おせっちゃんの今日2

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落第ママ、反省しきり

2023-10-19 16:06:48 | わが家の話

昨日書いたことから続きに思ったこと。

子供二人が、小学校に通学していた時、校長先生はご専門が美術でいらっしゃいました。日展にも入選なさり、画家としても名のある方でした。
また、小学校のすぐ近くにある区立の幼稚園の園長も兼任なさっていました。
私は、その幼稚園の父母の会の会長を引き受けていましたので、役得で、普通のママよりは親しくお話を聞く機会に恵まれておりました。

ある時、子供の心の深層が描く絵に如実に表れることがあるのですよ。描いた人物(自分を描いたと思われる人物に)手がない絵があるのです。これは問題です。親や教師が厳しすぎたり、干渉しすぎたりして、自分が思うように動けないことが現れていることがあるのですよ、と話されました。

愚かな母親の私は、そこまで言われても、自分はそうではないと思っていました。

暫く経って、秋の展覧会が始まりました。娘Maの絵を見て、愕然としました。両手が肩から先無いのです。ああこれこそが、小うるさく、文句を言い、子供を縛り付け、自分の枠に押し込めようとしている母親の指導(だと思っている)の弊害だと、俯かざるを得ませんでした。

ついでに書きますと、息子Kが絵を描いていました。1年生です。「ぼく(わたし)のおかあさん」とテーマが決まっていたようでした。
先生がね、S君のママ、病気なの?と聞かれたよ。おいら、ううん、元気だよ、と答えて置いたけどね。

絵を見ると私らしき人が、寝床に横になっている絵なのです。
「だって、お布団で寝ていらっしゃるじゃないの」と先生は言ったよ。ママは何時も、寝っ転がって本を読んでるけど・・・と言っといた。

落第ママですねえ。

 


子供の絵を見て 誰もが一人の芸術家として

2023-10-18 13:44:05 | 言葉

朝日新聞「折々のことば」、2023・10・17。造形作家 浅羽聡美氏

「上手だね」「これなぁに?」を口にする前に立ち止まってみる。

子供の絵を見ても、大半の人がこの二つの声掛けしかしないのです。ずっと不審に思ってきました。保育現場にもかかわる造形作家は言います。じゃあ「すごい」という言葉ならいいですかと訊く人もいる。そこにある子どもたちの表現に目を開き、感じたことを言葉にすれば、いろんな応えが、返ってくるものを。

 

そうですね。子供だから、褒めてやれば喜んで、やる気を出す出すだろう、は安易な逃げの姿勢かも。子供が真っ赤なクレヨンで、グルグルっと球らしきものを描いて見せたとする。「これなぁに」ではなく、「林檎かな?○○ちゃん林檎好きなの。おばあちゃんも大好きだよ」「真っ赤だね。今、おばあちゃんが剥いてあげましょう」「甘いかな、きっと美味しいよね」このおばあちゃんの言葉の間には、弾んだ声の○○ちゃんの声が入るはず。

小さな芸術家はここから生まれるのかも。

 


高見のっぽさん

2023-10-17 13:42:29 | 新聞記事から

私と同年配、または、その前後の世代の方は概ね懐かしく思い出されることと思います。子供とともに「できるかな」を思い出されることと思います。
朝日新聞夕刊に、その懐かしい姿が載っていました。昨年9月10日、亡くなっていらしたのですね。

のっぽさんをしのぶ文章はインタビューをした大井田ひろみさんがまとめた哀悼の文章でした。

新聞からのスキャンですが、まず、のっぽさんの写真で偲びましょう。

大井田さんはインタビューをしたのは、子供さんが保育園に通っている頃だった。育児も仕事も上手くいかず、悩んでいた。絵も工作も苦手で、接し方にも自信がなかった。

81歳んのっぽさんにお会いした。のっぽさんの声は深く、優しく響く声だった。

「手先はブキッチョです」「だからこそ一生懸命やりましたと語った。」「うまくやろうとしてはいけませんよ」。

最終回を除いて、一言もしゃべらない出演だった。音楽に乗った動きで工作を作り上げる仕事だった。紙コップや新聞紙が生き物やドレスに生まれ変わった。不思議だった。ワクワクした。

