。今日は今年最後の授業、やきもの入門でした。普通なら、バス現地見学会が2日目に催されるのですが、これは無し。事前教室の授業のみなのです。
講師に、渋谷の松涛にある「戸栗美術館」の学芸係長・黒沢愛さんをお招きいたしました。戸栗美術館は、日本では珍しく、やきもののみの美術館なのです。
コロナが勢力を盛り返している時ではありますし、人気のバス旅行がないとあっては、募集しても希望者が集まらないのではと心配しましたが、抽選でやむを得ず落とさなければならないほどの人気でした。特に日頃集まりが少ない男性の方が多く来て下さいました。

黒沢先生はご出身が佐賀で、大学でも鍋島焼の研究をなさった方で、プロジェクターで写真を写しながらお話しくださいました。その授業内容は、写真がないので、お伝え出来ませんが、おせっちゃんの印象に残ったことを少し書いてみます。

● 鍋島焼は江戸時代、差が鍋島藩が徳川将軍家への献上のために創出した磁器。日本磁器の最高峰と名高いものです。
白地に青一色で絵付けをしたものを染付と言いますが、古い焼き物に、鍋島焼のふるさと・大川内鍋島藩図大皿が残っています。それによると130メートルはあろうかという登り窯が描かれています。
古文書などから、ここで年間5000個ほどの作品が焼かれたらしい。焼く過程で廃品になるものがあるので、4300ほどの物が仕上がったと思われるとのこと。その中から選りすぐりのものを将軍家に献上したに違いない。文書によると献上は82点のセットであったとのこと。

● その差のものは、どうされたのか。「残り物」として、鍋島家とゆかりのある藩に贈ったと思われる。将軍と同じものを贈ったとは言えないから、「残り物」として処理したものだろう。日本各地からかなりの破片などが発掘されているとのこと。

絵付けは、色数が最大4色であること。裏面に、裏紋様を三方に配していること。高台にはぐるり紋様を巡らせている。

絵の構図には苦心したようであること。
中央を白抜きに。周囲にめぐらす。前後配置。片側寄せ。寄り。散らし。水平区切り。霞、流水区切り、全面を紋様で埋め尽くしたもの。など。
それでも、同様なものになり、伊万里などのいいものを取り入れたこともあったようである。

年が明けたら、コロナの様子を見ながら博物館を訪れたいと委員仲間で約束しています。

 


じじばばのクリスマス飾り

2020-12-15 13:51:34 | わが家の話

コロナ禍でなにか落ち着かず、お家引きこもり生活で何もしないまま日にちばかりが過ぎていきました。どうにか罹患することもなく歳末を迎えることが出来るのは幸せなのでしょうね。
人と人が近く心を通わせてこその人間らしい生活と思うのに、距離を保ち、接触を避けることが、このウイルスと戦う姿勢だとのこと、人間やめろ、と言われているような気がした今年でした。

一昨日から年賀状を書き始めました。夜明け。木々の合間の地平線から日が昇る写真のデザインです。これは元旦にブログにのせますから、今は言葉だけで。一言自筆で書き添えるのが、私のやり方です。
「陽の昇らない朝はない!!」。この言葉を頼りに生き抜きましょう、と書きました。

今、クリスマス飾りを飾りつけました。じじばばのクリスマスです。ごくささやかな自作の飾りです。

玄関ドアにアクリル毛糸でベルを編みました。

呼び鈴近くにこんな絵を

靴箱の上には一昨年の区民センターの実技講座での作品(写真のみ)

良い子とは言えないから、サンタさんは来ないかな。

 

 


「言い方」で損をしないために

2020-12-14 14:04:59 | 言葉

今日は他人様のものを丸々引用して記事にします。いいテーマを思いつかなくてズルです。
「言いかえ図鑑」(大野萌子著)の新聞広告からです。

● 以前お会いしたことがあるけれど、親しくはない方にあった時など
「私のこと、覚えていますか」・・・✕
「あの時お会いした大野です」・・・〇

自分から名乗った方が、相手への気遣いになる。

● 相手からしばらく連絡がなかった時など
「連絡がなかったから、心配していた」・・・✕
「久しぶりに連絡をもらえてうれしい」・・・〇

相手を責めるより、自分の気持ちを伝えて。今ちょっと忙しいので

● 相手のお誘いを断わるときに
「今ちょっと忙しいので」・・・✕
「今週は厳しいですが来週でしたら」・・・〇

「忙しい」は「あなたのための時間はない」と言っているようなもの

● 贈り物・お土産持参の時
「つまらないものですが」・・・✕
「気持ちばかりですが」・・・〇

必要以上に卑下する必要はない。

● 例えば、子供に注意するときなど
「あなたのためを思って」・・・✕
「私はこう思っている」・・・〇

「あなたのため」は自己満足をするための言葉。
相手に恩着せがましいと感じさせるのではないか。(この行、おせっちゃんの書き足し)

● 自分のために計画がつぶれそうなときなど
「私のことは気にしないでください」・・・✕
「皆さんの意向に合わせます」・・・〇

「私のことはいいから」は自分をアッピールしているのと同じ。

贈り物・お土産などを「つまらないものですが」と卑下するのは、私の子どもの頃まではごくごく当たり前の作法でした。頻繁にこの場面に遭遇していました。戦後西洋の文化が入って来てからでしょうか、
詰まらないものを贈るのは、むしろ失礼ではないか、アメリカでは(戦後アメリカは日本人にとって正義でした)「すばらしいものよ」と差し出し、もらった人は喜んでその場で開いて、喜びの感情を表すのだと、こちらがエチケットになっていったようですね。