おせっちゃんの今日2

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こんな本・・・重松 清「ひこばえ」

2020-12-07 14:06:22 | 読書

ごく最近こんな本読みました。重松清著・「ひこばえ」。

朝日の新聞小説として連載されていたもののようです。私は、細切れになってしまうので新聞に連載されているものはほとんど読みません。だから先日図書館に行った時、書棚で見つけた時も、書下ろしかと思ったのでした。
重松氏は岡山出身の方のようで、前々から、使われている方言が、ふるさとの山口県に似ているところがあり、一頃作家読みをしていました。読んで容易な文章で、書かれている内容が、心にしみて好きなのです。
上下2冊で、老いた私には、読みこなせるかな?と心配もしましたが、2冊一気に読めましたし、今回も心にしみる物語でした。

あらすじを書くことは作者に失礼なような気がしますから、さっとしか書きませんけれど、固まっていた感情が次第にほどけていく親子の情が好きでした。
嘘ばかりつき、金銭問題も起こし、親族からも、妻からも嫌われて、3歳の少年の前から、ある日出て行ったきり、消息の分からなかった父親が亡くなったとの知らせが来た。公園でくも膜下出血を起こして一人死んでいった父親。父親が出て行ったときは3歳だった私は憎しみも、愛情も、とにかく何にもない状態。3歳年上の姉は憎しみしか持っていない。ただ姉は母親を守っていくと心を閉ざしている。
そんな父と子だけれど、父親の残したメモ帳の知人友人蘭をたよりに調べてみると・・・。ほとんどの人から無視、または拒否されている人ながら、何人かのつながりのある人が見つかる。・・・だんだん認め、心を通わせていく過程が温かい。
私はとても好きな小説でした。良かったら読んでみてください。


草取りをシルバーさんに任せて

2020-12-05 14:50:22 | 主婦として

我が家の庭ながら、同じ場所か?と思うほどきれいになりました。1日、はびこった雑草取りにシルバーさんが来てくれたのです。もう5年以上も年2回~3回お願いしています。一人で、一日でちょうど終わるくらいの仕事量です。世田谷区の規定料金で計算して、1万円がほんの少し超えるくらいの支払いになります。

40年ほど前からここに暮らし始めましたが、当時は今隣同士で暮らしている夫の兄のところまでありましたけれど、私が自分でやっていたのです。脊柱がだんだん弱ってきていたのでしょう、ぎっくり腰状態を起こすようになり、お嫁さんのMiちゃんの進言でシルバーさんを入れ始めたのです。

ずっとYさんという方が来てくれます。初めてお会いしてお顔を見ましたら同い年か?と思うくらいの方でした。それでなくても主婦がやるべき仕事を他人任せにすることで気が咎めている所、ますます気が重くなったものです。サラリーマンを勤めあげて、遊んでいるのも馬鹿らしいしと会員になったのですよ、という1歳年下の方でした。
う~ん無能主婦だなあ、と自己嫌悪。庭でYさんがやっているうちは、私も何か主婦仕事をしなくてはと、いつもより動き回ったものです。
母が、晩年は心臓を弱くして、一人にしておくのは・・・と近所の農家のおばさんを手伝いに入ってもらっていました。最後はおばさんを頼りにしていましたが、来てもらうと気ばかり使って・・・と嫌がる風を見せて居ました。姉が「ええじゃあないの。仕事で来てもらわんでも、お喋りの相手をしてもらいなさいよ」というのですが最後まで気を使っていたようでした。今の私はその時の母の気持ちが分かります。

2年半強前に、救急車騒ぎを起こした時、救急病院を退院しても、とても家事ができる状態ではありませんでした。「あんしんすこやかセンター」を通じて介護保険でヘルパーさんに週2回・1時間来ていただきました。これがまた気を使うのです。横になっていたくても、そうはいきません。主婦としての見栄もあって、あまりに乱雑な家内にはしておきたくありません。健康な時、友達同士が冗談に、「今日はヘルパーさんが来るから掃除をしなくてはいけないの」と笑ったことですが、この気持ちが分かったのも自分がその立場になった時でした。
結局、最短の契約だったのですが、延期することはしないで断ってしまいました。泣くほどの痛みで後悔もありましたが。