写真は、取材の際、「親になった世代へのメッセージを動画で撮らせて」という大井田の願いに、ちょっと踊ってみましょうかと雨の日に、持ち歩いていた青い傘を小道具に踊ってくださった写真です。

子供のことを「小さい人」と呼んでいた。「とても賢いんですよ」と語りかけた。

生前、亡くなったら公表を半年以上伏せてほしいと希望していた。事務所の人は「人は誰でもいつか死ぬのだから、周りの人を騒がせたくないというのっぽさんの優しさでは」と語る。
亡くなった夜、外に出て見ると、中秋の名月が美しかった。「僕は風のようにいくからね」と話していたという。

ご冥福をお祈りいたします。


裸の辰、連れてきました。

2023-10-16 13:28:47 | 知人友人

土・日と以前委員をやっていた世田谷区民センターに行ってきました。二日間、恒例の秋の行事、センターまつりに出かけたのです。センターを主な教室として、学んでいらっしゃる方の作品展です。久しぶりに、仲間だった方と会うことができ、おしゃべりをさせてもらいました。

運営協議会の、教室・講習会の企画運営を手伝っていたのです。その中に次の年の干支を、木目込みて作るという講座が長く続いていました。今年も11月に辰を作る会を開くようになったとのこと。私はもう干支の12支を一回りしましたのでことしからは作る必要も無いのですが、指導の立場で出席するようにと誘われています。そのご苦労賃に材料をくださるということで、お手伝いすることにしました。

木目込み、知っていらっしゃる方が多いと思いますが、・・・
連れて帰ったのは裸の辰です。桐の木の粉を固めて、カタチができています。それに布を着せていくのです。平面の布を、立体の本体に皺にならないように置き、布端を、本体に切り込まれている筋にへらで押し込み、着せていくのです。下に写真を入れました。本体と、使う布です。

上手く仕上がりましたら、またお目にかけます。出来るかな??

 


真剣な顔 藤井聡太さん

2023-10-13 13:46:19 | ニュースから

一昨日息子Kの言った一言に、すっかり圧倒された愚かな母でしたが、・・・
私は娘・息子が成人した時に、これからはあなたは一人前の大人。ということは自分の生活には自分で責任をとるということよ。もし、万一、他人様に抜きんでて成功したとしても、それはあなたの手柄。あってほしくないけれど、世間に顔向けができないようなことで取り沙汰されても、それはあなたの責任、いずれの場合も母親でございますと出て行くことを私はしません。と言い聞かせて、少々言いたいことがあっても、見ないことにしておりました。

まあ、どうにか可もなく不可もなく、普通の大人になってくれているようです。Kも、まだ幼稚園にもいかないころ、リューマチ越という病気にかかり、当時はまだその病の特効薬はなかったのでしょうか、急遽入院となり、36日のベッド生活になったのを最後に、病気もしない丈夫な子に育ちました。反抗期も友人にうらやましがられるほど平穏で、いつもニコニコと言うのが親の私の息子評に定着していたのです。
勤め始めても、特に書き記すこともなく、自分を鍛える意味もあったのでしょうか、はじめボート部、後に今もやっているマラソン(ウルトラマラソン)に打ち込むおじさんに成長(?)してきたのでした。

親の知らないサラリーマン生活、ビジネスマンとしての厳しさに鍛えられていたのでしょうね。
はい、そういう意味では孝行息子です。職場では親の知らない厳しい顔をしているのでしょう。
そうですよね。容易いことで、生きてはいけませんよね。

厳しい顔と言えば、ここ2・3日、藤井聡太さんの八冠の快挙に賑わっています。本当に快挙でいらっしゃいますね、おめでとうございます。
いつも穏やかな、頬笑みを浮かべた顔で、インタビューに答えていらっしゃる顔に、私も「将棋分からんファン」で見ておりました。

この度の大勝負、お顔が違いました。勝負の部屋に入場なさった時から、いつもの落ち着きはそのままですが、お顔の威厳が違いました。少し血の気が引いているのではないかと思われる、頬の線が、厳しいのです。ただ将棋が好き・・・ではこんな顔にはならないでしょう。何とも真剣勝負の厳しさとまともに向き合った顔でした。思わず私も座り直したのでした。

私の人生でこうした真剣さはあったかしら、一瞬でも。