おせっちゃんの今日2

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ウソつきました・・若い人の言葉づかい

2022-10-25 13:32:53 | 言葉

朝日新聞の「声」にこんな投書を見つけました。

東京都の68歳の女性からの意見です。(おせっちゃんが勝手に要約します)
コロナワクチン接種をした時のこと、接種を終えた時、看護師が「待機終了の時間書いたメモ渡しましたね」と言われた。「まだです」と言ったら「あ、ウソつきました。まだでした」と言われた。

投書氏はびっくりしたと書いていますが、私はびっくりどころか意味が分かりませんでした。数度繰り返し読んで、やっと、「間違えました」の意だと悟ったのです。
若い世代の言葉づかいに、びっくりしたり、理解不明で立ち往生することはままありますが、これほどわからなく首をひねったことはありませんでした。
そして、今までこんな使い方がされていると聞いたこともありませんでした。

でも投書を読み進めてみると、結構使われているようです。投書氏の例で言うならば、ヨガ教室で指導者が「左手あげて」と言った直ぐ後「ウソつきました。右手でした」と断ることがあるのに気が付いたと述べておられます。

おや?これはウソをつくではなく「間違えました」ではないの。私達の年代の者から見ると、「ウソをつく」と「間違える」のは全くニュアンスが違うけれど、と思ったことです。

「間違える」は、正しいことを言おうとしていたにもかかわらず、悪意はなく、つい間違って口にしたという時でしょう。笑って許すことができると思います。
それに反して「ウソをつく」は、相手を陥れようとか、そこまで悪意はなくても、正しくないことと知っていて、意図して言葉にすることでしょう。こちらは、時には裁判沙汰にも発展することがあるかもしれません。

おせっちゃんが子どもの頃、「ウソツキは泥棒の始まり」とか、「悪いことをしたら素直に謝れ、ウソで誤魔化そうとするのは卑怯だ」と、厳しく言われたものです。ああそうだ「閻魔様に舌を抜かれる」という言い方もあったよ。

この二つがこんがらがるなんて・・・考えられません。

たとえ親しい友からでも、ウソで引っ掛けられたら、悲しい!


Hくん来訪・・変な人ではありません

2022-10-24 13:47:39 | 

昨日午後寄るからと1週間ばかり前に言ってきていました。ば~こに世話をかけてはと気を使ったのでしょう「お昼は済ませて行くから」と1時に顔を見せました。
「今朝、松山を出たの」と聞くと、「昨日から仕事、会議があった」とのこと。
「夕ご飯食べていいかな、無ければなくてもいいけれど」とここもば~こを労わる。
「大丈夫大丈夫、なにか作るから」「じゃあご馳走になって夜7時半頃出るから」。

ば~こは来ると聞いた時から、冬支度の重いもの作業を手伝ってもらうのにちょうどいいやと、手ぐすねを引いていました。
「少し手伝ってくれるかなあ」
「そう思って寄っているんだよ、何?」
「寒くなって来たから、ガソリンスタンドから灯油を運んで倉庫に入れて行ってもらいたいのよ。近頃腰に重いものが応えてね。H君を待ってたのよ」
「はい、はいお安い御用」
「ばーこは18リットルずつ運んでいたけれど、ポリ容器は3個あるから全部満タンにしておいてくれると助かるけれど」
「OK・OK」。台車ごろごろすぐにやってくれました。

ところがです。「ば~こ、この容器古くない?なんだか少しだけれど漏るような気がする。ほら~」。見れば容器を少し動かしてみると下のコンクリートが一筋濡れているような。「確かに、30年は経っているね」。じゃあ僕が買って来よう、ホームセンターある?

そんなこと言ったって、荒物屋さんは店を閉じたし、100均では取り扱わないよね。ホームセンターと言えば環7か、環8のそばだよね。そんなところ行ったこともないし、お店も知らない。
スマホの出番。なんだかピコピコやっているうちに電車で行って来るという。ば~こは「お願い」というばかり。
こうなると世田谷の住宅地というのは「不便だねえ。何にもないねえ」ということになります。

1時間ほどたったころ、真っ赤なポリ缶3個抱えて帰ってきました。そしていうこと。
「僕も何にも考えていなくて、明大前で乗り換える時、人の視線を感じて、はっと思いついた。ポリ缶3個抱えて若者が電車に乗っている。これ他人が見たら、怪しい人だよ。京王線は以前そんな奴が事故を起こしたことあったよね。僕を疑いの目で見た人、いたんだよね。まあ3個持っていたのが幸いしたよ。灯油入っていたら3個は持てないからね。気が付かなかったけれど、周りの人かなり薄気味悪かったと思うよ。参ったね」
「自分がそんなことすると少しも思わないから、二人とも気が回らなかったね、悪かったわね。う~ん、!!!」

万一、その場に居合わせた方がこのブログお読みになったら、笑って許してください。その若者おせっちゃんの孫です。とても良い子で、ばあばのお手伝いで買い物に行ったのです。驚かせてごめんなさい。

 


往復はがきで大騒動

2022-10-22 13:48:47 | 時の流れ

昨日の朝のワイドショー、大きく取り上げられた往復はがき大騒動。

岐阜で、騎馬武者の行列祭りが行われる。人気の木村拓哉が織田信長に扮して主役を務めることとなっている。コロナが収まっているとはいえまだ油断はならぬと、抽選で規定の人数を選出するという。
そこから騒動が起こった。応募には、希望者は往復はがきで申し込むことになっている。岐阜市の住人数より多い数の人々が殺到、往復はがきが売り切れた。郵便局は言うまでもなく、コンビニ、酒屋など小売店、ありとあらゆる所を人々が駆けずり回ることになったという。

木村拓哉の人気には、ばあさん驚いた。その人気に、この度は「信長」という歴史の人気者というおまけがついたのです。地元でのお祭り、これを見ないでどうする、とにかく応募応募ということになったのでしょう。

おせっちゃんは、それとは別に驚いた。「往復はがきって何?」「郵便局のハガキじゃあないの?」。司会者の示す実物に「え、どう使うの?」。葉書が手に入っても現代若者は使い方が分からないよう。

世の中、変わったのですね。そうですよね。ネットでの申し込みが当然のように浮かんだのでしょう。おせっちゃんの頭には当然往復はがきが、使い方は勿論わかって浮かんだのですけれど。ここでも両者の間には壁が立ちはだかっていますね。

そう言えば、コロナで3年行われなかった高校同期会を今年は11月に計画したと先日案内が届きました。どちら派とおもわれます?