上手に歳をとるためには、自分の弱みも素直に認めて、いい意味で甘えることが出来るようになっておかなければいけませんね。

今日でカーテン洗いが終わりました。天井の高さから下げられた所が3か所あります。チビの私には椅子にのっても届きません。危ないなあ、と思いつつも脚立に乗っかっての作業になります。
いつだったか息子Kが「高いところの仕事の時は来るからね。意地を張って自分でやろうとしないこと!!」と強く言ったことがありますが、ほんのわずかな作業に、呼びつけるのはあまりに煩わしいことです。夫は、運動神経が極端に不器用なのに加えて、老いが進み、とてもそんな作業はできません。結局は、自分が自分に「気をつけろ。脚立から転げ落ちたら命とりだよ。コロナより怖いぞ。ほらそっちを持って、こっちの脚はここに置いて・・・」と念には念を入れて無事に取り外し、取り付けました。

目出度し、めでたし。


悲しいお知らせ

2020-12-04 16:14:17 | 知人友人

師走の日々もひらりひらりと過ぎていきます。コロナという家来を連れての速足です。
先日から年末の悲しいお知らせ・喪中欠礼が配達されます。日々の生活ではほとんど会う事もない、友人知人であっても、思い出はよみがえり、しばらく言葉を失います。

中でも、昨日のハガキには呆然としてしまいました。まさか悲しみのハガキが来るとは思っていない方だったのです。
高校のクラスメートで、お医者様と結婚した人がいます。整形医でいらっしゃいます。東京近辺に住んでいるもので、身体を痛めたものは、ここを頼るのです。混雑している受付も、友人ということで、事務長のクラスメートが上手く割り込ませてくれますし、先生も親身に手当てしてくださるのです。「名医」でした。私どもの駆け込み寺でした。
その名医様が亡くなったというのです。
この春、3月末で医院を閉めるとお知らせがあったのです。名医様も歳をとられたのでした。でも私の頭にはお元気なお姿が浮かびました。引き止められて医院を続けていらっしゃったけれど、いよいよお止めになり、あとは奥さまと旅行でもしていらっしゃるかと思っていたのです。引退なさって、3か月ほどで亡くなったのです。しばし思い出に浸り、ご冥福を祈るよりほかありませんでした。

もう30年も前のことだったでしょうか、私はウオーキングを思い立って実行し始めました。まだ若かったのですね。やり始めるとのめり込み、一寸度が過ぎたようでした。とにかく一歩も歩けない状態になりました。駆け込み寺頼みです。

「とにかくいらっしゃい。千代田線1本で来られるのだから、少し遠くてもうちの名医にみてもらおうよ。来るだけ来れば、帰りは歩けるようになるから」。確かに帰りは少しの痛みはありましたけれど、一人でバスと電車を乗り継いで、帰ってきたのです。今から思えば、神経ブロックだったのだと思います。一瞬跳び上がるほどの痛みでしたが、治ったのです。まさに名人芸でツボにはまった注射1本だったのでしょう。

2年半前、私は脊柱圧迫骨折を起こし、ヘルニアを発症しました。夜中に救急車で運び込まれ、5週間入院したのでした。病院を探しても、受け入れてくれる医院が見つからず、5つ目の救急病院に押し込められたのです。そこは救急の患者のための病院です。5週間たったら追い出されるように退院させられました。痛みは尋常一応ではなくさてこれからどうしたものやら、と思い悩んだことでした。

駆け込み寺です。電話しました。救急病院では主治医は手術は進めませんでしたが、若い医師はこれほどの痛みがあれば手術手術!!と言っていました。素人にはどうしたらいいのか分かりません。事情を訴えたことでした。その時の名医のお言葉。
「この年になって手術なんて考えないこと!気を明るく持って、馬鹿話をして、上手いものを食っていたらそのうち治ります。遊びにいらっしゃい、ご馳走しますよ」

この明るい言葉に救われました。名医なき今からも、しゃべって、食って、生きていこうと思います。
名医様、ご冥福を祈ります。ありがとうございました。

 


孫 Y君の誕生日祝い

2020-12-03 16:06:16 | 

娘夫婦の次男・孫Y君に誕生日のお祝いを送りました。一人暮らしの子ですから、現金書留にすると受け取りにくいかと思い、郵便口座に振り込みます。

このお誕生日祝いに、いかにすべきか迷ったことがあります。
「社会人になったらもう一人前だからじいじばあばからのお祝いは無くなるのよ」と言い聞かせておりました。お兄ちゃんのH君が社会人になって、送らないことがありました。ところが矛盾があることに気が付きました。誕生日祝いは、娘・息子夫婦にも渡していたのです。夫が言いました。
「もう50にもなる娘息子が貰って、社会人になったばかりの子どもがもらえないのはおかしいんじゃあないの。ケチらないで今までどうり、やりなさいよ」というのです。
なるほど・・・ということで旧に復したのです。

Y君は専門学校で、舞台などの照明を学び、福岡でホテルの子会社に就職しました。「仕事、面白いよ」と張り切っておりました。H君の陰に隠れるようでしたが、急にしっかりしてきて、体つきもがっしりしたようでうれしく思ったことでした。

ところが、このコロナ騒ぎです。ホテルでの結婚式などのパーティー、大きな会議、ディナーショーなどなど、中止相次ぎ、照明の仕事は激減したようです。どうしているのやらと気になっています。せっかく張り切っていた、好きな仕事が、思いもかけぬことでなくなってしまっているのです。

こうした生活の根底を揺るがすコロナ、早く収束してほしい。
降り止まぬ雨はない。明けない夜はない。みんな協力してウイルスに対しましょう。
Y君ももうひと頑張り、切り抜けてください。


流行語大賞と子供部屋おじさん

2020-12-02 14:24:08 | ニュースから

どんより曇った薄暗い夜明け。こんな日は身体の調子がいま一つさえないのです。
モーニングショーを見ながら、朝食。その目と耳に流行語発表と「子供部屋おじさん」という言葉が飛び込んできました。
流行語、これはコロナ関係が入ることは容易に予想で来ていましたが、それの続いて中高生の流行語なるものが発表されました。婆さんには理解不能の言葉で、それだけでも不愉快なのに、なんだか日本語がおふざけで乱れに乱れてきているようで、腹までたってきました。
こうした新しい言葉は、世代の違うものにはどこかそぐわない感が否めませんが、これも新しい文化として日本語の中に席を占めるのでしょうかねえ。言葉は移り変わっていくものであることは勿論わかっておりますけれど、ばあさんにはやはり?マークです。誰にも理解できる美しい日本語を望みますが。

流行語に次いで出現した言葉が「子供部屋おじさん」。
学業を終え、(大学を終え)一流企業に就職し、(起業した人もいた)高収入を得ている子供が、いつまでも独立しないで、子供部屋に住み着き、親に生活全般を助けてもらって、「楽だ」「便利だ」「この生活に満足」とあっけらかんとしているのです。親の方も、もう独立せよとは言わず、むしろ一緒に暮らすことを喜んでいる節がある。親に生活費を渡している様子もなく、貯金は増えますねえ、などと何の衒いもなくいいます。さんざん親の世話になったこの若者、元気な親も老いてきますよ。老後の世話覚悟でしょうか。(疑問だな)
こんな若者で社会が成り立つのかしらん。

と言いながら、我が家の娘・息子も、結婚するまでは今、夫と私と二人が住んでいる家に暮らしていました。世田谷区内で便利なところ、幸い家も子供がいても邪魔にならない広さがありました。でも、給料の中から月3万だったか5万だったかは食費として取り上げていました。学生時代の最後、卒業旅行をするというときは、借用証書を書かせ、給料をとるようになってから月々返させました。息子がクルマを買った時も勿論です。
ケチ親というか、酷親というか、この躾は私どもの年代では当然のこと、子供もそれは身に付けていたようです。二人とも、間もなく結婚して家は出て行きました。

娘は遠く山口へ嫁ぎました。その前に名言(迷言)を吐きました。弟に向かって「私は東京の家も土地もいらんからね、あんた相続しなさい。その代り年寄二人の介護はあんたしなさいね」「自分の親が老いて、ボケてくるのを見るのはつらいと思うよ。私は嫁いでいくのだから向こうの両親を見るの。それが勤めと思えばこの方が楽かもしれん」とのことでした。

子供部屋おじさん、おばさんにはなりませんでした。