案内の封書にハガキが同封されていました。この年齢では(昭和13年生まれ)まだ葉書が浮かぶようですね。


これっておせっちゃんへの慰め?

2022-10-21 13:55:45 | わが家の話

上の言葉、使うかもと切り取っておいたスクラップです。いつのものなのか、どこの広告かもわからなくなっていました。

まるで、料理嫌いの料理下手の私への、顔をしかめながらの励ましか、慰めかと思う言葉です。面目ないけれど。

でも言い訳になるけれど、少しの真実は言っていると思いませんか。近頃は料理が趣味という男性も珍しくなく、コロナ禍でお家生活をしている間に、料理にのめり込んだという人の話も聞きます。でも私の年代は結婚することは「飯炊きおばさん(ばあさん)」になることが義務付けられた現実でした。違いますか?

今でもはっきり記憶しています。山口から福島へ嫁ぎました。今よりずっと遠い所でした。知り合いの一人もない、未知の土地で、一日の大半をアパートの壁に向かい合っていました。訳が分からないまま夕ご飯の支度はしなければなりません。乏しいレパートリ―で一日二日を切り抜けた時、私の頭に浮かんだのは、ああ、これから死ぬまでこれを繰り返すのかあ。冗談でなくお先真っ暗という感じでした。

それでも一日一日、一月二月、一年二年、子供も生まれて離乳食もつくり過ごしたのですね。

子供が一人前の口をきくよう、というより生意気にも親を批判するような年齢になってきました。
家族4人で夕ご飯を食べていた時です。息子K、「ママの料理まずいとは言わないよ、でもなんだかどこか見えない所で誤魔化しているんじゃあないか、と思うんだよ。ねえ?」と娘Maに同意を求めました。

「ああ、そうそう。愛情、愛情が足りないんじゃあないの」手で何か料理に振りかけるような手つきをしながらこう言うコマーシャルがあったのです。

ここで負けてなるものか。「ママは魔法使い、天才。一振りで高級料理!」と誤魔化したものです。

今老人二人暮らし。生協で冷凍ものなど配達してもらいます。冷凍食品を売るのも商売商売。昔はこんなものなかった、と思われるもの、味や歯ざわりなども研究しつくした半製品が配達されます。それに一寸魔法をかけて、野菜を足して、誤魔化して日々の食卓が出来上がります。

手抜きなのは間違いありませんが。腰痛・両足痺れ痛みの婆さんはこれで切り抜けます。罪悪感は持たないことにしています。

文句があれば「自分でやれ~え!!」。まあお品の悪い。


パソコン教室25(+1)周年記念コンサート

2022-10-20 10:33:39 | パソコン教室

通い続けているパソコン教室、ほとんど教室と同じ年数学んできました。
先生はNORI先生と、助教授の先生ですが、モットーは「100回同じ質問を受けても、同じ笑顔で100回答えます」だとのこと。この言葉に、ばあさん(通い始めた時はまだ少し若かった)恐る恐る門をたたいたのでした。
「まだ通ってるの?」。友人に呆れたように言われることもあります。でも学べば学ぶほど、奥は深い。それにこの頭、どんどん忘れるという特技があります。
NORI先生、おせっちゃんはもう何回同じ質問したでしょうか、お見捨てなくお願いいたします。

昨年が25年のお祝いのはずでしたが、コロナが邪魔をしました。しかし、コロナ禍は、新しい経験もさせてくれました。オンライン授業というものを経験したのです。
そんなこんなで昨日は25(+1)記念のお祝でした。

 

ボサノバのギタリスト・木村淳さんと、素晴らしいボーカルの歌声のCatsumiさんをお迎えしての会でした。

バックの建具は・・・?と思われましたでしょうか。そうなんです。近くのお寺さんの奥さまが教室生で、会場を使わせてくださったのです。本堂は読経の声がよく響くように音響がよく設計されているのだそうです。素晴らしい響きです。

残念ながら、お聴かせできませんが、ボサノバの名曲から、映画音楽、ポップス・歌謡曲、日常を忘れてうっとりする2時間でした。ばあさんは、ごく最近の踊りながらの若者の歌はそのリズムについていけませんし、歌詞を聞き取る余裕もありませんので、言葉もはっきり聞き取れる、感情がしっとり胸に響く音楽は心和むものでした。

また、曲と曲の間の説明を兼ねたおしゃべりが巧みで、これも惹きつけられました。

楽しい会、ありがとうございました。

ちなみに書きますと、昨日の会の恵みかどうかは分かりませんが、年とともに夜、眠りが浅く、とぎれとぎれに浅い眠りしかできないおせっちゃんが、今朝はハッと目覚めたのが5時でした。少し早めにやすむとその日のうちに目覚め、朝まで転々とすることの多いおせっちゃん、これほど快い目覚めは久しぶりでした。
きっと昨日の音楽のせいよ、とおもっています。